蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

国葬の日帝都は蛮人怒声の不毛原野に化けた

2022年09月28日 | 小説
昨日(2022年9月27日)は安倍氏国葬についてブログ投稿した。
安倍氏の日本人への愛心と国民の追悼の慕情が昇華し、重なり融合して、葬儀空間(日本武道館の上空)に異界が発生し、安倍氏イコン化が成就されるかもしれないと(行外に)記した。また反対運動を街頭で繰り広げる人々には、「未開」ままでよかれ「野蛮」になっては人の道に外れると(ブログで)諭した。

本投稿でその結果を述べよう。
献花に訪れた多くの市民、追悼の心が葬儀の荘厳さと重なって、たしかに、異界が発生した。安倍氏のイコン、すなわち神格化が達成し、結界したと(部族民、渡来部)思う。安倍氏精神、その基調は愛国、これからも日本人に宿ると信じる。


安倍氏献花台、ここは蛮人怒声から遮断された平安の空間だった

写真はネットから。

反対派は不毛都市の街頭原野で何に成り果てたか。

集団で皆が大声、ほとんど怒声、を張り上げて異界の結界を妨げようとしていた。未開にとどまれと諭されたにも関わらず、あの場あの時(国会議事堂脇、27日14時ほど)に野蛮に先祖帰りしたのだろうか…

結語の前に「村八分」を採り上げる。
封建時代、村落のしきたりを守らず、村の統一を毀損する人物を「村八分」で付き合いから除外した。正しくは人物の家族を除外するので、夫が当事者なら妻、子、父母らも巻き添えに遭う。
八分の意味は人の付き合いは十と数えられ、二だけを残す。その二が火事(火消し手伝い)、葬儀(参列し野辺送りに同行)。火消し手伝いを残す理由は明白、火元から消さないと類焼する。では八分者の葬儀に参列する理由とは。

敵対する相手であっても死ねばもろとも、みな霊になって宇宙の果の空虚空間を彷徨う。憎んでも亡者に果てたら憎しみを捨てて、追悼を死者に手向ける。これが、この列島弧に住む民族が、2000年以上に渡って、皆々で温めていた生死感です。日本人の原点としても良い。

ここでなぜ日本人と特定するか。答えは単純、近隣の朝鮮人中国人は平気で「死者を辱める」ている。墓を暴いて町中に晒す、刑死者の遺骸を路に捨てるをデフォルト習俗としていた(金玉均の凌遅刑と遺骸さらしは李氏朝鮮1894年)。

ここは日本、江戸の封建から離れて160年、21世紀は令和の世、その今になって、哀悼をからきしにも見せず、罵声を街で張り上げて、恥ずかしくも臆面もなく、帝都の道端街なか、故人を辱める獣性野蛮を、何故に晒しているのか。

その答えも簡単、彼らは共産主義者だから。

共産主義は歴史観をひっくり返している。過去を観て今を語るのではない。未来を基準に今を否定する。未来とは歴史の必然であり、究極の特異点、共産主義が統治する楽園です。その楽園を達成するために暴力革命が用意されるので、工程を妨げる勢力を排除しなければ革命は達成しない。

「景気を上向きに舵取り、就職率をバク上げし、市民に共産革命は無意味なる幻想を植え付け、米帝国と結託する故安倍氏は、歴史必然(マルクス弁証法)に抵抗し、特異点(共産社会)への到達を遅らせている資本家の手下だ。排除する、死んでも排除する、100年経っても排除する」が共産主義者の言い分。

動画投稿で共産党指導者が上記をそっくりそのまま、シャシャアと街頭演説していた。

実は部族民(渡来部須万男)はレヴィストロースの野生の思考 « Pensée Sauvage » の9章歴史と弁証法 « Histoire et dialectique » を読み返していたところだった。共産主義の歴史逆行性を批判するレヴィストロース筆先の鋭さに感を打たれた。彼のサルトル批判の手順を国葬反対の野蛮性に紐つけました。

了(2022年9月28日)
コメント
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