蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学の紹介 1

2024年08月23日 | 小説
La Phénoménologie de l’Esprit Hegel Traduction Jean Hyppolite
INTRODUCTION 導入の章
(2024年8月23日)本章のあらまし:理性(science)が精神の基盤となる。悟性 (conscience) は理解活動を担い、知(savoir)が持ち込む対象(objet)を検証する。両者の一連活動は「真理に近づく」精神作用、その弁証法が現象となって展開する舞台は認識(conscience)の野。
対象、検査など認識活動は現象の影として発現する。しかしこの理解過程には深刻な陥穽が潜む。外部から取り入れるモノ、対象は現象と化した途端、本来(持っていたはず)の真理を失う。故に悟性が検証しようと、真理には絶対に近づけない。悟性が弁証法の工程(expérience)経ながら、あらゆる外観を脱ぎ捨て、いつに日にか真理を捉えるであろうと本章は締めくくられる。外観とはen-soi律自と覚自pour-soiの自我の属性、本来の自身に戻るためにはこれらを捨てる。絶対を掴む過程である。

本書の表表紙


原典について:本書はAubier社モンテーニュ刊(1939年パリ)。Hyppolite著は他に « Genèse et structure de la Phénoménologie de l’esprit » 精神現象学の生成と構造が刊行されている(ガリマール社1957年刊)。似ている書題であるが、刊行された経緯は、原本が「難しすぎる」の声が上がり、Hyppolite自らが解説を書きいれた別の本です(岩波刊、市倉訳)。ヘーゲル全集(金子訳)には本書も掲載されるがドイツ語原本からの訳です。本稿の元本の(Genèse…の付かない仏語版)Hyppolite書は日本に紹介されていない。導入章ではヘーゲル弁証法の(初期の)思想、真髄が説明されている。
本稿で引用する文は章の全体(12頁)の五分の1ほど。ヘーゲル思考の展開に沿い文を選択したつもりですが、説明至らない部分もあるかと反省します。皆様にヘーゲルの思想が伝われば幸いです。(部族民蕃神)


1 概論、真理への道のり、陥穽と精神の不能

章頭の一文;
« Il est naturel de supposer qu'avant d 'affronter en philosophie la chose même, c'est-à-dire la connaissance effectivement réelle de ce qui est en vérité, on doit préalablement s 'entendre sur la connaissance qu’on considère comme l 'instrument à l 'aide duquel on s'empare de l 'absolu ou comme le moyen grâce auquel on l'aperçoit * »
「モノそのもの」を哲学観点から理解する、これは真理の追求に欠かせない。その前にある理論の取りまとめ準備が必要である。それは認識の意味の確定、真理に対して「実効的réelle」とはいかなる状況かを確定する。認識は絶対を掴み取る道具である、あるいはそれを知覚する方法である。この2点を前提として決めておきたい。
Hyppoliteの脚注:*Ces deux hypothèses paraissent correspondre, l’une à un entendement actif, autre à une sensibilité passive. 2の仮説は相応するようだ。1は理解する力の能動(認識を道具として)、2は感覚の受動(精神の現象として)―としている。
部族民の感想:ヘーゲルは2の思想を提示した。1は脚注にある通り。現象活動としての2通りの解析手法。現象の2の様態(道具と場)には、本章を通し幾度か、立ち戻っている。もう一方は認識の意味、「実際的réelle」connaissance effectivement réelleとはどのような状態かを追う。実質(絶対、真理とも)であるモノに対して非実質の精神が、現象を通していかに真理に接近するのか。認識が実際(実質)に向かう道のりcheminは、現象作用のからくりで真理に到達しない。現象として外部を理解する悟性の不能を主題としている。

« Une telle préoccupation semble justifiée, en partie, parce qu'il pourrait y avoir diverses espèces de connaissances, et que dans le nombre l'une pourrait être mieux adaptée que l 'autre pour atteindre ce but final, justifiée donc aussi par la possibilité d 'un choix erroné parmi elles, en partie aussi parce que la connaissance étant une faculté d 'une espèce et d 'une portée déterminée, sans détermination plus précise de sa nature et de ses limites, on peut rencontrer les nuées de l 'erreur au lieu d 'atteindre le ciel de la vérité. » ( 65頁 )
こうした前準備は正当化されよう。なぜなら多様な認識が(人々に)取り沙汰されている。しかしその中の一つのみが、他を凌いで、最終目的に到達できる。選択に誤りを犯してしまう事態は避けねばならぬ。さらに認識は活動域、到達範囲に限界を帯びるのだから、その能力を特定しないと誤りに陥いる。「真実の天に達する途上で偽りの雲」に紛れることになる。
部族民:認識Connaissanceはヒト精神Espritに宿る。思考であるからに、真理(に到達できる)と見なすは誤り。諦めるが妥当であろう。しかしその能力と限界をあからさまにして最終目的、真理の天空に到達できるとヘーゲルは(本章の最後行で)語る。精神に取り込んだモノは実際のモノから遊離しているけれど、幾度もの検査と経験(ヘーゲル弁証法)を通して絶対に到達する。本書の主題である。

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学の紹介 1 了 (8月23日)
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