湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

英語

2012-02-09 20:38:48 | 学習

海外で仕事したことないけど、英語の勉強だけはおざなりにしたことがない。電車の中でもペーパーバック読むことが多いし、AFNは毎日聞いている。にもかかわらず、なかなか上達しない。

上達しないというのは、AFNのヒアリングができないことを尺度にしている。あれがしっかり聞き取れるようになれば、香港でもシンガポールでも働ける。そう思っている。

海外赴任の機会があればと悔やまれる。運がなかった。やっぱり、ずっと国内にいて英語ができるわけがない。日本の英語教育が悪い。人のせいにばかりしていたが。

今日、人にうらやましがられていわれて気づいたのだが、外国人のスタッフとふつうにコミュニケーションできているし、取引先の外国人とも電話で仕事の話ができたりする。もっと集中して短期間でやれば効果が上がるのかもしれないのだが、ちょっとずつの努力でも積み重ねが力になるようである。引き続き要努力。


丹生神社

2012-02-08 22:31:00 | 学習

丹生神社というのは、実家の近所の神社で、初詣は必ず行く神社である。ネットでうろうろ見ていたら、丹生神社が出てきて、びっくりしてしまった。

小さいころからよく慣れ親しんだ神社で、遠く離れて暮らしていると、ときに懐かしくなったりする。とくに父親が急逝してまだ2カ月余りということもあり、なんだか郷愁に駆られる。

ここのサイトに紀伊国名所図会の丹生神社周辺の絵がある。江戸時代に実家の近所にどんな人が暮らしていたのか考えると胸が熱くなる。そこには自分の先祖もいたはずなのだ。

ところで、この紀伊国名所図会を書いたのは、帯伊書店の店主のご先祖ということである。江戸時代の後期にこのような版物を出版していたとは恐れ入る。機会があれば現物を見てみたい。


春待ち遠し

2012-02-07 23:54:23 | 学習

2月の今頃は、毎年慌ただしい。目立った行事もなく、何とはなしに過ぎてゆくことが多い。たまに雪など降ったりして。

ところが、梅や桜の木を見ると、つぼみがふくらんでいる。特に梅はもう咲く寸前である。時間が経過してゆくと、素っ気ない庭木にも花が咲く準備が整う。

いろいろわだかまることが多いのであるが、庭木を見ていると、時間が経過すればどんどん状況が変わることの自然の摂理が肌でわかる。

あせってはいけないし、あせってもどうにもならない。自分のリズムは大事だが、もっと大きなものがあって、そこに合わせてゆくことのほうがだいじである。春は近い。


GKB

2012-02-06 22:21:05 | 学習

民主党政権が力入れてやっているのが自殺防止プロジェクト。自殺者が年間3万人超えるのを何とかせねばいかん。その通りである。こんなに多くの自殺者が出る国は変だと思う。しかしである。現政権がいったい何ができるのだろうか。

自殺者が出る背景は、将来に希望が見出せないことである。将来に明るい希望があれば、自殺する人はいない。これがすべてである。日本に住んでいて、絶望している人が多いことが、自殺者の膨大な数に明確に表れているのである。停滞感、閉塞感。自殺しないまでも、多くの人が絶望はしている。

ではどうしたらいいのか。これは国そのもののしくみを変えなければならない。そういうレベルの話なのである。病気になっても路頭に迷うことなく生活ができる。いったん失業しても、容易に職業が見つかる。失業中も給付が受けられ生活に困らない。がんばれば報われる。そういう世の中にすることが自殺防止なのだろう。マニフェストひとつ果たせない政権が標ぼうするテーマとは思えない。もっと根元的で根の深い問題である。

果たしてこれまで、日本の戦後の歴史で、よくなったことがあっただろうか。何もかも悪くなる一方でしかないように思える。少なくとも、自殺者が減るような流れにはない。民主党政権の自殺防止プロジェクトはいったいどんなことを対策として講じるつもりなのだろうか。もっとてっとり早く着手しなければならない課題が山積みなのに。人気アイドルグループをパロディにしたネーミングが空虚に見えてしかたがない。


冷え症

2012-02-05 23:18:24 | 学習

テレビ見てて、ふと気づくと、右足の半分くらいが冷たくなってた。風呂でずっと浸けてたら、ちょっとましになったけど。今までこんな経験ないのだが。

wikiで調べると、筋肉が少ない場合を除き、男性にはほとんど見られない、とある。ワシ筋肉少ないのだろうか。

そういえば、最近足痩せが激しい。靴のサイズがどんどん小さくなっていて、昔はいていたサイズがちょっとぶかぶかになったりしている。

ブランケット会社持って行くか。おかまかよ。


歳相応とは

2012-02-04 23:21:17 | 学習

いい歳こいて。とかいうのが大嫌いである。だれがそれを判断するのか。昔はそういうお決まりみたいなものがあったのだろうが、最近はだんだん崩れているはずである。

たしかに、歳相応でないひともいるが、同じ年齢で同じことをしていても、歳相応に見える人もいる。どこがちがうのか。歴史が違うのである。

歳をとってからにわかにやりだして、それが、板についていないと歳相応でないということになるのだと思う。若ければ板についていないのもしかたがないということになるが。

逆さな見方をすると、歳相応に見られるためには、若いうちからそのスタイルを崩さず、貫き通すことが大事なのだろう。付け焼刃ではだめなのである。


誕生日迎えました。

2012-02-03 23:22:05 | 学習

ついに48歳になってしまった。もう五十路まであっというまである。しかも加速的に加齢してゆくような気がする。そういうものらしい。48歳になったからといって、脳みそ自体は15歳くらいからあまり変わっていない。高校生の娘との会話も、親らしいことは何も言ってあげられない。いってあげられないどころか、向こうのほうが一枚上のときだってあるくらいだ。

年齢ごとに順調に出世して、最後は大きな会社の社長になるとか、自分で起業して大成功を収めて引退してゆくような人はともかく、99%の人は、歳食ってもそれ相応におぼつかないことに戸惑いながら加齢してゆくのではないだろうか。ワシもそうである。その戸惑いの正体はいったい何なのか。

じっくり考えてみると、恐らくは、子供のころ、若いころ、20年後、30年後を思い描いていた、その時の将来の想像と現実のギャップに過ぎないのではないだろうか。つまるところ、単なる幻想である。99%といったが、100%かもしれない。過去に思い描いた将来像は将来像であって、像に過ぎないのである。そうだと思えば、気が楽である。変なこだわりなど不要。

こだわりといえば、他人の目を気にするというのもあるかもしれない。だが、それもこの際、幻想だと言い切る。同じくらいの年齢や同級生と自分の来し方を比較しても何ら意味はないだろう。たまに、そういうのが好きな人もいるが、きりがない。歳をとることは自然現象だが、それなりにエネルギーもいる。他人を気にしている余裕などないはずである。こっちも気にする必要はないのである。


雪害

2012-02-02 22:03:45 | 学習

例年にない豪雪で各地で雪害が出ているらしい。雪なんて、お湯かけたら溶けるやんか程度にしか実感できない和歌山人であるが、テレビで見ていると何とかしてあげたくてしかたがない。

とくに高齢のお年寄りのお宅など、雪かきや雪下ろしなど、都会の人間が手伝いに行ってあげれば、雪国体験もできて、一石二鳥である。雪下ろしで亡くなる人もすでに100人近いということだし、手段さえあればいくらでも行くところである。

東北の被災地を無視するわけではないが、豪雪地帯に行ってお年寄りの皆さんを助けてあげたほうが喫緊で効果が上がるはずである。にもかかわらず、いろいろ調べてみたが、雪下ろしボランティアバスツアーがほとんどない。名古屋発のツアーがひとつあったくらいで、東京発はなかった。

山元町の被災地ボランティアのように、金曜日の夜出発で、土曜日に目いっぱいボランティアして、東京に日曜日に帰ってくるようなバスツアー、どこか旅行会社が企画してくれないかな。あったら、即申し込むつもり。個人がクルマで行くのはちょっとしんどすぎる。


ストーブ

2012-02-01 22:21:33 | 学習

最近はエアコンが幅を利かして、ストーブが押され気味だけど、どっちがいいかといえばストーブだろう。速攻で暖かくなるし、部屋がぬくもるまではストーブの前で手をかざしていればいい。とういうわけで、我が家ではガスストーブ。ワシが寝る部屋はスペースの関係でエアコンなのだが、冷え込みのきつい朝など全然暖かくならない。

思えば、子供のころ、昭和40年代などは、すべて石油ストーブで、ストーブの天井の台にやかんやモチ、するめ、ぎんなんなどを焼いては食ったものだ。モチはストーブで焼くと、電子レンジで温めるのと全然違う。かちかちの部分が残ったり、焦げたり、とろとろになった部分ができる。これがまた香ばしかったりしてうまかったりする。

ようするに、冬はストーブが家庭の中心で、灯油がなくなると、ポンプで入れたりするのが子供の役割だったりする。冬の思い出はストーブなのだ。断じてエアコンよりもストーブ。それもガスよりも石油ストーブなのだ。不完全燃焼して臭くなるのもなかなか季節感がある。

ところで、ワシの実家では、中学生のころまで薪(たきぎ)を燃やして風呂を立てていた。これもワシの役目である。父上が風呂に入って、「ぬるい」などと声がかかると、薪を追加で燃やしたりしたものだ。冬はこの作業が暖炉のように暖かいし、燃える火を見て、人生哲学を考えふけったり、エロチックな気持ちになったりしたものだ。気のせいか、釜の火で立てた風呂は今の風呂とは湯質が違うような思い出。