誰が鈴図小柄 園部
誰が鈴図小柄 無銘園部
桜に鈴を組み合わせて瀟洒な趣のある画面を創出した作で、園部(そのべ)派と極められている小柄。作風はまさに後藤のそれであり、江戸時代中後頃の後藤と極めても間違いはない出来である。
誰が桜の樹に鈴を結びつけたのであろうか、そんな雅な疑問がそのまま題とされている。そして桜と鈴の結びつきは、如何なるところにあるのか。
そもそも桜の下で行われる花見は、田の神に新たな季節の到来を通じて豊作を祈願する儀式である。近頃の、目を覆うような破廉恥な飲み食いの場ではない。鈴を飾りつけた理由も、神として崇める意味があったのであろうか、神社にあるように、鈴は神に問いかける際の合図でもある。
そのような意味を考えなくても美しい構成が魅力である。もちろん江戸時代前期には、すでに花の下で宴を催すほどに古い時代の花見の意味は廃れていたであろう。この作者は、あるいはこの図を製作させた武人は、深い思いを胸に秘めていたことであろう。風に枝が揺れ、かすかに鈴の音が聞こえてきそうな作品である。赤銅魚子地高彫に美しい金銀色絵。
誰が鈴図小柄 無銘園部
桜に鈴を組み合わせて瀟洒な趣のある画面を創出した作で、園部(そのべ)派と極められている小柄。作風はまさに後藤のそれであり、江戸時代中後頃の後藤と極めても間違いはない出来である。
誰が桜の樹に鈴を結びつけたのであろうか、そんな雅な疑問がそのまま題とされている。そして桜と鈴の結びつきは、如何なるところにあるのか。
そもそも桜の下で行われる花見は、田の神に新たな季節の到来を通じて豊作を祈願する儀式である。近頃の、目を覆うような破廉恥な飲み食いの場ではない。鈴を飾りつけた理由も、神として崇める意味があったのであろうか、神社にあるように、鈴は神に問いかける際の合図でもある。
そのような意味を考えなくても美しい構成が魅力である。もちろん江戸時代前期には、すでに花の下で宴を催すほどに古い時代の花見の意味は廃れていたであろう。この作者は、あるいはこの図を製作させた武人は、深い思いを胸に秘めていたことであろう。風に枝が揺れ、かすかに鈴の音が聞こえてきそうな作品である。赤銅魚子地高彫に美しい金銀色絵。