皆様のおかげを持ちまして、「酔漢のくだまき」が8年目に入ります。
開設日数に少しズレがありますが、当初使い方が分らず、最初から一か月少しで全て削除してしまうという操作ミスをしておるわけです。
いやぁ、焦ったなぁ。
その話を後に復活させたのが、1月の半ばなのです。
実質、今週になります。
御高覧、誠に感謝いたします。
ブログでの諸先輩方も続けられていて、励みになります。
「くだまき」はこの数年 . . . 本文を読む
芭蕉の5月8日の足跡を振り帰っております。
先だって、「末の松山」をご紹介いたしましたが、「多賀城碑」へ立ち寄ったのは、一度塩竈へ入ってから再び多賀城へ戻った。こうした史実なのです。
芭蕉は、塩竈から、その後、松島へと舟で向かいます。
「おくのほそ道」で、最も、感動的で高揚した芭蕉がそこにはあります。
故郷です。
その故郷は、枢機な運命に翻弄されるかのような歴史をたどっているように感じます。
時代 . . . 本文を読む
今年はバラ達にとっては、過ごしやすかった秋だったかもしれません。
夏の猛暑が早くに終わって、雨も多かった(台風もありましたが)しべを食べる「かなぶん」が少なかったのです。
その代わり、黒点病がやや流行したかな?
香りは良くても、花弁の傷んだ様子が秋の代名詞だったのですが、総じて良い顔をしてくれました。
キャラメルアンティークです。
愛好家の間では「キャラアン姫」とも「キャラアンちゃん」とも呼 . . . 本文を読む
きみをおきてあだし心をわがもたば末の松山浪も越えなむ 古今集 東哥
いかにせん末の松山波こさばみねの初雪消えもこそすれ 匡房
ほとときす末の松山かぜ吹けば波こす暮にたちゐ鳴くなり 俊頼
うかりける昔の末の松山よ波こせとやは思ひ置きけん 俊成
浪こさむ袖とはかねておもひにきすゑの松山たづね見しより 定家
冒頭より、末の松山の歌をご紹介いたしました。
末の松山は松の歌枕。
それは理解している(と、い . . . 本文を読む
壺碑 市川村多賀城に有
つぼの石ぶみは 高サ六尺余 横三尺計歟
苔を穿て文字幽也 四維国界之数里をしるす
この城 神亀元年 按察使鎮守符将軍大野朝臣東人之所里也
天平宝字六年 参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣■修道而
十二月朔日
とあり 聖武皇帝の御時に当れり
むかしよりよみおける歌枕 おほく語伝ふといへども
山崩 川流て 道あらたまり
石は埋て土にかくれ 木は老 . . . 本文を読む
昨日、休みでした。
まだ、秋のバラを見に出かけておりませんでした。
近所、鎌倉にあります「大船フラワーセンター」へ行ってきました。
関東でも、おそらく、二か所でしか見る事が出来ないバラのご紹介です。
東北で調べましたら、花巻にも東山にもなかったのです。
実は、このバラを見に、何度か尋ねたのですが、タイミングが合わずにおりました。
昨日ようやく、良い顔を見せてくれました。
「メンデルスゾーン」で . . . 本文を読む
7年前の夏。
塩竈へ帰省いたしました。
中学の夏休みの宿題の定番「自由研究」。
僕等の時代は「理科」とか「社会」とか、それぞれの分野があったのですが、息子達となりますと「そのどちらか」となってましてですね。
「これは楽だよなぁ」と思った次第。
特に、長男の場合は「ゆとり教育」の真っ最中であったのですから・・・。
さて、帰省で遊ぶべく、自由研究にいそしむわけでして。
「何か、題材ない?」と、相成りま . . . 本文を読む
本題に入る前に、少し前の「くだまき」からなのですが。
画工加右衛門を再び。
おくのほそ道の一節をご紹介致します。
さればこそ風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。
画工加右衛門をして、芭蕉は「風流の痴れ者」と評しました。
酔漢は、長谷川櫂氏、同様、これを「風流をしる、そしてその実力を表した」と、俳人として最大限の評価をした。こう解釈致しました。
しかしながら、立松和平氏は、こう解釈されておられま . . . 本文を読む
みちのくの十ふの菅菰七ふには君を寝させて三ふに我寝 源俊頼
(この歌を源俊頼としておりますが、「よみひとしらず」として「夫木和歌抄」に記載されてます。これを検証するものではありませんが、参考までに加えておきます)
ダブルベッドよりは狭かったんだなぁ。(と、これは独り言です)
かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に、十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て国守に献ずと云り。
前回の続きと . . . 本文を読む
八日 朝之内小雨ス。巳ノ尅 より晴ル。仙台ヲ立 。十符菅・壷碑ヲ見ル。未ノ尅、塩竈ニ着、湯漬など喰。末ノ松山・興井・野田玉川・おも ハくの橋・浮嶋等ヲ見廻リ帰 。出初ニ塩竃ノかまを見ル。宿、治兵へ。法蓮寺門前、加衛門状添。銭湯有ニ入。
曽良日記は上記の通りです。
このたった二行の行程が、さらに奥深く歴史の交差点をいくつも、何度も通りながらの作業をくだまきは続けております。
当初は、これだけの時間 . . . 本文を読む