ひーさんの散歩道 8月26日 陸前高田の一本松
こちらより、お借り致しました。
今日、この一本松が現地から取り払われ、再生の為一時撤去が行われました。(午前9時半)
こう言ったニュースを耳にいたしました。
復興のシンボルとしてその象徴とも言える一本松。
独り取り残された気持ちはどうなのでしょう。
先だってまで、「くだまき」では大和からのご生還された方々の証言を取り上げておりました。
「俺だけ残 . . . 本文を読む
麗観→富山
壮観→大高森
幽観→扇谷
偉観→多聞山
酔漢は、多聞山へよく自転車で向かいました。
代ケ崎から見える、馬放島方面へ目をやりますと、大小の島々が見えてきます。
ここは、夕方の風景が何とも言えません。
夕日が丁度、左手(塩竃市方面)から照らし出し、船が逆光に向かって進んでいるよう。
島よりも、船の絵がいい。
こう思いました。
昨日、読売新聞夕刊。
宮城の方は、なかなかお目にかかることが . . . 本文を読む
先週、帰省しておりました。
実家へ帰ってまずいたしますことは、親父殿の書斎を発掘調査することなのです。
親父殿は整理魔でしたので(この遺伝子だけは酔漢に伝わらなかった・・・・・・・とほほ・・)自分の記録はきちんと残しております。
ですが、意味の解らないのも数十点ございまして、今回は、アルバムの隅に偶然見つけた、無題の写真です。
2009年10月9日「ひーさんの散歩道 塩釜を襲った津波・・・TSU . . . 本文を読む
理化学研究所所長「大河内正敏」
高峰譲吉から数えて三代目となります。
貴族議員、造兵学研究主任、子爵と多彩な顔を持っております。
寺田寅彦とは親友。
その寺田は昭和10年の大晦日に亡くなっております。
日本は戦争への泥沼へひた走りその状況は、皆様ご存知の通りです。
開戦前、昭和9年ローマ大学のエンリコ・フェルミがウランに中性子をぶつける(この表現が物理学的に適切であるかまでは酔漢に知識がなく、間 . . . 本文を読む
寺田寅彦の言葉は、かなり重かった。
こう思わらざるを得ませんでした。
くだまきでは、地震と津波、災害への警鐘としてその言葉を整理し、私見を語りました。
「原子力発電所の事故」は、まさしく現代の象徴です。
化石燃料の乏しい日本で、その有効活用に活路を見出した過去の歴史を否定するつもりはありません。
ですが、その過程と経緯を知りませんとどうもこの事故を自分の中で消化不良を起こしているように感じます。 . . . 本文を読む
写真、「雪の結晶」撮影「中谷宇吉郎」
人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは天体の運行を勝手にしようとするよりもいっそう難儀なことなのである(寺田寅彦「災難雑考」より抜粋)
「未曾有」という活字を昨年どれほど目にいたしましたでしょうか。
ここ「くだまき」に於きましても、多く使われた言葉でした。
「未曾有」=「今までに起こらなかった事」(広辞苑)
「今までに起こらなかった事」という意味 . . . 本文を読む
昨年、年末。
歳暮の承りのカウンターに酔漢はおりました。
横浜の事業所です。
一人のお客様が、住所録を持ってカウンターへ。
「すみません、住所録、こちらなんですが・・」
その住所録。
ダイレクトメールをそのまま写したもの。
「じゃぁ、これをそのまま転記しますね」と酔漢が伝票をパソコンに入力しようとして、ふと、その発行先を見ますれば・・。
「佐々直」と書いているではありませんか。
「あのう、これ仙台 . . . 本文を読む
「『日本の鉄道が安全だ』と思われているのには疑問が残る」
上記はシティラピッド君の発言。
「何故?」
「世界で一番鉄道事故が多かったから、今はそうなっているだけ」
「なるほど」と考えました。
運輸に関する事故調査は、その人命を失うリスクが大きいことから、その原因は徹底的に調査されます。
おそらく、我が国での最初の例を寺田が上げております。
寺田自身が「近年で実に胸のすくほど愉快に思った・・」と . . . 本文を読む
年下君が軽い怪我。
高校まで車で送って来ました。
宮城の方には馴染のない「J-WAVE」です。
この時間は別所哲也さんがDJをしております。
「震災から1年2か月。宮城県七ヶ浜町と電話で繋がってます」
電話の相手は「七ヶ浜町ボランティアセンター『わたなべ』さん」
その内容は現在のボランティアの状況。
GW期間中は400名程にボランティアの数は増えたが、現在は35名程。
閉鎖しているボランティア . . . 本文を読む
どのような題にしたらよいものか。
途方に暮れました。
そして、このような場で、語ることが許されるかという事も。
ただ、遠くとは言え、多少なりとも縁があれば、それをお伝えすることも「くだまき」なのであろうかとも。
2011年9月11日放送 22:00 - 23:15 フジテレビ
Mr.サンデー 3.11市民映像ドキュメント
東日本大震災発生時に、石巻市立病院で手術をしていた内山哲之医師は、避難せ . . . 本文を読む