酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

3.11記憶そして記録 今日,高田の一本松

2012-09-12 18:01:23 | 東日本大震災
ひーさんの散歩道 8月26日 陸前高田の一本松
こちらより、お借り致しました。

今日、この一本松が現地から取り払われ、再生の為一時撤去が行われました。(午前9時半)
こう言ったニュースを耳にいたしました。
復興のシンボルとしてその象徴とも言える一本松。
独り取り残された気持ちはどうなのでしょう。

先だってまで、「くだまき」では大和からのご生還された方々の証言を取り上げておりました。
「俺だけ残っていてすまん」
この思いを解ることは、酔漢でも難しいものがありました。
果たして、この松。
何万本の中の一本。
彼も同じ事を考えているのでしょうか。

「君だけでも、残ってくれたから、人々は君の姿を見て励まされたんだよ」
こう声をかけてあげたい。

しっかり、生きる希望を見失うことなく、丈夫な身体になって是非また陸前高田へ戻ってきて下さい。

この松の凛とした姿は、震災の映像と共に目に焼き付いております。
そして、震災前の陸前高田の様子も。
松林の間を吹き抜けてくる潮風は、自転車乗りの酔漢を励ましてくれました。
今度は、自分が励ます番。
こう思いました。


17時58分追記
本日の夕刊の時間にロイター他、一本松撤去の記事がネットに掲載されました。

保存に向けた伐採作業で、上部が切り落とされた「奇跡の一本松」。希望の象徴として親しまれた松は愛知県などで処理が施され、来年2月中旬以降、元の場所に設置される=12日午前、岩手県陸前高田市【時事通信社】 (時事通信)

またこの地に松林が復活する日を・・・。

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4 コメント

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震災から一年半たったが・・・ (ある友人)
2012-09-12 20:24:47
あまり他人のブログのコメントで、微妙な内容には触れたくないのですが、酔漢さんが私に「ある程度の容量を与えるから書き込んでいい」と電話でおっしゃってくれたので、お言葉に甘えてまたも長々書き込みます。まあ酔漢さんはご存じの内容だと思いますが、他にどなたか目にする方もいると思うので。
たとえば南三陸町の防災庁舎跡など、どこまで震災の爪痕を残すのかは、各地で静かな論議の的になっています。被災者には決して消えない記憶が刻まれているし、何かを残すとすれば、体験しなかった人たちや次の世代へのメッセージとしての意味が強いわけで、それは確かに戦争の生存者が後世に残すものと似ているのかもしれません。
それにしても「復興」という言葉が空しく感じます。とりあえず瓦礫が「片付いた」というのが実情でしょう。しかしその瓦礫処理の受け入れも相変わらず進まず、まだ約三千人の行方不明者がいる中、政治は空転、人々の関心は薄れはじめているように感じます。
しかし一例をあげれば、震災を受けて太平洋沿岸の東北4県で、災害公営住宅の建設は計画が約2万7千戸に対し、9月はじめまでに完成したのは24戸。着工が445戸で着工率はわずか1.6%だという調査が最近発表されました。最大の理由は「適地がない」との説明ですが、そんな事は高所移転の話が出た時点で、地元の者なら分かっていた事。明らかに復興庁を中央政府におき、地元との調整を欠いた結果ではないのかと文句を言いたくもなります。
またここにきて石巻の大川小学校だけではなく、某銀行女川支店や亘理の自動車学校、そして自治体に対してなど、職員や学生の被害について管理責任を問う訴訟も増えてきています。悲しいかな、それもまた震災がもたらした結果のひとつです。そういった検証に目を向けず、首都圏で大きな震災があった際は、企業内で三日間過ごせるようにと計画していますが、管理責任の問題を無視してそんな計画を立てても逆にトラブルのもとになり得ます。震災の際はその場にいない責任者が状況も知らないのに待機を指示したり、あるいは責任者と連絡が取れず、現場の職員が判断できぬまま、避難が遅れたケースもあるのです。
出来れば被災地以外の多くの方が、そこから何らかの教訓を得るためにも、関心を持ち続けて欲しいと感じます。
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こんばんは (見張り員)
2012-09-13 23:55:33
あの震災以前の美しい海岸線と松林を思う時、失われたものの『大きさ』を思い知らされます。
あの一本松の保存については賛否あるようですが私は残すべきではないかと・・・
あの一本松がかつての美しい郷土をしのぶよすがとなり、そして復興への活力になればいいと思います。

しかしあれから一年半が過ぎたとは・・・。
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ある友人君へ (酔漢です)
2012-09-14 17:55:48
双葉病院の顛末。
当初よりその報道を疑っておりました。
「医療関係者が患者を置いて先に避難した」これが全面にだた当時。「あり得ないのではないか」こう考えておりました。
しかして、その実情が明らかになり、誰の責任とは言えないものの(私の得た情報では)、その憤りを隠せません。
貴殿と私の大学同期生が釜石に在住。
地域復興の最前線におります。
彼からのメールがだんだん失望(この国に対して)していくコメントが多くなっていることに気づきました。
彼等の声すら拾えなくなっているのか。
また焦りが顔を出しております。
「まぁこんなもの」
貴殿はこう言うかもしれませんね。
隅々の声はこうした場所から生まれてくるのかも知れませんね。
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見張り員さんへ (酔漢です)
2012-09-14 17:58:31
あれほどの松林ではありませんが、自身の好きだった場所の松林もすっかり失われました。
祖父もその場所で遊んでいた。そんな場所です。
本当に素敵な海だったんですよ。
今はボランティアの方達植えた向日葵の色が映えております。
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