酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

接点 ふたりの科学者。それから・・・続 寺田の言葉

2012-05-11 11:11:32 | 東日本大震災
「『日本の鉄道が安全だ』と思われているのには疑問が残る」
上記はシティラピッド君の発言。
「何故?」
「世界で一番鉄道事故が多かったから、今はそうなっているだけ」

「なるほど」と考えました。

運輸に関する事故調査は、その人命を失うリスクが大きいことから、その原因は徹底的に調査されます。
おそらく、我が国での最初の例を寺田が上げております。
寺田自身が「近年で実に胸のすくほど愉快に思った・・」と語っております。

日本航空輸送会社の旅客飛行機白鳩号しろはとごうというのが九州の上空で悪天候のために針路を失して山中に迷い込み、どうしたわけか、機体が空中で分解してばらばらになって林中に墜落した事件について、その事故を徹底的に調査する委員会ができて、おおぜいの学者が集まってあらゆる方面から詳細な研究を遂行し、その結果として、このだれ一人目撃者の存しない空中事故の始終の経過が実によく手にとるようにありありと推測されるようになって来て、事故の第一原因がほとんど的確に突き留められるようになり、従って将来、同様の原因から再び同様な事故を起こすことのないような端的な改良をすべての機体に加えることができるようになったことである。(寺田寅彦「災難雑考」より抜粋)

この飛行機事故は当時大々的に報道されております。
もちろん「事故調査委員会」などという組織はございません。「この原因を突きとめるまでに主としてY教授によって行なわれた研究の経過は・・」と、寺田は紹介しておりますが、ものの解説によりますとその「Y教授」というのは当時、帝大教授「岩本周平」ではないかと言われております。(飛行船研究の第一人者と酔漢は理解しておりますが・・)
そのY教授は、事故の内容を、墜落した飛行機の破片を全て集めることから始め、それを手作業で一つづつ組み立てて行きます。
その作業は非常に困難であり、また膨大な精神力と労力を使うことは、容易に知る事ができます。
破片から一機の飛行機を再現し、原因追究を行う。
壊れた状態を組み立てる事で、壊れた箇所の順番を想定し想像いたしたわけです。
ある事柄の事象を検証する際現在では、その危機管理想定の中の一つの手法として「逆演算方式」という発想がありますが、正にそれを昭和初期に実践している形を取っているわけです。
しかして、Y教授は、完成されたモデルから立てた仮設を基に、個々の部品等を含めて実験を開始致します。


そうしてその機材の折れ目割れ目を一つ一つ番号をつけてはしらみつぶしに調べて行って、それらの損所の機体における分布の状況やまた折れ方の種類のいろいろな型を調べ上げた。折れた機材どうしが空中でぶつかったときにできたらしい傷あとも一々たんねんに検査して、どの折片がどういう向きに衝突したであろうかということを確かめるために、そうした引っかき傷の蝋形ろうがたを取ったのとそれらしい相手の折片の表面にある鋲びょうの頭の断面と合わしてみたり、また鋲の頭にかすかについているペンキを虫めがねで吟味したり、ここいらはすっかりシャーロック・ホールムスの行き方であるが、ただ科学者のY教授が小説に出て来る探偵たんていとちがうのは、このようにして現品調査で見当をつけた考えをあとから一々実験で確かめて行ったことである。それには機材とほぼ同様な形をした試片をいろいろに押し曲げてへし折ってみて、その折れ口の様子を見てはそれを現品のそれと比べたりした。その結果として、空中分解の第一歩がどこの折損から始まり、それからどういう順序で破壊が進行し、同時に機体が空中でどんな形に変形しつつ、どんなふうに旋転しつつ墜落して行ったかということのだいたいの推測がつくようになった。しかしそれでは肝心の事故の第一原因はわからないのでいろいろ調べているうちに、片方の補助翼を操縦する鋼索の張力を加減するためにつけてあるタンバックルと称するネジがある、それがもどるのを防ぐために通してある銅線が一か所切れてネジが抜けていることを発見した。それから考えるとなんらかの原因でこの留めの銅線が切れてタンバックルが抜けたために補助翼がぶらぶらになったことが事故の第一歩と思われた。そこで今度は飛行機翼の模型を作って風洞ふうどうで風を送って試験してみたところがある風速以上になると、補助翼をぶらぶらにした機翼はひどい羽ばたき振動を起こして、そのために支柱がくの字形に曲げられることがわかった。ところが、前述の現品調査の結果でもまさしくこの支柱が最初に折れたとするとすべてのことが符合するのである。こうなって来るともうだいたいの経過の見通しがついたわけであるが、ただ大切なタンバックルの留め針金がどうして切れたか、またちょっと考えただけでは抜けそうもないネジがどうして抜け出したかがわからない。そこで今度は現品と同じ鋼索とタンバックルの組み合わせをいろいろな条件のもとに週期的に引っぱったりゆるめたりして試験した結果、実際に想像どおりに破壊の過程が進行することを確かめることができたのであった。要するにたった一本の銅線に生命がつながっていたのに、それをだれも知らずに安心していた。そういう実にだいじなことがこれだけの苦心の研究でやっとわかったのである。さて、これがわかった以上、この命の綱を少しばかり強くすれば、今後は少なくもこの同じ原因から起こる事故だけはもう絶対になくなるわけである。

寺田がシャーロック・ホームズを知っていた。これには少し驚きましたが。(尤も、ロンドン留学の長かった夏目漱石門下であるわけで、その手の情報は入っていても不思議ではないのですが・・)
これは、現在にも置き換えられる事故調査の「いろは」であろうと考えます。
そして、もう一つ、これは先にも語ったところですが、「原因追究」と「責任追及」は別の視点で語られる必要性も説いているように思えてきます。
話しは少しばかり逸れてしまいますが、(これは、社内、「危機管理」の参考書として紹介されておりますが)「リスク・ホメオスタシス理論」というのがございます。少しばかりご紹介いたします。
クイーンズ大学「ジェラルド・ワイルド」教授がこの理論を確立させ、日本では立教大学「芳賀繁」教授が第一人者でございます。
ジエラルド教授は「車がどんなに進歩しようと事故率は変わらない」とし、同様に芳賀教授は、自動車安全装置を引き合いにしてこう論じておられます。

システムがカバーするエリア外に出たときやシステムが故障したときなど運転者がシステムによる支援を受けられない状況になったとき行動の混乱が生じる可能性がある。行動の混乱の例としては、システムに依存した運転者が、システムがカバーするエリア外に出た事に気づかずに適切な速度に調節することが出来ないことがあげられる。
(「自動車運転支援システム導入に伴う負の適応。ヒューマンエラー防止の取り組みについて」立教大学 芳賀繁 教授 論文より抜粋)


ある飛行機事故を思い出します。これは奇跡の生還として有名な話なのですが、「燃料漏れのエラーメッセージが出ているのにも関わらず、それを計器で確認しても、エラーが出ておらず(結果、計器のエラー)誤報、誤作動と判断し、そのまま飛行を続けて、結果燃料不足の発見が遅れ、不時着した」というものです。
どのエラー報告を信用するのか、これは機長の判断だったわけですが、「こんなことは想定されていない」と信じた為にこうのような結果になった訳です。幸い、乗客、乗員共に無事であり、マスコミも機長の判断を評価しておりましたが、まさしく、芳賀教授がお話しされていることと同じエラーが発生しているわけです。
安全対策が機能していない。こういう事ではなくて「安全になったが為にあらたな危険が生じている」という事なのです。その対処の方法は芳賀教授が詳しく分析されておられます。
多方面からシステム、そして人間の心理作用をも含めてヒューマンエラーを検証しておられる芳賀教授の結論をかいつまんでお話しいたしますと、「人間の心理、(ストレス、信頼感)に即した、メカニズムの検証とシステム構築」と言ったところである。こう酔漢は解釈をいたしました。

寺田の言葉に戻ります。

上記は、マニュアル人間の弱点を突いた事例として語りたいところです。
酔漢のいう「マニュアル人間」とは、自身の経験に基づいた「マニュアル」ではなくて、「外から与えられた、自分で消化していない(活字だけの)マニュアルを芳信している人間」と定義してもよかろうと考えます。「頑なにマニュアルを信じ、マニュアル主義的な行動を取る人間」こうお話しすればお分かり頂けるのではないのでしょうか。
寺田は「火事教育」(昭和8年1月 白木屋火災の報に触れた、寺田の論説文)の中でこう話しております。

漠然たる概念でもよいから、一度確実に腹の底に落ちつけておけば、驚くには驚いても決して極度の狼狽から知らず知らず取り返しのつかなぬ自殺的行動に突進するようなことはなくてすむ。

外からのマニュアルを過信する、あるいは頼り切る。こうした行動の危険性を語っているものと解釈致します。
マニュアルから逸脱した現象を捉える、目撃した途端に思考が停止状態に陥り、何も対処できないでいる。
このことへの警鐘であると理解できます。
「マニュアルがおかしいのではないか」結果、これが歴史的に後に分かった事となるとはいえ、その状況では全く飲み込むことが出来ない。
事故が発生したときにその弱点(人間の心理あんおでしょうが・・)一揆に露呈することとなる。
何が問題なのか。
外部マニュアルを頼るからであると考えます。
では、どう対処するのか。
自身のマニュアル。内部マニュアルを持つことであろうと考えます。
自身の行動を決定できる判断材料となるべく内部マニュアルを持つ事であろうと考えます。
では、内部基準をどうやって養っていくことができるのか。
寺田は教育にあると話しております。
同「火事教育」は、正に、これが本論であると考えます。

根本的対策としては小学校教育ならびに家庭教育において児童の感受性ゆたかなる頭脳に、鮮明なるしかも持続性ある印象として火災に関する最重要な心得の一般を固定させるよりほかに道はない

果たして、例えば、交通教育なるものがあります。「こうすれば安全」がテーマの中心になることが多いように思えます。
筑波大学の野外活動には多くの児童が参加いたします。
最初にボランティアである酔漢(大学時)達に話されることは、「どうしたら安全に生活できるのか」という教え発言は控えて「どうなったら危険な状況なのか」こう話さないと、こどもは真剣に聞かないし、安全に生活する術を学ばなくなる。
こうでした。
「どうしたら、どうやったらから危険な状況になったのか」
これを一人一人、一つづつ、一つづつ、子供達に話して聞かせることが必要なのです。
これは酔漢の経験から、正しい教育だと信じます。
ですが、どうもこうはなっていない。
「マニュアルがこうだから、こうしておけば安心」的な話が多い。
自分自身の判断を妨げているような、そんな話ばかりなのです。
以前、伝承の話を語りましたが、それを、この視点から今一度読み返しますと、教訓というものは、「ああしたから、こんな目にあった」的な話が殆どなのです。
ですから、その(恐怖心かもしれませんが・・)話が代々伝わっていく。
「地震が発生し机の下にもぐる」行動としてはある一面正しい部分かもしれません。
これを先に教えるのではないのです。
これをマニュアルにすると大変危険です。
子供たちにはこう話す方がよりいいのかもしれません。
「大きな地震が発生すると壁が崩れ、天井が落ちてくる」
そうして、子供たちに考えさせ、その対処法をいくつか列挙し、事例を説明する。
子供たちは自身でこうした事に対応する知恵(自分のマニュアル)と作っていく。
これが安全教育の根本だと考えます。

どうも、今日は教育論になってしまいましたが、(これが本論ではないのですけど・・・)
この自身のマニュアルの欠如が、この震災でいたるところで露呈した事実が多々あるわけです。
原発事故は、多方面からの要因によって発生した事故です。
ですが、一つの側面からは「内部マニュアルが欠如した大人が多かった」
こう申し上げてもよかろうかと考えます。

「続き」の「続き」とはなりますが、もう少し、語らせて下さい。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 午前7時44分 J-WAVE発 | トップ | まずは、えがった。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東日本大震災」カテゴリの最新記事