「しまった!奴の真上じゃねぇか!」
高速で移動する一本煙突のクルーザー。その砲は殆ど真上を向いております。
ホーネット隊のアベンジャーを操るロバート・レーガン大尉です。戦闘中の混乱の中で、自身の機がベニントン隊の中にいることに気付いたのです。本隊に戻ることばかりに気をとられていたのでした。
「あのクルーザーだ!『真上に行くと危ない奴』だ。そして、俺は今、奴の真上にいる」
彼は、咄嗟に急降下爆撃を試みる決意をしました。
45度以上の急降下。しかし、その瞬間、機体に大きな衝撃を受けます。
「やれれた!爆弾庫か!」
4発を投了します。が、いずれも海上でした。
機体には大きな穴が開いております。(穴が開いている状態でパイロットが無事。しかも通常に飛行が可能。アメリカの戦闘機がいかにタフであったか)
「クラレンス。写真は撮ったのか・・・おい!クラレンス!」
後部座席にいるクラレンス・コナーからは何の応答もありません。
「本当に奴の対空砲は・・・真上を飛んでしまった俺の失敗だ」
幸い燃料は漏れていません。レーガンは帰還を決意するのでした。
「冬月」は大和より後方の右舷。激しい対空砲を打ち上げておりました。
「クソ!機銃が当たらんではないか!」
「涼月」芦沢嘉幸通信士が悠々と飛んでくる敵爆撃機を歯ぎしりをしながら見ておりました。(芦沢嘉幸中尉です。本来は通信士ですが、右舷機銃群の指揮官でもありました)
確かに敵は巧妙な攻撃を仕掛けております。
敵は少数ごとの編隊でやって来て、爆撃を最初に行い、爆撃隊が去ったそばから雷撃を行う。雷爆混合の攻撃方法を取ってきます。しかも、機銃掃射を必ず行ってきます。
確かにこれまで経験したことのないような敵の空襲ですが、それにしても、こちらの機銃が敵に当たりません。
「弾幕効果だけでは意味がない!」
実射訓練が不十分であったことが、ここに来て影響しているのでした。
「レイテの時以上の空襲だ」
芦沢中尉は、敵機を見ながらこう実感しているのでした。
「原田機関長。頭の上は凄い音ですね」
涼月の腹の中。機関科指揮所内です。機械の音が凄まじく響いている中、それでも対空砲の音がここまではっきり聞こえてきます。
「早田掌機長。よく冷静でいられるな」
「機関長、この艦は大丈夫です。いままでと状況が一緒ですから。沈んだりしません」
原田機関長は、この場においても笑顔すら見せる掌機長早田少尉を部下として頼もしくも思うのでした。
早田掌機長は、涼月就航以来のベテラン。涼月の沈没を何度も防いだ乗員の一人でした。
昭和十九年一月十五日。呉で修理を終えた涼月は宇名を出港。翌日敵の雷撃を受けます。
「何度も全速前進。面舵イッパイ。が次々と発令されて、機関科も右往左往でした」と平然と当時の事を話す早田掌機長でした。が、結果二発の魚雷を喰らいました。
司令、艦長以下百五十三名が戦死。便乗していた陸軍の兵九十九名も戦死されておられます。当時の機関長は重症。涼月は艦首、艦尾を失って、艦としての機能といえば、罐室が一基と機械室が残る状態でした。全く「浮いた鉄クズ」だったのです。
「初月」の気転もあり潜水艦の襲撃をさけ、防備隊によって曳航。半年の修理を受け戦列に復帰しております。このとき、艦機関の一切を若い掌機長早田少尉が指揮したのでした。
この時の乗員が涼月には多数残っているのです。
「涼月不沈」は彼等の合言葉になっていたのでした。そして「俺達は絶対に涼月を沈めない」彼等の自信でもありました。
涼月はいままでの作戦行動で、二回ほど大きな被害をうけた。(中略)だが、二回とも乗員の沈着な処置によって、艦を沈没から守り抜き、この経験によって、涼月不沈が乗員の強い信念となっていたのである。(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
バターン隊はそのヘルキャットに500ポンド爆弾をニ発搭載しております。うち12機が廻りの駆逐艦へ攻撃を開始しております。もともとヘルキャットは爆撃機ではなく戦闘機。ですが、彼等は果敢にも急降下爆撃を実施します。
「おい、あのクルーザーがさっきからうるさい!黙らせるんだ!」
ウォルター・トリッグ中尉は、この足の恐ろしく速い機を操り、「真上に行くと危ない奴」へと向いました。
「度胸のある奴だけついて来い!他はあの『ちっちゃい奴』(=霞です)をやれ!」
13時9分。彼と他2機はヘルキャットにしては無謀とも思える55度の急降下で、「真上に行くと危ない奴」へと向いました。
彼は激しい対空砲をかいくぐり二発投下します。もう一機は一旦対空砲をさけ旋廻した後投下しました。
「ビンゴ!」ウォルター・トリッグ中尉は爆弾が命中したことを確認したのでした。
「それにしても、奴の対空砲に当たらなかったのは、俺は、運がいいだけだったんだ。こいつに急降下爆撃をやったんだから、他の奴等より勲章のランクは上げてもらいたいものだぜ」命拾いをした。彼の本音だったのでした。
彼等の投下した爆弾は、艦橋前部に命中し、あとの三発は至近弾となっています。爆弾は二番砲塔を貫通した後、爆発(バターン隊が徹甲弾を搭載していた証拠です)します。艦橋と二番砲塔付近右舷に大穴が開けられました。そして、二番弾庫が浸水。三罐のうち一罐のバルクヘッドで止まっています。これにより涼月は前進を諦めざるを得ませんでした。
ドカァァ-ン!
原田機関長はその瞬間機関指揮室の壁に全身をたたきつけられました。
ブーーーー!
非常警報装置がけたたましく鳴り続けております。同時に全ての電燈が消えます。指揮室内は暗闇となりました。
「どうした!報告!」原田機関長はありったけの声で叫ぶのでした。
「一罐室浸水!」
「早田掌機長!被害状況を報告せよ!指揮室からでは状況が分からん」
艦の震動がやや収まりかけたとき、罐部指揮官、古前中尉(名不明)から次々と報告が入ります。
「一罐室前部隔壁亀裂損傷!一罐室浸水!」
「一罐室浸水増大。止まりません!排水不能!一、ニ号罐室汽醸不能!」
「乗員は?」この情報が早く欲しい原田機関長です。
「一罐室在室不可能。人員全員異常なし!人員全員異常なし!一罐室員をニ罐室へ移動!」
この報告を受け、一安心した機関長です。
一、二号罐の蒸気圧が、どんどんさがっていく。残ったのはニ罐室の三号罐一つだけとなった。ニ罐室はどうしても守らなければならない。
(原田周三 涼月機関長 証言抜粋)
「機関長!戻りました!」早田掌機長が全身ずぶ濡れで機関指揮室へ戻ってきました。
「艦橋前部右舷に被弾です。艦長は防空指揮所にいて無事。指揮を取っております。倉橋先任将校も無事。前甲板に火災が起き、鎮火していません。そして、艦前部に浸水。増大しております」
冷静に状況を把握し、少しも慌てていない早田掌機長の顔を見つめている原田機関長です。
その冷静さがかえって心配にもなるのですが。
「機関長、この艦は大丈夫です。いままでと状況が一緒ですから。沈んだりしません」
いつもと同じ早田掌機長の台詞が返ってくるのでした。
現場へと急行する応急班の面々も口々に「あの時と一緒だ。まだ大丈夫だ。」と言っています。「涼月は沈まない」原田機関長は部下達から勇気をもらった気持になったのでした。
そして次に思ったのは艦橋が無事であろうかとその事でした。
牛島航海士は、爆弾が着弾した瞬間、森田賢治少尉(水測士)とともに吹き飛ばされました。至近弾の起す真っ黒い波で全身ずぶ濡れとなりました。「艦橋は!無事か!」艦長と先任将校は防空指揮所で奮戦中の姿を見てまずは安心しました。しかし、一度艦橋へ入ると生存者は一人もいない状況でした。上妻兵曹は顔の半分を吹き飛ばされ絶命。他は身元が分からないほど戦死者で溢れております。
「軍医長!軍医長!」牛島航海士は叫んでおります。士官室(応急の治療室)から軍医長が転がるように出てきました。
「軍医長。無事・・・・・」とその言葉を飲み込んだ牛島航海士です。意識ははっきりしているものの、腹部から大量の出血。その直後、絶命しました。
平山艦長が倉橋先任将校と一緒に防空指揮所から降りてきました。
「最早、戦闘することは不可能。艦の防火、防水に全力を挙げよ」
その直後。
「艦長!大和が向って来ます!」
「何!大和だと!」
輪形陣がくずれたとはいえ、大和がこんなにも至近にいるとはだれも気付きませんでした。
「回頭は不可能だ。後進イッパァァーイ」
艦橋からの伝声管が破壊され、伝令員が機関室へ走りました。
「後進イッパイ!後進イッパイ!」
「上では何があったんだ!」原田機関長は上で何が起きているか分からず、必死の操作を行いました。運転下士官をはじめ、全ての者が操舵弁へとしがみつき、ハンドルを死に物狂いで操作を始めます。
「まずい!大和とぶつかるゾ!」
しかし、後進が間に合います。艦首と手の届くところまで来た大和ですが、衝突は避けられました。
大和との正面衝突を避けるため、後進いっぱいの緊急指令があったのは被弾後まもないころであった。後進いっぱいとは、艦が緊急の場合、寸秒をあらそって後進の全力をだせとの指令である(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
動かなくなった涼月に興味を失ったのか、米軍戦闘機はその後激しい爆撃、雷撃を涼月には行ってきませんでした。
「砲弾、魚雷を投棄する」平山艦長が下令しました。
「武器を捨てることがどういう事を意味するか・・・先任将校・・判るな!」
倉橋先任将校は平山艦長の顔を見つめます。
「消化班と投棄班とに分けます」
手動で砲弾を運び出し、バケツリレーと同じ方法で砲弾を海中に投棄します。これと同時に消化も必死で進められました。が火災は消えません。
森田賢治少尉は、自ら志願して消化へ加わります。弾薬庫内へ飛び込みました。艦橋直下から重油が漏れています。火災の原因とは判るものの、今重油を止める手立てはありませんでした。
涼月は後進のまま作業を続けます。
「芦沢通信士(芦沢嘉幸中尉、涼月では通信士兼右舷機銃群指揮官)佐世保と連絡は取れぬか?」
「艦橋通信施設が破壊されています、後部通信機が使えるか・・行ってきます」
予備の通信機を宛てにしますが、出力が足りません。ですが、ここしか通信の手段はなかったのでした。芦沢中尉は必死に連絡をとろうと致します。周りに僚艦は全く見えません。この作戦がどうなったか、知る術も持たない涼月でした。平山艦長は佐世保へ帰ることを決断したのでした。
すさまじかった対空戦闘が終わり、機関の応急処置も一段落したころ、私は上甲板にあがってみた。上甲板はもうもうたる煙に覆われていた。前甲板の火災は、防火隊員の必死の消火作業にもかかわらず、なかなか消えそうにない。
右舷の舷側は大きくめくれて、破孔が口をあけていた。艦は大きく前にかたむき、前甲板は波に洗われようとしていた。予想以上の惨憺たる光景であった。
艦長は、艦橋から後甲板へ移動していた。そばには砲術長(先任将校)倉橋少佐、航海長吉岡大尉の顔もみえた。だれの顔も汗と油にまみれて、今日の苦闘を物語っていたが、その目はなおも不屈の闘志にもえていた。
(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
機関科応急員は残った一つの罐室を必死で守っていました。浸水を防ぐべく応急材としての丸太を壁面に押し当てたまま、黒こげになった状態で絶命している者もありました。(史料を調査しましたが、氏名が分かりませんでした)この壁面補強のお蔭で、最後の罐が爆発せずにすんでいたのでした。壮絶なる責任感です。
「涼月不沈」は彼等のその強い責任感と献身的な崇高な志に支えられていたのです。
「さて、どうしたら佐世保までたどり着けるのか」平山艦長は途方にくれております。
「機関はなんとか機関長以下が奮戦しております。ですが方向が分かりません」松岡洋ニ操舵長の返答です。艦橋にあるコンパスが全て破壊されている状態です。
「後進しかないか。そして方向はどうしたら・・・」
「艦長、のこった短艇の羅針盤を使いましょう。あらかた方向が分かります」
「短艇か。残しておいてよかったな」
「本当ですね」
短艇から羅針盤を取り、後部指揮所へ設置します。これでも方角が不明なところは士官の時計の磁石を使います。ありたっけの道具を使いました。
舵取装置も、転輪羅針儀も故障していた。艦の針路をたもつには、応急員による人力操舵と、誤差の多い磁気コンパスにたよるほかはなかった。そのうえ、数百枚あった海図も、全て焼失していたのである。(中略)佐世保までの航程はおおよそニ○○マイルたらずと推定されたが、満身創痍の涼月にとって、前途は、まさに多難であった。しかも途中の海面には、敵の潜水艦がしきりに出没していた。(中略)「後進で行こう。機関長、たのむぞ」後甲板で、艦長は私の手を強く握った。私は身の引き締まるような重責を感じながら、機関科指揮所へ降りていった。(原田周三 涼月機関長 手記より抜粋)
「掌機長、後進でしか進む道はないんだ」
「後進ですか。機関長大丈夫です。涼月は佐世保までたどり着けます。いやたどり着かせて見せます。機関長大丈夫です。いままでと状況は一緒ですから、涼月は沈みません」
最後まで「涼月不沈」なのです。
後進原速でしばらく進み、各部の状況を確認した後、後進強速へ、さらに黒ニ○まで増速された。後進強速は後進の速力区分では最高の出力だ。黒ニ○とは、後進強速の回転数にニ○回転プラスすることであるから、ほとんど後進の全力に近い回転数である。後進の全力近い回転数で長時間運転することは、機関科員にとっても、はじめてのことであった、しかし、五○名の機関科員は強い自信をもって、取り組んでいた。優秀な技量と、不屈の精神力とがその自信を支えていた。(原田周三 涼月機関長 手記より抜粋)
「艦長、佐世保と連絡が取れました!」芦沢中尉は徹夜で通信室で基地との連絡を取っていたのでした。四月八日夜明けのことでした。海流へ乗り、敵潜水艦の襲撃もなかったことで佐世保は直ぐ近くでした。
「九州で漁師出身の者、後甲板へ集合せよ」
「艦長、本当にいるんですか?」倉橋先任将校が信じられないといった顔つきで聞き返すのでした。
「いれば、助かるだろ!・・・ほらいるじゃないか!」
確かに、数名この命令に反応した者が後甲板に集まりました。
「どうだ、佐世保へは帰られるか?」
「この潮の流れに乗っていけば、九州へはたどり着けるはずです」
若い兵が元気よく答えました。
後進で九ノット足らず。しかし、確実に九州を目指して進んでいます。
朝方、駆逐艇一隻が迎えに来ました。
「ワレキカンノソクホウヲゴエイス」
信号です。艦上では大きな声が沸きあがりました。そして水上偵察機が一機直衛に。
午後二時、佐世保鎮守府の建物が見えてきました。
「腹が減ったな」
皆が甲板で泣いているその時、出た言葉がそうでした。森田少尉(水測士)は本当に腹が減っていたのでした。
「昼食はカレーだそうです」
早耳の若い下士官がそう言っているのを聴きました。
「よく、材料が残っていたものだ」本当だとしたら何よりのご馳走には違いありません。
「肉か・・・期待はしない・・・」
この食事にありつけるだけでも喜びには違いありません。ですが、多くの仲間達が死んでいったのです。
「奴等と一緒に食いたかった」
岩壁には大勢の兵、将校が出迎えに来ておりました。涼月は大勢の見ている前でブイを取ります。
通信士芦沢中尉は倉橋先任将校とともに、後部指揮室で即席のカレーライスを食べようとしました。が、
カレーの皿がテーブルを走り出しました。
「艦が傾いている!」
二人とも、カレーを食べる間もなく甲板へ駆け上がります。ドックへ入ったとたんに浸水したのです。
「全員上がれ!」
ドックの壁を登る者。飛び込んで泳ぐ者もおりました。
「ここまで来てなんで泳がなくてはならないんだ!」
結局、カレーにありつけた者はごくわずかだったのです。
両舷停止、艦の行き足を止めて、ブイに係留をはじめた。と思う間に、艦首が急速に沈みはじめるのを感じた。けたたましいサイレンを鳴らして駆けつけた曳船に抱きかかえられるようにして、涼月の船体はドックに運ばれた。ドックの扉を閉め排水が始まり涼月の船体は船台の上に落ち着いた。
(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
艦内の排水が終わり各区画の調査が行われます。
罐室の中では三名の応急員が持ち場のまま絶命しているのが見つかりました。彼等は蒸気の熱気を全身に浴びながらそのままの姿勢で戦死しておりました。探信儀についていた兵はハンドルを握ったままこと切れておりました。
「機関長大丈夫です。いままでと状況は一緒ですから、涼月は沈みません」
戦後、原田機関長は早田掌機長の言葉が本当のことだと実感したのでした。
「涼月ほどの不沈艦は世界に類をみなかった」倉橋友二郎さん(砲術長。先任将校)は事ある度にそう申しておりました。酔漢はその言葉を生で聴いた一人でございます。
涼月は今僚艦冬月とともに若松港を守る防波堤として健在です。玄界灘の大波から港を守るそれは、姿こそ違え自慢の六十五口径十サンチ砲を波に向って発射しているようにも見られます。平成の世になっても「涼月不沈」のままなのです。
その姿を真上の月が照らしておりました。
追伸
6月17日捕捉
「海軍カレー」につきまして、当ブログからリンク出来ます「トム様」のブログ「アッと乱ダム」にて「大和ミュージアム」レストラン内「海軍カレー」の記事がございます。
そちらへも行ってみてください。ご紹介いたします。
海軍・激闘カレー
是非ご覧下さい
高速で移動する一本煙突のクルーザー。その砲は殆ど真上を向いております。
ホーネット隊のアベンジャーを操るロバート・レーガン大尉です。戦闘中の混乱の中で、自身の機がベニントン隊の中にいることに気付いたのです。本隊に戻ることばかりに気をとられていたのでした。
「あのクルーザーだ!『真上に行くと危ない奴』だ。そして、俺は今、奴の真上にいる」
彼は、咄嗟に急降下爆撃を試みる決意をしました。
45度以上の急降下。しかし、その瞬間、機体に大きな衝撃を受けます。
「やれれた!爆弾庫か!」
4発を投了します。が、いずれも海上でした。
機体には大きな穴が開いております。(穴が開いている状態でパイロットが無事。しかも通常に飛行が可能。アメリカの戦闘機がいかにタフであったか)
「クラレンス。写真は撮ったのか・・・おい!クラレンス!」
後部座席にいるクラレンス・コナーからは何の応答もありません。
「本当に奴の対空砲は・・・真上を飛んでしまった俺の失敗だ」
幸い燃料は漏れていません。レーガンは帰還を決意するのでした。
「冬月」は大和より後方の右舷。激しい対空砲を打ち上げておりました。
「クソ!機銃が当たらんではないか!」
「涼月」芦沢嘉幸通信士が悠々と飛んでくる敵爆撃機を歯ぎしりをしながら見ておりました。(芦沢嘉幸中尉です。本来は通信士ですが、右舷機銃群の指揮官でもありました)
確かに敵は巧妙な攻撃を仕掛けております。
敵は少数ごとの編隊でやって来て、爆撃を最初に行い、爆撃隊が去ったそばから雷撃を行う。雷爆混合の攻撃方法を取ってきます。しかも、機銃掃射を必ず行ってきます。
確かにこれまで経験したことのないような敵の空襲ですが、それにしても、こちらの機銃が敵に当たりません。
「弾幕効果だけでは意味がない!」
実射訓練が不十分であったことが、ここに来て影響しているのでした。
「レイテの時以上の空襲だ」
芦沢中尉は、敵機を見ながらこう実感しているのでした。
「原田機関長。頭の上は凄い音ですね」
涼月の腹の中。機関科指揮所内です。機械の音が凄まじく響いている中、それでも対空砲の音がここまではっきり聞こえてきます。
「早田掌機長。よく冷静でいられるな」
「機関長、この艦は大丈夫です。いままでと状況が一緒ですから。沈んだりしません」
原田機関長は、この場においても笑顔すら見せる掌機長早田少尉を部下として頼もしくも思うのでした。
早田掌機長は、涼月就航以来のベテラン。涼月の沈没を何度も防いだ乗員の一人でした。
昭和十九年一月十五日。呉で修理を終えた涼月は宇名を出港。翌日敵の雷撃を受けます。
「何度も全速前進。面舵イッパイ。が次々と発令されて、機関科も右往左往でした」と平然と当時の事を話す早田掌機長でした。が、結果二発の魚雷を喰らいました。
司令、艦長以下百五十三名が戦死。便乗していた陸軍の兵九十九名も戦死されておられます。当時の機関長は重症。涼月は艦首、艦尾を失って、艦としての機能といえば、罐室が一基と機械室が残る状態でした。全く「浮いた鉄クズ」だったのです。
「初月」の気転もあり潜水艦の襲撃をさけ、防備隊によって曳航。半年の修理を受け戦列に復帰しております。このとき、艦機関の一切を若い掌機長早田少尉が指揮したのでした。
この時の乗員が涼月には多数残っているのです。
「涼月不沈」は彼等の合言葉になっていたのでした。そして「俺達は絶対に涼月を沈めない」彼等の自信でもありました。
涼月はいままでの作戦行動で、二回ほど大きな被害をうけた。(中略)だが、二回とも乗員の沈着な処置によって、艦を沈没から守り抜き、この経験によって、涼月不沈が乗員の強い信念となっていたのである。(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
バターン隊はそのヘルキャットに500ポンド爆弾をニ発搭載しております。うち12機が廻りの駆逐艦へ攻撃を開始しております。もともとヘルキャットは爆撃機ではなく戦闘機。ですが、彼等は果敢にも急降下爆撃を実施します。
「おい、あのクルーザーがさっきからうるさい!黙らせるんだ!」
ウォルター・トリッグ中尉は、この足の恐ろしく速い機を操り、「真上に行くと危ない奴」へと向いました。
「度胸のある奴だけついて来い!他はあの『ちっちゃい奴』(=霞です)をやれ!」
13時9分。彼と他2機はヘルキャットにしては無謀とも思える55度の急降下で、「真上に行くと危ない奴」へと向いました。
彼は激しい対空砲をかいくぐり二発投下します。もう一機は一旦対空砲をさけ旋廻した後投下しました。
「ビンゴ!」ウォルター・トリッグ中尉は爆弾が命中したことを確認したのでした。
「それにしても、奴の対空砲に当たらなかったのは、俺は、運がいいだけだったんだ。こいつに急降下爆撃をやったんだから、他の奴等より勲章のランクは上げてもらいたいものだぜ」命拾いをした。彼の本音だったのでした。
彼等の投下した爆弾は、艦橋前部に命中し、あとの三発は至近弾となっています。爆弾は二番砲塔を貫通した後、爆発(バターン隊が徹甲弾を搭載していた証拠です)します。艦橋と二番砲塔付近右舷に大穴が開けられました。そして、二番弾庫が浸水。三罐のうち一罐のバルクヘッドで止まっています。これにより涼月は前進を諦めざるを得ませんでした。
ドカァァ-ン!
原田機関長はその瞬間機関指揮室の壁に全身をたたきつけられました。
ブーーーー!
非常警報装置がけたたましく鳴り続けております。同時に全ての電燈が消えます。指揮室内は暗闇となりました。
「どうした!報告!」原田機関長はありったけの声で叫ぶのでした。
「一罐室浸水!」
「早田掌機長!被害状況を報告せよ!指揮室からでは状況が分からん」
艦の震動がやや収まりかけたとき、罐部指揮官、古前中尉(名不明)から次々と報告が入ります。
「一罐室前部隔壁亀裂損傷!一罐室浸水!」
「一罐室浸水増大。止まりません!排水不能!一、ニ号罐室汽醸不能!」
「乗員は?」この情報が早く欲しい原田機関長です。
「一罐室在室不可能。人員全員異常なし!人員全員異常なし!一罐室員をニ罐室へ移動!」
この報告を受け、一安心した機関長です。
一、二号罐の蒸気圧が、どんどんさがっていく。残ったのはニ罐室の三号罐一つだけとなった。ニ罐室はどうしても守らなければならない。
(原田周三 涼月機関長 証言抜粋)
「機関長!戻りました!」早田掌機長が全身ずぶ濡れで機関指揮室へ戻ってきました。
「艦橋前部右舷に被弾です。艦長は防空指揮所にいて無事。指揮を取っております。倉橋先任将校も無事。前甲板に火災が起き、鎮火していません。そして、艦前部に浸水。増大しております」
冷静に状況を把握し、少しも慌てていない早田掌機長の顔を見つめている原田機関長です。
その冷静さがかえって心配にもなるのですが。
「機関長、この艦は大丈夫です。いままでと状況が一緒ですから。沈んだりしません」
いつもと同じ早田掌機長の台詞が返ってくるのでした。
現場へと急行する応急班の面々も口々に「あの時と一緒だ。まだ大丈夫だ。」と言っています。「涼月は沈まない」原田機関長は部下達から勇気をもらった気持になったのでした。
そして次に思ったのは艦橋が無事であろうかとその事でした。
牛島航海士は、爆弾が着弾した瞬間、森田賢治少尉(水測士)とともに吹き飛ばされました。至近弾の起す真っ黒い波で全身ずぶ濡れとなりました。「艦橋は!無事か!」艦長と先任将校は防空指揮所で奮戦中の姿を見てまずは安心しました。しかし、一度艦橋へ入ると生存者は一人もいない状況でした。上妻兵曹は顔の半分を吹き飛ばされ絶命。他は身元が分からないほど戦死者で溢れております。
「軍医長!軍医長!」牛島航海士は叫んでおります。士官室(応急の治療室)から軍医長が転がるように出てきました。
「軍医長。無事・・・・・」とその言葉を飲み込んだ牛島航海士です。意識ははっきりしているものの、腹部から大量の出血。その直後、絶命しました。
平山艦長が倉橋先任将校と一緒に防空指揮所から降りてきました。
「最早、戦闘することは不可能。艦の防火、防水に全力を挙げよ」
その直後。
「艦長!大和が向って来ます!」
「何!大和だと!」
輪形陣がくずれたとはいえ、大和がこんなにも至近にいるとはだれも気付きませんでした。
「回頭は不可能だ。後進イッパァァーイ」
艦橋からの伝声管が破壊され、伝令員が機関室へ走りました。
「後進イッパイ!後進イッパイ!」
「上では何があったんだ!」原田機関長は上で何が起きているか分からず、必死の操作を行いました。運転下士官をはじめ、全ての者が操舵弁へとしがみつき、ハンドルを死に物狂いで操作を始めます。
「まずい!大和とぶつかるゾ!」
しかし、後進が間に合います。艦首と手の届くところまで来た大和ですが、衝突は避けられました。
大和との正面衝突を避けるため、後進いっぱいの緊急指令があったのは被弾後まもないころであった。後進いっぱいとは、艦が緊急の場合、寸秒をあらそって後進の全力をだせとの指令である(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
動かなくなった涼月に興味を失ったのか、米軍戦闘機はその後激しい爆撃、雷撃を涼月には行ってきませんでした。
「砲弾、魚雷を投棄する」平山艦長が下令しました。
「武器を捨てることがどういう事を意味するか・・・先任将校・・判るな!」
倉橋先任将校は平山艦長の顔を見つめます。
「消化班と投棄班とに分けます」
手動で砲弾を運び出し、バケツリレーと同じ方法で砲弾を海中に投棄します。これと同時に消化も必死で進められました。が火災は消えません。
森田賢治少尉は、自ら志願して消化へ加わります。弾薬庫内へ飛び込みました。艦橋直下から重油が漏れています。火災の原因とは判るものの、今重油を止める手立てはありませんでした。
涼月は後進のまま作業を続けます。
「芦沢通信士(芦沢嘉幸中尉、涼月では通信士兼右舷機銃群指揮官)佐世保と連絡は取れぬか?」
「艦橋通信施設が破壊されています、後部通信機が使えるか・・行ってきます」
予備の通信機を宛てにしますが、出力が足りません。ですが、ここしか通信の手段はなかったのでした。芦沢中尉は必死に連絡をとろうと致します。周りに僚艦は全く見えません。この作戦がどうなったか、知る術も持たない涼月でした。平山艦長は佐世保へ帰ることを決断したのでした。
すさまじかった対空戦闘が終わり、機関の応急処置も一段落したころ、私は上甲板にあがってみた。上甲板はもうもうたる煙に覆われていた。前甲板の火災は、防火隊員の必死の消火作業にもかかわらず、なかなか消えそうにない。
右舷の舷側は大きくめくれて、破孔が口をあけていた。艦は大きく前にかたむき、前甲板は波に洗われようとしていた。予想以上の惨憺たる光景であった。
艦長は、艦橋から後甲板へ移動していた。そばには砲術長(先任将校)倉橋少佐、航海長吉岡大尉の顔もみえた。だれの顔も汗と油にまみれて、今日の苦闘を物語っていたが、その目はなおも不屈の闘志にもえていた。
(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
機関科応急員は残った一つの罐室を必死で守っていました。浸水を防ぐべく応急材としての丸太を壁面に押し当てたまま、黒こげになった状態で絶命している者もありました。(史料を調査しましたが、氏名が分かりませんでした)この壁面補強のお蔭で、最後の罐が爆発せずにすんでいたのでした。壮絶なる責任感です。
「涼月不沈」は彼等のその強い責任感と献身的な崇高な志に支えられていたのです。
「さて、どうしたら佐世保までたどり着けるのか」平山艦長は途方にくれております。
「機関はなんとか機関長以下が奮戦しております。ですが方向が分かりません」松岡洋ニ操舵長の返答です。艦橋にあるコンパスが全て破壊されている状態です。
「後進しかないか。そして方向はどうしたら・・・」
「艦長、のこった短艇の羅針盤を使いましょう。あらかた方向が分かります」
「短艇か。残しておいてよかったな」
「本当ですね」
短艇から羅針盤を取り、後部指揮所へ設置します。これでも方角が不明なところは士官の時計の磁石を使います。ありたっけの道具を使いました。
舵取装置も、転輪羅針儀も故障していた。艦の針路をたもつには、応急員による人力操舵と、誤差の多い磁気コンパスにたよるほかはなかった。そのうえ、数百枚あった海図も、全て焼失していたのである。(中略)佐世保までの航程はおおよそニ○○マイルたらずと推定されたが、満身創痍の涼月にとって、前途は、まさに多難であった。しかも途中の海面には、敵の潜水艦がしきりに出没していた。(中略)「後進で行こう。機関長、たのむぞ」後甲板で、艦長は私の手を強く握った。私は身の引き締まるような重責を感じながら、機関科指揮所へ降りていった。(原田周三 涼月機関長 手記より抜粋)
「掌機長、後進でしか進む道はないんだ」
「後進ですか。機関長大丈夫です。涼月は佐世保までたどり着けます。いやたどり着かせて見せます。機関長大丈夫です。いままでと状況は一緒ですから、涼月は沈みません」
最後まで「涼月不沈」なのです。
後進原速でしばらく進み、各部の状況を確認した後、後進強速へ、さらに黒ニ○まで増速された。後進強速は後進の速力区分では最高の出力だ。黒ニ○とは、後進強速の回転数にニ○回転プラスすることであるから、ほとんど後進の全力に近い回転数である。後進の全力近い回転数で長時間運転することは、機関科員にとっても、はじめてのことであった、しかし、五○名の機関科員は強い自信をもって、取り組んでいた。優秀な技量と、不屈の精神力とがその自信を支えていた。(原田周三 涼月機関長 手記より抜粋)
「艦長、佐世保と連絡が取れました!」芦沢中尉は徹夜で通信室で基地との連絡を取っていたのでした。四月八日夜明けのことでした。海流へ乗り、敵潜水艦の襲撃もなかったことで佐世保は直ぐ近くでした。
「九州で漁師出身の者、後甲板へ集合せよ」
「艦長、本当にいるんですか?」倉橋先任将校が信じられないといった顔つきで聞き返すのでした。
「いれば、助かるだろ!・・・ほらいるじゃないか!」
確かに、数名この命令に反応した者が後甲板に集まりました。
「どうだ、佐世保へは帰られるか?」
「この潮の流れに乗っていけば、九州へはたどり着けるはずです」
若い兵が元気よく答えました。
後進で九ノット足らず。しかし、確実に九州を目指して進んでいます。
朝方、駆逐艇一隻が迎えに来ました。
「ワレキカンノソクホウヲゴエイス」
信号です。艦上では大きな声が沸きあがりました。そして水上偵察機が一機直衛に。
午後二時、佐世保鎮守府の建物が見えてきました。
「腹が減ったな」
皆が甲板で泣いているその時、出た言葉がそうでした。森田少尉(水測士)は本当に腹が減っていたのでした。
「昼食はカレーだそうです」
早耳の若い下士官がそう言っているのを聴きました。
「よく、材料が残っていたものだ」本当だとしたら何よりのご馳走には違いありません。
「肉か・・・期待はしない・・・」
この食事にありつけるだけでも喜びには違いありません。ですが、多くの仲間達が死んでいったのです。
「奴等と一緒に食いたかった」
岩壁には大勢の兵、将校が出迎えに来ておりました。涼月は大勢の見ている前でブイを取ります。
通信士芦沢中尉は倉橋先任将校とともに、後部指揮室で即席のカレーライスを食べようとしました。が、
カレーの皿がテーブルを走り出しました。
「艦が傾いている!」
二人とも、カレーを食べる間もなく甲板へ駆け上がります。ドックへ入ったとたんに浸水したのです。
「全員上がれ!」
ドックの壁を登る者。飛び込んで泳ぐ者もおりました。
「ここまで来てなんで泳がなくてはならないんだ!」
結局、カレーにありつけた者はごくわずかだったのです。
両舷停止、艦の行き足を止めて、ブイに係留をはじめた。と思う間に、艦首が急速に沈みはじめるのを感じた。けたたましいサイレンを鳴らして駆けつけた曳船に抱きかかえられるようにして、涼月の船体はドックに運ばれた。ドックの扉を閉め排水が始まり涼月の船体は船台の上に落ち着いた。
(原田周三 涼月機関長 証言より抜粋)
艦内の排水が終わり各区画の調査が行われます。
罐室の中では三名の応急員が持ち場のまま絶命しているのが見つかりました。彼等は蒸気の熱気を全身に浴びながらそのままの姿勢で戦死しておりました。探信儀についていた兵はハンドルを握ったままこと切れておりました。
「機関長大丈夫です。いままでと状況は一緒ですから、涼月は沈みません」
戦後、原田機関長は早田掌機長の言葉が本当のことだと実感したのでした。
「涼月ほどの不沈艦は世界に類をみなかった」倉橋友二郎さん(砲術長。先任将校)は事ある度にそう申しておりました。酔漢はその言葉を生で聴いた一人でございます。
涼月は今僚艦冬月とともに若松港を守る防波堤として健在です。玄界灘の大波から港を守るそれは、姿こそ違え自慢の六十五口径十サンチ砲を波に向って発射しているようにも見られます。平成の世になっても「涼月不沈」のままなのです。
その姿を真上の月が照らしておりました。
追伸
6月17日捕捉
「海軍カレー」につきまして、当ブログからリンク出来ます「トム様」のブログ「アッと乱ダム」にて「大和ミュージアム」レストラン内「海軍カレー」の記事がございます。
そちらへも行ってみてください。ご紹介いたします。
海軍・激闘カレー
是非ご覧下さい
いつも遅くてすみません。
再度読み返してから次に移ります。
あまり機関員の事は語られません。ですから、今回の話を語ろうといたしました。
「月」「風」「波」「日」等等。駆逐艦の名には「自然現象」を中心に付けられました。
月型と言われるのは「秋月」「照月」「涼月」「初月」「新月」「若月」「霜月」「冬月」「花月」「春月」「宵月」「夏月」と建造されております。
機関科の原田さんは出席されておられませんが、証言が多く残されており本篇といたしました。
そろそろ「自費出版」も視野に入れてみてはどうでしょうか?
機関科の辛さ苦しさは想像すら許されないような世界です。
文字通り日の当たらない部署。上からは常に「全速」指示。
あれ待てよ!どこかの会社のようでして・・・
駆逐艦でしかも仰角90度の対空砲搭載艦があったなんて・・・!
「つきがた」って云ったら・・・「月さま雨が・・・」「春雨じゃ♪濡れて行こう・・・♪」ってなシチュエーションしか思い浮かびませんでしたが・・・
という号令が聞えてくるようです。
今回のお話には「後進一杯」という号令が出てきます。
この「一杯」という号令詞、
「カマや機械がどうなってもいいから、全力運転で最高速力を出せ」
という意味。
よくよくのことがなければ出さない命令なのだそうですね。
確か南太平洋海戦、
キスカ撤退作戦の木村さんが鈴谷の艦長だった時のことです。
鈴谷は両舷から米軍機の魚雷に狙われて絶体絶命。
咄嗟に木村さんが出した命令が
「前進一杯。まっすぐ行け!」
だったそうです。
砲術科や水雷科は華々しい部署ですが、
実際に動くのは戦闘の時だけ。
それに引換え機関科は、
出航してから入港するまで働いています。
しかも今回のお話にあるように、戦闘の状況は一切見ることができません。
艦(フネ)の一番深い所が配置で、
戦闘開始となれば防水処置で閉じ込められてしまいます。
また「総員上甲板」の命令が出ても、
時間がなくて退避できぬことがしばしばだと聞きました。
そんな機関科ですから、
デッキの兵隊たちとは違う一種独特の気風がありました。
岩田豊雄氏が『海軍』を書くに当って兵学校と機関学校を取材しました。
その際、岩田氏は兵学校の生徒を緋縅の鎧武者に、機関学校の生徒を黒糸縅の鎧武者にたとえています。
軍艦が舳から沈む時、
艦尾のスクリューがまだ回転していることがあります。
あれは艦底の部署にあって機関科員がまだ機関を動かしている証拠なのだそうです。
いかなることがあっても任務を全うする下士官兵、
経験豊富でいかなることがあっても動じない兵隊叩き上げの特務士官、
部下を信頼して全てを任せる指揮官。
この三者が欠けずに揃ってこそのことなのでしょう。
これは艦艇の大きさによらぬことですが、
世帯の小さい駆逐艦には「一艦一家」の考え方が
特に強かったと聞きます。
機関科魂ここにあり。
駆逐艦乗りここにあり。
今回のお話を読んで感じたことです。