写真は、それを二年程遡った、塩竈市立第二小学校の全景です。
この写真の謂われは、以前、くだまきで語ったところです。
1972年、3年生以上の児童が並んで、人文字を作り、航空写真を撮影致しました。
当時、酔漢は小学校4年生。児童数が県下二位(一位は確か岩沼小学校→一小か二小かは定かではありませんが)でした。
ご覧の通り、左側の校舎(現在では、一番古い校舎です)が新校舎と言われた鉄筋コンクリートの校舎で、他に見える校舎は昭和の初期に建てられた、木造校舎なのです。
この写真の頃は、例の「だるまストーブ」「脱脂粉乳」では無くなっております。
住宅が少ないですよね。
山に囲まれた環境なのです。
しかし、急な坂道を下ると目の前には海が広がっております。
「うの君のクリニック」のあたりは、空地と塩竈市立第二中学校がありました。
仙石線はトンネルとトンネルの間を走っておりました。
そんな、夏休み前の今日。
僕等は午前五時に、梅の宮神社に集合致しました。自転車です。
僕が坂道を自転車を降りて押していると、目の前に「しんどう君」が自転車を押しております。
「しんどう!ちょっと、待ってけね!」
「何だや、酔漢、みんなもう、来てんでねぇか?」
「いそぐべ!」
と、ピンの刺している集合場所へ。
写真は勿論、今の様子です。
当時の様子とは一変しております。
この場所でさえ、昔はもっと広くて、家がなくて、半分空地みたいなものでした。
「おせぇどぉぉ」と、ゆうじ君(彼が本当にカブト虫を見つけるのが上手でした)
「俺が一番乗りだっちゃ」毎回登場の、「しょうおんつあん」です。(しょうじなにがし。。という名前はあるのです)
「遅くまで、四コマ書いてからっしゃ、少し眠いど」と、あの「さとうただし」君です。
「んで、揃ったからっしゃ。行ぐべ」
僕等はそれぞれの自転車の跨って出発です。
ここで、当時の自転車事情です。
流石の、酔漢も、まだジュニアスポーツに乗っております。
流行りは、フラッシャー付というもの。なのですが、高学年にもなりますと、あのフラッシャーの重さが邪魔になるのです。
部品は、大幅に取り外しておる者が殆どです。
ハンドルは今は骨董品とも言うべき、「セミドロップ」と言われるもので、ブレーキはディスクブレーキなのでした。
僕等は、「上野原グランド」(今は私立体育館)までの緩い登りを上がって、交差点を右におれて、浦霞ゴルフ場に沿って進んで行きます。
ゴルフ場は変わりようがないのだけれど、左側は本当に家が増えました。
少し、左に逸れると、もう山でしたから。
その道沿いをされに進めていきますと、道が舗装ではなくなります。
この写真、アスファルトの道路がY字路になっていて、あたかも、立派な道路になってますが、右に行きますと、牧場への道でした。
塩竈唯一の牧場で、羊がおりまして。小学校3年生のときの、秋の遠足だったのです。
そこへの道はまだ少し広くて、僕らの向かう、左側の道は、本当に、じゃり道の細い道なのです。
さらに奥へ進んで行きます。
当時、回りに家なんか一軒もありませんでした。
この道を右に入りますと。梨畑があって、そこが目的地です。
なんとぉぉ!
畑が健在ではありませんか!!
ここだけは、もう30年前と同じ建物があって、風景が変わっておりません。
自転車を停めた僕等。自転車の網かごには、同じものを持っております。
「みんな持って来たっちゃな!」
「あたりめぇだべ!こいづだべ!」
と、しんどう君が手にしているのは、シャベルです。
「今日は昨日の夜さぁ小雨振ったから、蜂はあんましいねぇべ。んで、捕まえさいぐど!言っておぐけんど、『見つけた者』が最初だかんな!」
おわかりでしょうか。
「くわがた堀り」なんです。
「堀り」?とは、あれ?って思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、これが一番確実に捕まえられる方法なのです。
クワガタ、カブトムシは、夜行性で、明るくなると、木の下とかに潜ります。
そこを狙うわけです。
早朝だと、スズメバチやカナブン、カミキリムシもまだ出て来てません。
ヒグラシが鳴いている中での捕獲なのです。
僕等は、この梨畑を突きって、その正面(画面ですと右側)のコナラ、クヌギの林の中へ入って行きます。
あとは、自分の「秘密の樹」とかがあるから、単独行動なのでした。
「酔漢、あのクヌギさぁ行ってみっぺ!」
僕は「しんどう君」と行動を一緒にしてました。以前、大きなミヤマクワガタの獲れた、クヌギの樹に行ってみる事にしてみました。
「しんどうさぁ、この樹は相変わらず、樹液が多いべ!」
「んだっちゃ、期待出来んど!!」
僕等は、木の下の落ち葉をどけて、少しづつ、土をどけて行きます。
「いたべ!!」しんどう君の声。急いで行ってみると。
土の中に潜ろうと、樹を下に向かって降りているミヤマクワガタの雄がいました。
「やったっちゃ、今年最初の得物だべ!」
「えがったなや」
僕は、結局、コクワガタ一匹でした。
学校は当然あるから、時間は短い間です。
全員、すでに、自転車のところへ集まっていました。
「何時なんだべ?」
「時計あったかや?」
「もってねぇど!」
と。だれも、持ってません。
「ゴルフ場の入口までわがんねぇなや」
浦霞、ゴルフ場の入口には時計があって、それは、道路からのぞく事が出来ました。
「皆んな、どのっけ捕ったのすか?」
「ゆうじは三匹だんなぁ」
「ただしはなんじょだったのすか?」
「おれは、ぼーずだべ」
「みんなして、大笑い」
「腹へったなや」
「んで、少しばり、頂きすか!」
と、僕等は、畑へ。
画面の右側に小さな畑が当時ありまして、トマトなどを作っておりました。
僕等はそのトマトを頂きます。ただ、それにも、ルールがあって、痛んでいるものと、限っております。
「うめぇなや」
汗をかいた後のトマトは、これはまた、格別な味なのです。
トマトは、その畑の脇にある井戸で洗っていただくわけでした。
先の道をまた戻ります。
ゴルフ場の入口の時計を見ました。
「おめぇ、急ぐべ。7時過ぎてっちゃ!」
帰りは下りですから、猛スピードで自転車を走らせていきます。
乗りながらの挨拶を交わします。
「んで!学校で合うべ!」
「んで、まだ!」
こうして、今度は、6年7組の教室で合うわけです。
クワガタは、早くに出てきます。
ところどころに製材所もあったから、切り倒された木の中にもおります。
カブト虫は、まだまだ先です。
夏休みに入ると、また、今度は午前中一杯、クワガタ捕りに励むわけでした(^_^;)
酔漢。予備校生。
使用があって、花京院から錦町への道を歩いております。
「時間あっちゃ。涼んでいぐか」と、ある喫茶店に入りますと。
カウンターの左にいた同じ位の男性が。
「酔漢でねぇ?」
聞き覚えのある声と顔。
「しんどうでねぇ!」
「あめぇ、何してのや?」
「俺かぁ、みての通り、予備校さぁ通ってっちゃ。おめぇは?」
「ほれ、そこの、ガソリンスタンドさぁいんだおん!」
懐かしい顔に出逢えました。
昔話の中で・・・・。
「ハゼ釣りと、クワガタ捕りは面せがったなぁ!」
「んだ!ツチノコ事件もあったしな!」
2人で顔を合わせて大笑いしておりました。
昼休みだったらしく、スタンドの帽子を被ると、しんどう君はそそくさと喫茶店を出ていきました。
名前失念。広瀬通の市バスのあるところの側に、二階にある喫茶店だったのですが・・・。
それから、何度か顔を合わせる事ができましたが、気付いたころには、そのガソリンスタンドには、おりませんでした。
夏の日。少年の頃の思い出は、やはり、中身が濃いものなのですね。
暑くて、バテテしまっている、今の自分には考えられないエネルギーを出していたんだと、そう思えて来ます。
このブログを認めている部屋の中に、この夏、初めて蝉の声を聞きました。
この写真の謂われは、以前、くだまきで語ったところです。
1972年、3年生以上の児童が並んで、人文字を作り、航空写真を撮影致しました。
当時、酔漢は小学校4年生。児童数が県下二位(一位は確か岩沼小学校→一小か二小かは定かではありませんが)でした。
ご覧の通り、左側の校舎(現在では、一番古い校舎です)が新校舎と言われた鉄筋コンクリートの校舎で、他に見える校舎は昭和の初期に建てられた、木造校舎なのです。
この写真の頃は、例の「だるまストーブ」「脱脂粉乳」では無くなっております。
住宅が少ないですよね。
山に囲まれた環境なのです。
しかし、急な坂道を下ると目の前には海が広がっております。
「うの君のクリニック」のあたりは、空地と塩竈市立第二中学校がありました。
仙石線はトンネルとトンネルの間を走っておりました。
そんな、夏休み前の今日。
僕等は午前五時に、梅の宮神社に集合致しました。自転車です。
僕が坂道を自転車を降りて押していると、目の前に「しんどう君」が自転車を押しております。
「しんどう!ちょっと、待ってけね!」
「何だや、酔漢、みんなもう、来てんでねぇか?」
「いそぐべ!」
と、ピンの刺している集合場所へ。
写真は勿論、今の様子です。
当時の様子とは一変しております。
この場所でさえ、昔はもっと広くて、家がなくて、半分空地みたいなものでした。
「おせぇどぉぉ」と、ゆうじ君(彼が本当にカブト虫を見つけるのが上手でした)
「俺が一番乗りだっちゃ」毎回登場の、「しょうおんつあん」です。(しょうじなにがし。。という名前はあるのです)
「遅くまで、四コマ書いてからっしゃ、少し眠いど」と、あの「さとうただし」君です。
「んで、揃ったからっしゃ。行ぐべ」
僕等はそれぞれの自転車の跨って出発です。
ここで、当時の自転車事情です。
流石の、酔漢も、まだジュニアスポーツに乗っております。
流行りは、フラッシャー付というもの。なのですが、高学年にもなりますと、あのフラッシャーの重さが邪魔になるのです。
部品は、大幅に取り外しておる者が殆どです。
ハンドルは今は骨董品とも言うべき、「セミドロップ」と言われるもので、ブレーキはディスクブレーキなのでした。
僕等は、「上野原グランド」(今は私立体育館)までの緩い登りを上がって、交差点を右におれて、浦霞ゴルフ場に沿って進んで行きます。
ゴルフ場は変わりようがないのだけれど、左側は本当に家が増えました。
少し、左に逸れると、もう山でしたから。
その道沿いをされに進めていきますと、道が舗装ではなくなります。
この写真、アスファルトの道路がY字路になっていて、あたかも、立派な道路になってますが、右に行きますと、牧場への道でした。
塩竈唯一の牧場で、羊がおりまして。小学校3年生のときの、秋の遠足だったのです。
そこへの道はまだ少し広くて、僕らの向かう、左側の道は、本当に、じゃり道の細い道なのです。
さらに奥へ進んで行きます。
当時、回りに家なんか一軒もありませんでした。
この道を右に入りますと。梨畑があって、そこが目的地です。
なんとぉぉ!
畑が健在ではありませんか!!
ここだけは、もう30年前と同じ建物があって、風景が変わっておりません。
自転車を停めた僕等。自転車の網かごには、同じものを持っております。
「みんな持って来たっちゃな!」
「あたりめぇだべ!こいづだべ!」
と、しんどう君が手にしているのは、シャベルです。
「今日は昨日の夜さぁ小雨振ったから、蜂はあんましいねぇべ。んで、捕まえさいぐど!言っておぐけんど、『見つけた者』が最初だかんな!」
おわかりでしょうか。
「くわがた堀り」なんです。
「堀り」?とは、あれ?って思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、これが一番確実に捕まえられる方法なのです。
クワガタ、カブトムシは、夜行性で、明るくなると、木の下とかに潜ります。
そこを狙うわけです。
早朝だと、スズメバチやカナブン、カミキリムシもまだ出て来てません。
ヒグラシが鳴いている中での捕獲なのです。
僕等は、この梨畑を突きって、その正面(画面ですと右側)のコナラ、クヌギの林の中へ入って行きます。
あとは、自分の「秘密の樹」とかがあるから、単独行動なのでした。
「酔漢、あのクヌギさぁ行ってみっぺ!」
僕は「しんどう君」と行動を一緒にしてました。以前、大きなミヤマクワガタの獲れた、クヌギの樹に行ってみる事にしてみました。
「しんどうさぁ、この樹は相変わらず、樹液が多いべ!」
「んだっちゃ、期待出来んど!!」
僕等は、木の下の落ち葉をどけて、少しづつ、土をどけて行きます。
「いたべ!!」しんどう君の声。急いで行ってみると。
土の中に潜ろうと、樹を下に向かって降りているミヤマクワガタの雄がいました。
「やったっちゃ、今年最初の得物だべ!」
「えがったなや」
僕は、結局、コクワガタ一匹でした。
学校は当然あるから、時間は短い間です。
全員、すでに、自転車のところへ集まっていました。
「何時なんだべ?」
「時計あったかや?」
「もってねぇど!」
と。だれも、持ってません。
「ゴルフ場の入口までわがんねぇなや」
浦霞、ゴルフ場の入口には時計があって、それは、道路からのぞく事が出来ました。
「皆んな、どのっけ捕ったのすか?」
「ゆうじは三匹だんなぁ」
「ただしはなんじょだったのすか?」
「おれは、ぼーずだべ」
「みんなして、大笑い」
「腹へったなや」
「んで、少しばり、頂きすか!」
と、僕等は、畑へ。
画面の右側に小さな畑が当時ありまして、トマトなどを作っておりました。
僕等はそのトマトを頂きます。ただ、それにも、ルールがあって、痛んでいるものと、限っております。
「うめぇなや」
汗をかいた後のトマトは、これはまた、格別な味なのです。
トマトは、その畑の脇にある井戸で洗っていただくわけでした。
先の道をまた戻ります。
ゴルフ場の入口の時計を見ました。
「おめぇ、急ぐべ。7時過ぎてっちゃ!」
帰りは下りですから、猛スピードで自転車を走らせていきます。
乗りながらの挨拶を交わします。
「んで!学校で合うべ!」
「んで、まだ!」
こうして、今度は、6年7組の教室で合うわけです。
クワガタは、早くに出てきます。
ところどころに製材所もあったから、切り倒された木の中にもおります。
カブト虫は、まだまだ先です。
夏休みに入ると、また、今度は午前中一杯、クワガタ捕りに励むわけでした(^_^;)
酔漢。予備校生。
使用があって、花京院から錦町への道を歩いております。
「時間あっちゃ。涼んでいぐか」と、ある喫茶店に入りますと。
カウンターの左にいた同じ位の男性が。
「酔漢でねぇ?」
聞き覚えのある声と顔。
「しんどうでねぇ!」
「あめぇ、何してのや?」
「俺かぁ、みての通り、予備校さぁ通ってっちゃ。おめぇは?」
「ほれ、そこの、ガソリンスタンドさぁいんだおん!」
懐かしい顔に出逢えました。
昔話の中で・・・・。
「ハゼ釣りと、クワガタ捕りは面せがったなぁ!」
「んだ!ツチノコ事件もあったしな!」
2人で顔を合わせて大笑いしておりました。
昼休みだったらしく、スタンドの帽子を被ると、しんどう君はそそくさと喫茶店を出ていきました。
名前失念。広瀬通の市バスのあるところの側に、二階にある喫茶店だったのですが・・・。
それから、何度か顔を合わせる事ができましたが、気付いたころには、そのガソリンスタンドには、おりませんでした。
夏の日。少年の頃の思い出は、やはり、中身が濃いものなのですね。
暑くて、バテテしまっている、今の自分には考えられないエネルギーを出していたんだと、そう思えて来ます。
このブログを認めている部屋の中に、この夏、初めて蝉の声を聞きました。
風景というものは刻々と変わってゆきますね。
私が症が高時代を過ごした二つの町、そして中学入学からこっちの町も変貌を遂げました。
友人もほとんどこの町にはおりません。
誰かと出会って昔話をしたいな・・・って思いました^^。
む昔の遊び場がどうなってるなかな?
って、調べてみました。
や山が削られて、住宅地になって、家ぐ増えてました。もともと、生活するのに土地
が狭くて、埋め立てか、山を無くすかしかないので、しょうがないですね。人口密度と、お寿司屋さん数だけは、常にトップクラスの塩竈市なのでした。
くだまきを語っているうちに、草の香や、蝉の声、トマトの味とか。記憶が蘇って来ました。
むか~し、昔、北浜に「木下大サーカス」が来たことを、誰も信じてくれなくて、検索をかけたら、酔漢さまのこのブログに辿り着きました。
やはり、私の妄想ではなかった事を確認でき
嬉しかったと同時に、懐かしさでいっぱいになりました。
私も同時期に二小にいたと思われるので(エツジや宮崎バッパ、分かります…)、思わず引き込まれてしまいました。
過去に遡って、読ませていただきますね。
小学校での思い出を共有できる方とお話しができるのは、嬉しい限りです。
ありがとうございます。さて、サーカスですが、ジャスコが出来る直前、更地になったところでやってました。
小学校で割引券が配られたのですよ。
「親と一緒でねぐて行ってダメだかんな!」エツジが話しておりました。
小学校時代の同級生とは、fbで一人と繋がってますよ。
またいらして下さいね。
あれから遡って読ませて頂きましたが、たぶん同学年と思われます(U+E51°U+3141°U+E51)U+203CU+2727
ミツドメ君や水沼君、同じクラスになった事ありますから。
ジャスコの事故も、家が近所だったので、真っ先に見に行った記憶があり、見てはいけないものまで見てしまい、しばらくトラウマになりました。
また、懐かしいお話を聞かせて下さいね。
卒業式1ケ月前に仙台に転校しました。
卒業写真は二小ですよ。
北浜にお住まいだったと拝察いたしますが、震災での被害はなかったのですか?
どこかでお話ししているのでしょうね。
不思議な感じもいたしますが、嬉しい出会いです。
ありがとうございます。
おさしつかえなければ、メッセージを頂けませんでしょうか?
ブログ本編の左にアイコンがございます。
直接私のメールに繋がります。
連休中に母親の見舞いのため笠神に帰りました。
といっても震災の前から息子のことはわかりません。
小松崎から北浜へ抜けるトンネルも何十年かぶりに通ってみました。
入口の防空壕跡?とともに、じっと見入ってしまいました。
浦霞さんの掲示板に五橋同窓会のポスターが貼ってあって、しかも前日の開催でした。
マリンゲートの屋上で塩釜の強風にあおられ、飲みました。
もう泣けなくなった自分がありました。
本当に お元気なのでしょうか?