酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

Chariots of Fire

2012-08-08 10:37:29 | さぁ楽しい「音・画」の時間だ!



ロンドンオリンピック。
使い古された記事ですが、過去3回開催にありながら日本は今回が初参加でございます。
戦後、日本がエントリーを拒否された大会もそうです。
競泳日本選手権開催がロンドンオリンピックと同日に開催され、古橋広之進が400m自由形で当時の世界新記録4分33秒0の記録でフィニッシュ致します。
これが、「時計の間違いではないか」と論議を醸し出し、公式記録とはならないものの、その泳ぎに世界が驚愕したのは、戦後日本に明るいニュースをもたらします。
1949年招待された全米選手権では、古橋、橋爪が世界新記録を出し続け、その記録が世界の目にすることとなります。
「The Flying Fish of Fujiyama」は最大級の賛辞として、また日本スポーツ界においても最高のニックネームと考えます。(以前テニス界において「ブルドックサトウ」をご紹介しております)
古橋、橋爪はまさしく両輪のごとく日本水泳会を牽引する選手だったのです。

深夜に関わらず、オリンピックの放映は見ております。
日本選手の活躍もさることながら、もう一つの興味は「各競技種目発祥の地イギリスで、観客はどの様な評価を下しているのか」です。
イギリスは、スポーツを数々発展させてきた歴史があります。
そして、そこでルール化され、世界の標準となったものは数知れません。
その観客は?競技をどう見ているのだろうか。
本日未明「卓球女子団体戦」を見ておりました。大本命「中国」の大応援団の声援には少しばかり辟易いたしましたが、その卓球もイギリスが発祥。
日本、中国の応援団に混じり一般の観客も大勢おられます。
彼らの目は大変厳しい。そして見どころを知っているようで、良いプレーには席を立って拍手をしております。
これは「流石スポーツを知っている国柄」そう思えて来ます。

表彰式、BGMは「あの曲」が流れます。
「タイトルズ」
「Vangelis、Βαγγέλης」ギリシャの作曲家の作ったこの曲。
開会式でのあのパロディを駆使した映像はイギリスの遊びだとは思うのですが、酔漢的には、もっとじっくり聞きたかった曲なのです。
この曲が流れます。
そして、それを主題とした映画が制作されました。
公開時、酔漢は劇場で(いつもの通りなのですが・・・)十数回観ております。
日本名が「炎のランナー」。
映画の題名は論議の的となりますが、日本公開時のこの題名。酔漢が一番不満に思っているところです。
「ランナー」では、映画の本質とは違った意味となってしまうからです。
前評判通り、観客の多い映画でした。
ですが、単にスポーツ的ドキュメンタリー的な宣伝ばかりが表に立ち過ぎたように思えます。
1924年に開催されました「パリオリンピック」その陸上競技トラックで金メダルを獲得しました実在した選手の物語。
100mを制しました「ハロルド・エーブラムス」と400mの「エリック・リデル」。
そして、若いイギリストラック競技のメンバーの逸話。
「人は何故走るのか」
これが、大きな命題として映画が進行してまいります。
宣教師である「エリック」。
彼は当初100mのエントリー選手。
ですが、インタビューされた記者からの質問。
「決勝は日曜ですが、走るのですか?」
彼を走らせたいイギリス協会は競技の日程を変更するように躍起になります。
ですが、事態は好転しません。
「日曜は安息日。走るわけにはいかない」彼の答えは一貫しております。
「400mではどうだ?」
貴族であるアンドリューは、出場種目の変更を提案。
彼は、それを受け入れます。
結果、400m金メダル。
実際の大会では、エリックは、200m3位。二つのメダルを獲得します。
「宗教と陸上があり私が存在する。どちらも必要な救済なのだ」
エリックの走る理由。
これは、日本人の価値観とは別のところにあるように思えます。

100m金メダリスト「ハロルド」。
人種の差別が垣間見えます。
彼はユダヤ人。
ケンブリッジに入学するも、その偏見を感じてはいるのでした。
ムッサビーニを個人的にコーチ契約し、協会の反発も買います。
ですが、その当時に於いて、まだ現代的トレーニング方法が確立していない頃に於いて、その画期的な指導方法は、彼の成果となって現れます。
「エリックは短距離向きではない。むしろ中距離においてその本領が発揮できる」
指導者として達観した見方であり、その意見を持ち得ない当時のイギリス陸上界指導者達への警鐘となります。
上記の通りエリックは400mで優勝いたします。
その200mでハロルドはそのエリックにも敗れ惨敗。
後の無くなった彼は最後のエントリー100m決勝へ。
日曜の午後。
競技場にユニオンジャックがセンターポールに翻ります。
ムッサビーニは、競技場に入れず(公認コーチではないため)ホテルの窓からこれを観ます。
「ハロルド・・・・ハロルド!」
彼は自分の帽子を拳で叩くガッツポーズ。帽子が壊れます。
ハロルドは自分への偏見と闘う。こうした意志によって走るのでした。


Bring me my bow of burning gold!
Bring me my arrows of desire!
Bring me my spear! O clouds unfold!
Bring me my chariot of fire!

上記はミルトンの序詩の一節。

訳すればこうなろうかと・・

燃えたる黄金の弓を持て!
欲するところの矢そして盾をも持て!
雲よ散り行け!
我が燃えたる戦車を持って!
(酔漢訳)

そして、その背景にある旧約聖書を抜粋しますと下記のようになります。
旧約聖書「王列伝」「エリヤの場面」です。
全体を紹介しなくては、その意が伝わりません。
承知してはおりますが、酔漢にも知識がなくここまでといたします。
ご参考にしていただければと思いました。

アハブがエズレルの人ナボテのぶどう畑を不当に欲し、イゼベルが無実の罪を着せてナボテを殺害した時、エリヤはアハブに会い、アハブが不当にナボテの畑を取ったことを責める神の言葉を伝えて、アハブとその家が滅びると預言した。アハブは悔いたため、災いがアハブの身に直接及ばず、その子の代に下るとの預言がエリヤに下った。のちにエリヤはつむじ風に乗って天に上げられ、エリシャはエリヤが火の馬が曳く火の戦車に乗って天に上るのを見た。二人はのち二度と会わなかった。

「炎のランナー」では、その背景が伝わらないかと。
しかしながら、宗教の大きくかかわったこの映画の主題を理解するのは難しい部分も多々ございます。
致し方ない。
こう考えもしますが、これを知らないと、エリック、ハロルドの行動が理解できない部分が多いのです。
そして、この「Chriot」ですが、ベンハーをご覧になられた方は「あああれか」と解って頂けるかと存じます。
あの有名な格闘シーンです。
戦車は馬2頭で曳きます。
上記の場合は「chariot」と単数形ですが、映画の題名は「chariots」と複数形です。
これは「エリック」と「ハロルド」を指します。

映画の最後、この曲が歌われます。
これが主題なのです。
イギリスでは第二国歌的な「エルサレム」。
教会で歌われます。

映画のシーンでは、例えば移動する船内で「クリケット」に興じる場面。(クリケットの放映がないのが甚だ残念!)
100m障害に出場するアンドリューが屋敷に設けたハードルにグラスを置き、そこに水を注ぎ練習する。
第三ハードルのグラスから水がこぼれる。
このスローな映像は美しく、この時点で彼がハードルで勝てないことを予言させてます。
ユニフォームが当時テニスで世界ランク1位「チルデン」のセーターがユニフォームなど。
そして、晴れの場面が一日たりともない。
これだけでも、質感の高い映画です。
ですが、今一度くだまきです。
「主題は難しいのですが、もう少し伝える方法がなかったのか」

ロンドンオリンピック表彰式。
「タイトルズ」が流れます。
当初違和感がありました。
映画音楽に頼るのは安易ではなかったのかと。
ですが、オリンピックも終盤になり考えが変わりました。
「イギリスが世界に誇る二人のアスリートは常に、勝者ばかりでなく、すべての競技参加者と共にあらん」
こうした意が込められているのではないか。
母国の作曲者ではない「タイトルズ」を使う意味がここにあるような気がしてなりません。




映画では、オープニングとエンディング両方に同じシーンが使われております。
観る前と見た後。
感じる事が違っている自分に気づきます。

アスリート二人。
全く違ってはおりますが、古橋、橋爪の記憶がよみがえってまいります。




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