「酔漢いるかぁ!」
昼休み、給食も終わり、友人と談笑しておりました。いきなりの大声です。
「もんまか。なしておらほの教室さぁ。なんか用だべか?」
「俺は、お前に、は・な・し・があるんだぁ」
彼少し怒っているようでした。
こんにちわ、酔漢です。上記のお話を本日は語ります。お酒の話はまた、この後から続きます。スペイサイドまで、まだ行ってないもんね。すみません、では、怒ったもんま君からのお話に戻ります。
仙台市立五橋中学校。3年生はそこそこ受験する高校を決めた時期でした。
酔漢、仙台向山高校を受験することに決めました。もんま君にそのことが「彼の耳に入ったのだ」と酔漢は感じました。
「酔漢、仙台一高さぁ受験しねぇのか?なして!」
「やっぱし、無理だっちゃ。一学期まるまる一ヶ月休んだからっしゃ。そっからやっぱし、成績あがんねぇおん」
「あんまし、俺とかわんねぇべ。俺は一浪覚悟で『一高』さぁ受ける。おめぇも俺さぁ付き合え!一緒に応援団やっぺし!」
彼とは、中学二年次に同級生でした。話が合うのもさることながら・・ある社会科の授業「もんま『主権』って解るか?」とよしのばっぱ(社会科担任)の質問に
「はい!『天皇』です」と答え・・→「教室後ろ行き」の刑に。
そんな男でした。彼とは仙台一高で「一緒に応援団やろう」と話しておったのでした。
「んなこと言ったって、浪人はやんだっちゃ。俺は向山さぁいぐ!向山さぁも応援団くれぇあっぺ。まぁ、俺さぁ合わねぇかったら入ぃんねぇけんど」
「お前がそこまで言うんだったら、もう言わねぇ。お互い受験はがんばっぺ。俺は絶対一高さぁ行く。行って応援団さぁ入る」
彼は常々言っているセリフを口にして、自身の教室に消えていきました。
彼にとって、大学進学は二の次なのです。仙台一高を受験するのも「応援団に入る」というのが動機なのでした。
さて、彼は、無事に仙台一高に入学を許可されました。酔漢も向山へ。
まよった末、酔漢も仙台向山高等学校応援団に入りました。
山も怒れば万丈の
煙を吐いて天を突く
ゆるけき水も激しては
千丈の堤破るらむ
見よ男性の意気高く
堂々と勝つ一高軍
下から身体を全体に使って、突き上げるような旗振りです。これは腰に来ます。
向山は、「正面から振り下ろす」感じで、一高とは逆です。
もんま君から、手紙届きました。
「定期戦は見に来いよ」と最後の方に。「もちろん」と返事を書きました。
その後、母から。
「いのまた君、一高の応援団に入ったんだって」
「うそ、いのまたが。なして?」これには、酔漢も驚きました。
いのまた君と最初にあったのが3歳のとき。母親同士が、常盤木の同級生だったことから、知っておりました。彼は付属中におりましたが、堀見塾でも一緒でした。
「いのまたともんまが一緒にいたら、団長は大変だっちゃ」と思ったのでした。
酔漢とも3年生。彼らは最後の定期戦を迎えました。もんま君、いのまた君両名とも仙台一高副団長になっております。
後輩には厳しかった「もんま君」に対して、後輩を気遣う「いのまた君」と対象的な副団長二人。(誤解をなさらないで下さい。「もんま君」やさしい男です)
そう言えば、真夏の野球場。酔漢応援の途中、過度の熱中症でたおれました。客席日陰で休んでおりますと、次の試合で準備していた仙台一高応援団の諸君が。
「水分とんねぇくてダメでねぇか」ともんま君の声が聞こえました。
母校から、先の4月「同窓会だより」が届きました。記事の内容に「応援団も一年半ぶりに復活・・・・」
「なにぃ。二高の応援団の心配していた場合ではなかった」と叫んでしまった酔漢でございました。
応援団の成り手がいないのは、どこも一緒なのかもしれません。確かに、制約を受ける日が多いことは事実ですし、練習もきつい。ある大学の応援団が解散になるようなニュースもございます。ですが、いつも思うことなのですが、学校は、「応援団におまかせ」の部分が多かったのに何か事があると「応援団が・・」と言った発言が多いように思えてなりません。(具体例は控えますが・・)酔漢が母校におりましたときもそう感じられずにはおられませんでした。
共学化がすすむなか、「共学を想定外」で、多くの伝統や校風が作られておりました。先に仙台一高応援歌をご紹介いたしました。
もう一度、一番の歌詞を繰り返させていただきます。
山も怒れば万丈の
煙を吐いて天を突く
ゆるけき水も激しては
千丈の堤破るらむ
見よ男性の意気高く
堂々と勝つ一高軍
「見よ男性の意気高く」
仙台一高が共学となった時、この歌詞の部分が「男女差別の象徴だぁ」と発言する
輩がおりましたら。なんと見識の狭いことか。
まして、「歌うな!」というのがおりましたら。反対いたします。
仮に、「相応しくない」とすれば、生徒総会で自主的に学生諸君が決めればいいことなのです。
これも、誤解なさらないで下さい。共学化はやはり避けられない状況となっております。政治的な「きな臭い」臭いもしないではないですが。(しっかりしますよね)
仙台二高が迷走している状況から何かを学ぶべきだと思うのです。
これもいつも思うことなのですが。
盛岡一高のような状態が一番いいのかなと思います。
ある日の甲子園。バンカラな学生が数十人。そして、他の学生諸君も裸足。
和太鼓は禁止。下駄履き禁止。声と手拍子だけの応援!女子生徒も一緒になって声をからしておりました。
ところで、甲子園。
どこも同じ曲をブラスバンドが演奏し。掛け声も同じ。つまんねぇーーーー。
銚子高校の大漁旗は禁止です。禁止項目が多すぎて、地域性のある個性のある応援風景が見られなくなりました。学校間の個性も無くなりつつあります。
画面をしっかり見ておりませんと、どっちの攻撃か音だけではわからない時代となりました。
そんな、全国的な傾向に、仙台、いや宮城の高校は、「どっか違う高校」であって
貰いたいのです。仙台一高・仙台二高はその強烈な個性を残しておいて貰いたいものです。現役の諸君、大人ぶった大人の意見に振り回されることなど無く、高校の自治なるものがあるのですから、有効に活用するのもよかろうかとも思います。
母校生徒会長OBであった酔漢でございました。
ながながとすみません。この手のアクセスが急増しております。
また、本当に野次馬です。ご容赦下さい。
追伸。仙台一高応援団の為に、仙台一高に入りました、もんま君。引退する際「俺は応援団で燃え尽きた。悔いなし」と話しておりました。
彼の魂が、団室の隅に落ちておりましたら、拾って大事にしてください。
そして、「みや様」「山嵐様」コメントありがとうございました。
5月7日午前5時15分追加書き込み
5日河北新報の記事を、今しがた知りました。
「仙台二高の教職員会議で今年の定期戦アピール行進を中止せよ」との結論が出されたようです。
「安全面に問題がある」という理由からです。
今年、二高は応援団が組織的に活動できる状態となっております。
彼らのコメントは「是非やらしてくれ!」であれば、充分協議の上、「やらしてみる!」のが教師の持つ親心ではなかろうか。
「安全面」を言うのであれば、「学生を信用していなさ過ぎる」のではないのか。
もう一度、協議する場を、与えてやってください。そして、学生諸君を交えた話し合いを是非。
一高だけのアピール行進では、仙台の文化が、欠けてしまう事実を、二高の教師は知るべきです。
昼休み、給食も終わり、友人と談笑しておりました。いきなりの大声です。
「もんまか。なしておらほの教室さぁ。なんか用だべか?」
「俺は、お前に、は・な・し・があるんだぁ」
彼少し怒っているようでした。
こんにちわ、酔漢です。上記のお話を本日は語ります。お酒の話はまた、この後から続きます。スペイサイドまで、まだ行ってないもんね。すみません、では、怒ったもんま君からのお話に戻ります。
仙台市立五橋中学校。3年生はそこそこ受験する高校を決めた時期でした。
酔漢、仙台向山高校を受験することに決めました。もんま君にそのことが「彼の耳に入ったのだ」と酔漢は感じました。
「酔漢、仙台一高さぁ受験しねぇのか?なして!」
「やっぱし、無理だっちゃ。一学期まるまる一ヶ月休んだからっしゃ。そっからやっぱし、成績あがんねぇおん」
「あんまし、俺とかわんねぇべ。俺は一浪覚悟で『一高』さぁ受ける。おめぇも俺さぁ付き合え!一緒に応援団やっぺし!」
彼とは、中学二年次に同級生でした。話が合うのもさることながら・・ある社会科の授業「もんま『主権』って解るか?」とよしのばっぱ(社会科担任)の質問に
「はい!『天皇』です」と答え・・→「教室後ろ行き」の刑に。
そんな男でした。彼とは仙台一高で「一緒に応援団やろう」と話しておったのでした。
「んなこと言ったって、浪人はやんだっちゃ。俺は向山さぁいぐ!向山さぁも応援団くれぇあっぺ。まぁ、俺さぁ合わねぇかったら入ぃんねぇけんど」
「お前がそこまで言うんだったら、もう言わねぇ。お互い受験はがんばっぺ。俺は絶対一高さぁ行く。行って応援団さぁ入る」
彼は常々言っているセリフを口にして、自身の教室に消えていきました。
彼にとって、大学進学は二の次なのです。仙台一高を受験するのも「応援団に入る」というのが動機なのでした。
さて、彼は、無事に仙台一高に入学を許可されました。酔漢も向山へ。
まよった末、酔漢も仙台向山高等学校応援団に入りました。
山も怒れば万丈の
煙を吐いて天を突く
ゆるけき水も激しては
千丈の堤破るらむ
見よ男性の意気高く
堂々と勝つ一高軍
下から身体を全体に使って、突き上げるような旗振りです。これは腰に来ます。
向山は、「正面から振り下ろす」感じで、一高とは逆です。
もんま君から、手紙届きました。
「定期戦は見に来いよ」と最後の方に。「もちろん」と返事を書きました。
その後、母から。
「いのまた君、一高の応援団に入ったんだって」
「うそ、いのまたが。なして?」これには、酔漢も驚きました。
いのまた君と最初にあったのが3歳のとき。母親同士が、常盤木の同級生だったことから、知っておりました。彼は付属中におりましたが、堀見塾でも一緒でした。
「いのまたともんまが一緒にいたら、団長は大変だっちゃ」と思ったのでした。
酔漢とも3年生。彼らは最後の定期戦を迎えました。もんま君、いのまた君両名とも仙台一高副団長になっております。
後輩には厳しかった「もんま君」に対して、後輩を気遣う「いのまた君」と対象的な副団長二人。(誤解をなさらないで下さい。「もんま君」やさしい男です)
そう言えば、真夏の野球場。酔漢応援の途中、過度の熱中症でたおれました。客席日陰で休んでおりますと、次の試合で準備していた仙台一高応援団の諸君が。
「水分とんねぇくてダメでねぇか」ともんま君の声が聞こえました。
母校から、先の4月「同窓会だより」が届きました。記事の内容に「応援団も一年半ぶりに復活・・・・」
「なにぃ。二高の応援団の心配していた場合ではなかった」と叫んでしまった酔漢でございました。
応援団の成り手がいないのは、どこも一緒なのかもしれません。確かに、制約を受ける日が多いことは事実ですし、練習もきつい。ある大学の応援団が解散になるようなニュースもございます。ですが、いつも思うことなのですが、学校は、「応援団におまかせ」の部分が多かったのに何か事があると「応援団が・・」と言った発言が多いように思えてなりません。(具体例は控えますが・・)酔漢が母校におりましたときもそう感じられずにはおられませんでした。
共学化がすすむなか、「共学を想定外」で、多くの伝統や校風が作られておりました。先に仙台一高応援歌をご紹介いたしました。
もう一度、一番の歌詞を繰り返させていただきます。
山も怒れば万丈の
煙を吐いて天を突く
ゆるけき水も激しては
千丈の堤破るらむ
見よ男性の意気高く
堂々と勝つ一高軍
「見よ男性の意気高く」
仙台一高が共学となった時、この歌詞の部分が「男女差別の象徴だぁ」と発言する
輩がおりましたら。なんと見識の狭いことか。
まして、「歌うな!」というのがおりましたら。反対いたします。
仮に、「相応しくない」とすれば、生徒総会で自主的に学生諸君が決めればいいことなのです。
これも、誤解なさらないで下さい。共学化はやはり避けられない状況となっております。政治的な「きな臭い」臭いもしないではないですが。(しっかりしますよね)
仙台二高が迷走している状況から何かを学ぶべきだと思うのです。
これもいつも思うことなのですが。
盛岡一高のような状態が一番いいのかなと思います。
ある日の甲子園。バンカラな学生が数十人。そして、他の学生諸君も裸足。
和太鼓は禁止。下駄履き禁止。声と手拍子だけの応援!女子生徒も一緒になって声をからしておりました。
ところで、甲子園。
どこも同じ曲をブラスバンドが演奏し。掛け声も同じ。つまんねぇーーーー。
銚子高校の大漁旗は禁止です。禁止項目が多すぎて、地域性のある個性のある応援風景が見られなくなりました。学校間の個性も無くなりつつあります。
画面をしっかり見ておりませんと、どっちの攻撃か音だけではわからない時代となりました。
そんな、全国的な傾向に、仙台、いや宮城の高校は、「どっか違う高校」であって
貰いたいのです。仙台一高・仙台二高はその強烈な個性を残しておいて貰いたいものです。現役の諸君、大人ぶった大人の意見に振り回されることなど無く、高校の自治なるものがあるのですから、有効に活用するのもよかろうかとも思います。
母校生徒会長OBであった酔漢でございました。
ながながとすみません。この手のアクセスが急増しております。
また、本当に野次馬です。ご容赦下さい。
追伸。仙台一高応援団の為に、仙台一高に入りました、もんま君。引退する際「俺は応援団で燃え尽きた。悔いなし」と話しておりました。
彼の魂が、団室の隅に落ちておりましたら、拾って大事にしてください。
そして、「みや様」「山嵐様」コメントありがとうございました。
5月7日午前5時15分追加書き込み
5日河北新報の記事を、今しがた知りました。
「仙台二高の教職員会議で今年の定期戦アピール行進を中止せよ」との結論が出されたようです。
「安全面に問題がある」という理由からです。
今年、二高は応援団が組織的に活動できる状態となっております。
彼らのコメントは「是非やらしてくれ!」であれば、充分協議の上、「やらしてみる!」のが教師の持つ親心ではなかろうか。
「安全面」を言うのであれば、「学生を信用していなさ過ぎる」のではないのか。
もう一度、協議する場を、与えてやってください。そして、学生諸君を交えた話し合いを是非。
一高だけのアピール行進では、仙台の文化が、欠けてしまう事実を、二高の教師は知るべきです。
早速ですが、貼り付けさせてもらいます。
紹介文…ではないですが、宮城出身の皆様との思い出話を今日の更新としましたのでご覧になってくだされば、と思います。
「おもしろい高校時代」とお話されいらっしゃいますが、ご自身が、一生懸命やられた結果、今のお気持ちに繫がっているのかと思います。
貴殿のブログに当ブログをご紹介してくださるとの由。ありがたくお受けいたします。
よろしくお願いいたします。
また、遊びに来てけらいんネ!
拙コメントへの返答、ありがとうございます。遅ればせながら感謝申し上げます。
手前味噌かもしれませんが、アタシにとっての“恩師”とは、こんな馬鹿を支えてくれた先生方のことを指すのなのかもしれません。
(それこそご迷惑かけっぱなしでしたけれど…)
だからこそ、面白かったのかもしれません。高校時代。
※酔漢様同様、アタシも酒を片手にツラツラと書き綴っております。よろしければ、貴blogを拙blogに貼り付けたいと思いますが、いかがなものでしょうか。
さて、本気でいろんな事をしましたヨネ!
さて、現築館高等学校校長先生の逸話を一つ
「先生、体育祭のときのユニホーム。先生のだけ別にしたのっしゃ」
「何や、俺のだけ別?」
「当日まで楽しみにしてけさいん」
で、当日。
「なんだぁこれ着んのか」
と用意しましたのが、クラスの力作
バットマンでした!本当に覆面まで再現。美術部と女子の大作でした。
もちろん、先生はしっかりと着用し、先頭で行進!
クラスの旗も「バットマン」でした。
卒業時、「あれは、おもせかった」と言っておりました。 僕らも「おもせぇかった」でした。
生徒と本気で付き合う。生徒の話に反対があれば、とことん説得できるような先生が今はすくないのでしょうか。
酔漢の感覚で申しますれば「バカ」とは「自身の価値の中で、自身の力を振り絞ったその経過と様子」
です。
丹治氏のお話もその事であろうと考えております。
「天才的なバカ」とはまさしく「天才」であり、自身の土俵を作った人間の強さを表現しているのではないのでしょうか。
酔漢自身「バカ」に徹することが出来ずに人生を送っております。が、自信を失っておるわけではございません。
己を知らなければ、自身を「バカ」と言えない事実を酔漢は知っています。
本気をだして「バカな事」をやりませんと、つまらない!事は、本当です。
酔漢の「バカさ加減」は丹治氏がよーーく知っておるところです。
小生も、高校時代は「バカ」になって「バカ」をやっていました。そして、そのポテンシャルをいつまでも保ち続けたいとねがっております(実際に保っているか・・・となると自信はありませんが)。
最近「小利口な」人間が増えているような気がして・・・というよりも「バカ」の存在が許されなくなっているような気がして、残念です。
教師の優柔不断が生徒の質を下げるという「おばらあつひろさん」の意見、全く同感です。締めるべき所は締めるが、細々したことには口を出さずに生徒を見守る・・・そんな教師(「先生」と呼べる先生)が本当に少なくなりました。教師の末席を汚す者として、内心忸怩たるものがあります。
「バカになれ」
をこれからも座右の銘に精進したいと願っております。「バカになれ」・・・少なくとも自信をもって学生諸君にそう言える教師になりたい思っております。
隣は岩手県内の高校で、同じく応援団…と称してバカばっかりやってた者です。
教師陣の煮え切らない態度が、在校生(卒業生も?)の質を下げることを教師陣は知るべきだ…と思うのはアタシだけでしょうか?
そして現役のガクセーに思うこと。どんな障害、隔たりがあろうとも、とにかく馬鹿になれ、馬鹿をやれ、と…。
そんなアタシも馬鹿の度が過ぎた(根っからバカだった?)せいか、同窓生に「ほんとに卒業生?」と首を傾げられている今日この頃だったりします…。