今週土日「杜の都の早慶戦」たる「一二高定期戦」が行われます。何がうれしいかと申しますと「アピール行進」「PR行進」が行われると聞いたからです。
このブログではこの時期、「定期戦」を語ってまいりました。酔漢自身OBではありません。が、この仙台の名物行事が、学校の共学化問題と一緒になって語られるという異常事態を憂いておりました。
今年はしかもKスタに応援団ステージ台も復活するそうです。
これもまた楽しみです。
でもなぁ、この話をブログで語りますとコメントを頂戴しております「クロンシュタット」氏(二高OB。酔漢とは息子の高校でPTAの間柄。塩竈市出身)と「丹治」氏(このブログでも登場しております三十年来のお付き合い。仙台一高応援団OB⇒幹部長⇒現東北工業大学准教授。塩竈市出身)が熱くなりますので。
これもまた野次馬的に興味はあるのです。
現役生の諸君。新しいやり方でかまいません。諸君等のOB諸氏は「伝統」とは言っておりますが、新しい諸君らのやり方を否定するものではありません。存分に合戦を楽しんで下さい。そして、新しい歴史を作る気概を持って望んでいただきたいと思っております。
落語のプログラムを掲載させていただきました。この落語会は宮城教育大学落語研究会発足会、第一回落語会を教育大学構内で行ったときのものです。
そうなんです。この落語会と定期戦は一本の線で繫がっているのでした。
このプログラムでの一番最初の出番でございますのが「暴破亭傑快」君です。
実はこの高座名、五橋中学校で酔漢と同級生の落語研究会部員「こくぼ」君から頂いたと本人は話しておりました。ですから彼のこの高座名は中学時代からのものなのでした。
宮城教育大学落語研究会は向山高校OB「翔家からす」君が発起人でした。当初、男性より女性の多い落研だったわけです。「爆破亭傑快」君は少し遅れての入会でした。
「酔漢さん。俺酔漢さんの事よく知ってるんですよね」
初対面での彼との会話です。
「なしてすか?ここで初対面ではねぇのすか?」
「だって、僕の落語中学文化祭で聞いてたでしょ」
「あんだ、ごばし(五橋)だったのすか?」
「あれ?初めて知りました?からす先輩から聞いてたと思ってました」
「んで、俺より一年下だっちゃね」
「それと酔漢さん向山の応援団にいたでしょ」
「おめぇ何っしゃ。こんな事まで知ってたのすか?」
「僕はね一高の応援団にいたんですよ!」
「んで、もんま君だの、いのまた君と一緒にやってたんだっちゃね。もちろん丹治さんとも・・・」
「いやぁ、本当に世話になりました」
不思議な縁を感じた酔漢です。
彼の落語を少し紹介いたしましょう。
とても印象に残りましたのが「幾世餅」でした。当代の名人「古今亭志ん生」師匠の十八番です。彼はことの他「志ん生」師匠を尊敬していたのでした。
風体に似合わない(失礼します)美声の持ち主。(これは、声の低い酔漢にはうらやましい才能でした)ですから、女性の声色は天下一品。遊女が出てくる噺はおそらく仙台でも一、二ではなかったかと思います。
そんな彼が一高応援団に所属していたとは、信じられませんでした。
彼が高校一年生時の定期戦。「週間ポスト」紙が特集を組みました。その写真です(丹治氏が少し写っていたような記憶があるのですが・・・コメントを待ちましょう)「暴破亭傑快」君がほら貝を吹く写真がアップで写っております。
当時、一高応援団ではこの役は一年生でした。
「練習はきつかったですよね。合宿はもう本当に疲れきっていました」と。
「でも、定期戦の面白さはなかったなぁ」
お察しいたします。もんま君、いのまた君にもまれたわけですし、特に、中学応援団から(彼は五橋でも応援団でした)もんま君には鍛えられたわけですし・・。
さて、宮城教育大学落語研究会最初の寄席は大成功でした。
彼、寄席が終わったときに酔漢にこう話ました。
「酔漢さん。あれ歌いません?」
「あれって何っしゃ?」
人気の無いキャンパス駐車場です。
彼いきなりこう叫んだのでした。
「がぁぁぁいかぁぁぁぁにばぁぁぁん・・・うぅたぁえぇぇぇごぉぉぉぉ!」
酔漢、彼の速攻に驚きましたが、身体が反応してしまいました。
(補足です。仙台一高凱歌二番は向山では勝利の歌となっております。旧制二高時代から仙台に伝わる歌でございます。もちろん試合に勝ったときに歌う歌でございます)
肥馬鞭打たせ ゆるかにも
敵の牙城に寄るはたれ
秋水一度閃けば
君は無人の境行く
戦い勝てり美酒を
酌みて讃えん君ら皆
光涼しく月照れば
喜びに満つ 五城楼
一高応援団では丹治氏、もんま君、いのまた君の後輩。
そして、今彼と落語を勉強している酔漢。
僕らの末弟は、そのやさしいキャラクターと素晴らしい感性の持ち主でした。
さて、現役の学生諸君。定期戦です。
好天の球場。君たちの歌声が歓声となってこだまする。
これは、仙台になくてはならないものなのです。
さぁ、存分に母校を応援いたしましょう。
追伸・・・今、西宮は甲子園側に住んでおります「いのまた」君です。
甲子園球場は目と鼻の先。母校出場を望んでおります。が。
「二高も甲子園さぁ出たら、真っ先に応援に行くっちゃ」と。申しておりました。
このブログではこの時期、「定期戦」を語ってまいりました。酔漢自身OBではありません。が、この仙台の名物行事が、学校の共学化問題と一緒になって語られるという異常事態を憂いておりました。
今年はしかもKスタに応援団ステージ台も復活するそうです。
これもまた楽しみです。
でもなぁ、この話をブログで語りますとコメントを頂戴しております「クロンシュタット」氏(二高OB。酔漢とは息子の高校でPTAの間柄。塩竈市出身)と「丹治」氏(このブログでも登場しております三十年来のお付き合い。仙台一高応援団OB⇒幹部長⇒現東北工業大学准教授。塩竈市出身)が熱くなりますので。
これもまた野次馬的に興味はあるのです。
現役生の諸君。新しいやり方でかまいません。諸君等のOB諸氏は「伝統」とは言っておりますが、新しい諸君らのやり方を否定するものではありません。存分に合戦を楽しんで下さい。そして、新しい歴史を作る気概を持って望んでいただきたいと思っております。
落語のプログラムを掲載させていただきました。この落語会は宮城教育大学落語研究会発足会、第一回落語会を教育大学構内で行ったときのものです。
そうなんです。この落語会と定期戦は一本の線で繫がっているのでした。
このプログラムでの一番最初の出番でございますのが「暴破亭傑快」君です。
実はこの高座名、五橋中学校で酔漢と同級生の落語研究会部員「こくぼ」君から頂いたと本人は話しておりました。ですから彼のこの高座名は中学時代からのものなのでした。
宮城教育大学落語研究会は向山高校OB「翔家からす」君が発起人でした。当初、男性より女性の多い落研だったわけです。「爆破亭傑快」君は少し遅れての入会でした。
「酔漢さん。俺酔漢さんの事よく知ってるんですよね」
初対面での彼との会話です。
「なしてすか?ここで初対面ではねぇのすか?」
「だって、僕の落語中学文化祭で聞いてたでしょ」
「あんだ、ごばし(五橋)だったのすか?」
「あれ?初めて知りました?からす先輩から聞いてたと思ってました」
「んで、俺より一年下だっちゃね」
「それと酔漢さん向山の応援団にいたでしょ」
「おめぇ何っしゃ。こんな事まで知ってたのすか?」
「僕はね一高の応援団にいたんですよ!」
「んで、もんま君だの、いのまた君と一緒にやってたんだっちゃね。もちろん丹治さんとも・・・」
「いやぁ、本当に世話になりました」
不思議な縁を感じた酔漢です。
彼の落語を少し紹介いたしましょう。
とても印象に残りましたのが「幾世餅」でした。当代の名人「古今亭志ん生」師匠の十八番です。彼はことの他「志ん生」師匠を尊敬していたのでした。
風体に似合わない(失礼します)美声の持ち主。(これは、声の低い酔漢にはうらやましい才能でした)ですから、女性の声色は天下一品。遊女が出てくる噺はおそらく仙台でも一、二ではなかったかと思います。
そんな彼が一高応援団に所属していたとは、信じられませんでした。
彼が高校一年生時の定期戦。「週間ポスト」紙が特集を組みました。その写真です(丹治氏が少し写っていたような記憶があるのですが・・・コメントを待ちましょう)「暴破亭傑快」君がほら貝を吹く写真がアップで写っております。
当時、一高応援団ではこの役は一年生でした。
「練習はきつかったですよね。合宿はもう本当に疲れきっていました」と。
「でも、定期戦の面白さはなかったなぁ」
お察しいたします。もんま君、いのまた君にもまれたわけですし、特に、中学応援団から(彼は五橋でも応援団でした)もんま君には鍛えられたわけですし・・。
さて、宮城教育大学落語研究会最初の寄席は大成功でした。
彼、寄席が終わったときに酔漢にこう話ました。
「酔漢さん。あれ歌いません?」
「あれって何っしゃ?」
人気の無いキャンパス駐車場です。
彼いきなりこう叫んだのでした。
「がぁぁぁいかぁぁぁぁにばぁぁぁん・・・うぅたぁえぇぇぇごぉぉぉぉ!」
酔漢、彼の速攻に驚きましたが、身体が反応してしまいました。
(補足です。仙台一高凱歌二番は向山では勝利の歌となっております。旧制二高時代から仙台に伝わる歌でございます。もちろん試合に勝ったときに歌う歌でございます)
肥馬鞭打たせ ゆるかにも
敵の牙城に寄るはたれ
秋水一度閃けば
君は無人の境行く
戦い勝てり美酒を
酌みて讃えん君ら皆
光涼しく月照れば
喜びに満つ 五城楼
一高応援団では丹治氏、もんま君、いのまた君の後輩。
そして、今彼と落語を勉強している酔漢。
僕らの末弟は、そのやさしいキャラクターと素晴らしい感性の持ち主でした。
さて、現役の学生諸君。定期戦です。
好天の球場。君たちの歌声が歓声となってこだまする。
これは、仙台になくてはならないものなのです。
さぁ、存分に母校を応援いたしましょう。
追伸・・・今、西宮は甲子園側に住んでおります「いのまた」君です。
甲子園球場は目と鼻の先。母校出場を望んでおります。が。
「二高も甲子園さぁ出たら、真っ先に応援に行くっちゃ」と。申しておりました。
通学中に仙台駅北口付近を歩いていたら、後ろからカランコロンと響き渡る音が…
下駄を履いてボロボロの学ランにマントを羽織った学生の姿でした。
友だちから「一高の応援団の人だよ」と聞いていましたが、間違いなかったでしょうか?
当時はまだ行商のオバチャンも電車に乗っていた時代だったので、驚くまではいかなかったのですが、
少年マンガに出てきそうな雰囲気と遠めに見ていました。
今もそのような格好をした生徒はいるのでしょうか? 気になるところです。
彼の高座名、「暴破亭傑快」でしたね。
その読み方が土木関係者には禁句の或る現象を連想させて、思わず苦笑したものです。
彼、五橋でも応援団幹部でしたね。確か副団長までやったんじゃないですか?
非常に立派な体格でしたが、優しい目の人なつっこい笑顔が印象に残ってます。
酔漢さん、この時期、小生に定期戦の話を振らないように。
八甲田山以上に禁断の話題ですぞ。
この時期になると、まともに仕事が出来ません。
血が騒ぐのです。
ドイツ留学中など、向うから電話で試合の結果を母校の先生に問合せました。
その先生には、今でも同窓会のたびに「あの時お前は・・・」と言われます。
或る年は、板書しようと思ってチョークを何本折ってしまったか分りません。
ああ、明日は一時間目に講義。しかも夕方には会議・・・
うっかり口を滑らせて変なことを喋りはしないかと思うと、今から心配です。
あの凱歌、元をただせば旧制二高の対高等工業野球戦の凱歌です(今さら言うまでもないか)。
だから県内のいろんな高校に伝わってるんでしょうね。
何故「紅蓮の旗は地に伏しぬ」かといえば、仙台高等工業の旗が赤だったから(二高は確か緑か白)。
我が校がこの箇所を「紅蓮の旗は」と歌えぬのには、理由があります。
何せ応援団旗が臙脂色ですからね。
ところで最近の定期戦、ちゃんと「野球」になっておるのです。
キャッチャーがパスボールをした頃、
1イニングで11点入って、宮城球場の電光掲示板に「9」と「2」で分けて表示された頃(二桁表示が不可能でした)、
結果が「15対13」で、大学の同級生に話したら「いい試合だな。バレーボールか?」なんて言われた頃・・・
懐かしい限りです。
そうは思いませんか?ねえ、クロンシュタットさん!
以前は土日月と三日間。
三十を過ぎてからの或る年、二日目に勝てなくて三日目にもつれ込みました。
現役の奴らがあんまり落ち込んでるもんで、
二日目試合終了後のOB旗振りの時に言ってやりましたよ。
「おめだぢ、何ショボクレてんのや?
明日の授業、ねぐなったんだど!喜べ!!」
って。
あれ?
私め、何か不都合なことを言いましたか??
「バスに乗ってると、丹治さんがあの格好(もうお解かりですよね)で歩いているのが見えるのね。あした雨だね・・・って」
(本人は怒るかもしれませんが・・・)
ばるえ様がお見かけしました御仁こそ丹治さんそのものでございます。確証します。
中学で高足駄、高校に入った時からバンカラを貫き通し、大学まで。筋金入りでございました。彼の後仙台三高くろだ君が引継ぎ、それからは見かけなくなりました。
仙台には似合っていたかなと思います。もう盛岡と長野に行かないとみられないかもしれません。
レベルの高い野球ですよね。
昨年二高がベスト4(県大会)に進出。昨年の定期戦は二高が勝利しましたが、一高は惜敗。
両校が高いレベルで試合した事がわかります。
そうですよねぇ。ヤジでもって浮き足だった野手がエラーをすると妙な盛り上がりを見せました。最近の高校生はそんな事ないんでしょうね。否これも練習の賜物!です。
信じましょう。
試合経過、解説、感想。是非お願いいたします。
だって誕生日が入梅の日ですから。
試合の結果その他については、確かに投稿します。
クソぉっ!仕事にならん!!!
仙台駅で何度かお見かけしましたよ!!!
もう~必死に当時を振り返ってます。
なんか感動しちゃいました☆
丹治さん、颯爽と歩かれてましたよね~♪
もう見られないんですか~ 残念なことです。
男っぽくていいんですけどね!
さて、ばるえ様、颯爽と歩いておりました丹治さんですが、ドイツ語で歌を歌って歩いている時が一番リズミカルで、下駄の音が丁度良くBGMになっていたりしていたのでした。
本人自身がもう伝説ですよね!
「おーいサードォォォ!野球ばっかしてっど文理行きだぞぉぉぉっ!」
「サードサードォォォ!今日は二女コの彼女来てねのがぁぁ!」
動揺は明らかで案の定ファールフライを落球します。
「ほーれサードォォォ!彼女帰っちまったぞぉぉぉ!」
サード君、なんと帽子を取ってスタンドへ挨拶です。
入学早々の応援練習。人一倍声でかくガタイも立派な彼は、クラスの席が隣りでした。
実は私も声がでかい方でしたので、彼とはウマが合ったのです。
彼は応援練習の延長のような形で応援団に入り、団長までつとめました。
定期戦での颯爽とした団長振りは今でもありありと目に焼きついています。
そんな彼が、甲子園予選の東北高戦ではビビリまくりでした。
団長の相互応援席訪問では「クロンシュタット怖ぇよー」と涙目になっていました。
いや、髭面長髪の彼の風体の方が、よっぽど怖かったのですがね。
そんな彼も若い時分に亡くなってしまいました。
凱歌。戦い勝てり旨酒を 酌みて讃えん君ら皆
三年次には、あの歌詞に合わせて、外野でカップ酒を飲んでおりました。
あそこの部分から歌のリズムが速くなり、酔いも進みます。
酔いのまま、フラフラと、あれよあれよと文理に進学しておりました。
野次る方も野次られる方も、みんな仲良く文理の御学友と、相成りました。めでたしめでたし。
ここ数年,二高応援団の状況を憂いておりました。過去のみなさんのコメントを涙ながらに拝見していました。しかし,今年は二高のアピール行進も復活し,久々に伝統の一戦といえる感があります。友人の息子が一高に入学し,それも野球部だというのでなおさらです。朝からそんな話なので今日は仕事が手につきません。
知人の中には,兄弟で一高・二高と分かれていたり,この年になると息子(娘もですかね)が一高・二高に入学したと何かと話題になりますね。因みに私の息子は一高でした。というか学区制なのでまず選ぶ自由がほとんどないのが実状でしょうか。
さて,明日は精一杯応援して,若人のみなぎる生気をいただくことにしましょう。
また,寄らさせていただきます。
当時は「サ○文字ヤメロ!!」を連呼してましたけどね。
一頃までは夏の高校野球全国大会というと、大阪の某学園の人文字が有名でした。
でも正直言って、二高の人文字の方が数段上でしたよ。
エルガーの『威風堂々』を聞くと、あの人文字を思い出します。
あの当時の服装はやれるもんならやりたいけど、膨張してしまいましたからね・・・
羽織袴に高下駄なら、今でも可能です。