塩竈で暮らす。
「社(やしろ)とさかなのまち」宮城県塩竈市からひたすら塩竈情報を発信する塩竈ローカルブログ。塩釜でも塩竃でもなく、あえて「塩竈」(しおがま)です。
上記、ブログです。
塩竈の情報はここから入るのがベスト。
イベント他、多岐にわたる塩竈関連の情報が整理更新されております。
このブログの冒頭。
塩釜でも塩竃でもなくあえて「塩竈」です。
酔漢も以前「塩竈」。その意を語った経緯がございました。
ひー様の散歩道からもコメントを頂戴しまして、パスポートの表記についてでした。
「釜」「竈」どちらでもよい。
その返事にひーさんも合点がいかなかったご様子。
酔漢も同様でございました。
震災以降、三陸の様子を書き記した書を再び紐解こうと考えました。
果たして、写真の書。
「司馬遼太郎氏著『街道をゆく 仙台 石巻』」です。
やはり、ここにも竈と釜の違いを述べておられる、司馬先生でございました。
上記の書、二百十頁からお書きになられております「塩と鉄」このくだりです。
冒頭を紹介いたします。
しおがまをめざしている。
「塩竈」
と表記する。竈の字は、ややこしい。
穴カンムリに土、その下に、ガマガエルをあらわす黽の字をすえる。竈とはカマド(ヘッツイ)のことである。土はレンガなどで築いた火を焚く装置のことで、ガマガエルがうずくまっているようなかっこうである。その上に釜や鍋を置く、そしてカマドの下から薪を入れ、火をつけるカマドと上にのっている釜とはべつなものだが、訓みがおなじだから、地名や神社の名のしおがまは、ときどき塩釜と書かれたりする、いいかげんなものである。
(同書 211頁より抜粋)
司馬史観をもって、やはり「いいかげんなものである」と記述されておられる。
やはり、「塩竃」であるべきであった。
こう思い先を読んでみます。
この稿では、いいかげんなほうの「釜」で表記したい。
(同書 211頁より抜粋)
えっつ?釜なの?
まて、もう少し先へ・・・。
文句が出たときの用心として言っておきたいが、本来、かなで「しほがま」と表記することがもっとも古格ではあるまいか、奥州のしほがまの場合、はじめにしほがまという大和言葉があって、のちに漢字があてられたに過ぎない。
竈という字画のわずらわしい文字をさけて釜を当ててもよさそうに思える。
(同書 211頁より抜粋)
もしかしたら、原稿を書くのに、「釜」と「竈」を、労力の違いから「釜」を選択したのかな。とは、考えすぎでしょうか。
司馬先生ですから、そこは、その意を汲んで・・という事でしょうか。
その、先、221頁には、「陸奥一宮」と題し「塩竈様」の事が記述されております。
塩釜(竈が公用されている)神社は、山上にある。
(同書 221ページより抜粋)
以下、司馬先生は(竈が公用されている)・・との記述を多用されておられます。
現在はどちらの表記でもよい。これが常識とされております。
「どちらでもよい」
「くだまき」でも、この部分にはこだわりません。
例えば、「本塩釜駅」はJR表記では、こうです。
ですから、敢えて「本塩竃駅」とは致しませんでした。
ですが・・・これは交通用語として定義された「本塩釜」ですから、「本塩釜」としているだけで、地図上「塩釜市立第二小学校」などは、学校の表札通り「塩竃市立第二小学校」と統一して語っておりました。
ここで、わが身を振り返って反省した部分がございます。
はたして「くだまき」を原稿用紙で語るとなれば・・・・・・。
時間的、に無理ですし、誤字だらけになりますし、はてさて、こう首尾よく語れない(首尾よく・・とは、自分でのことで、決して公にはこう思ってはおりません・・汗・・)
と思います。
原稿用紙で「塩竃」と何回も記述するとなりますと・・・。
「くだまき」も「公には『竈』ですが、ここでは敢えて『釜』の字を使います」
とするのではと考えてしまいます。
ですが、出来れば、知っていて使って頂きたいと。
本来は「竈」なのですから。
ところで、子供の頃決しておいしいとは思わなかった「丹六」の「しほがま」です。
このくだまきを語っているうち、妙に懐かしく、その味を思い出しました。
「社(やしろ)とさかなのまち」宮城県塩竈市からひたすら塩竈情報を発信する塩竈ローカルブログ。塩釜でも塩竃でもなく、あえて「塩竈」(しおがま)です。
上記、ブログです。
塩竈の情報はここから入るのがベスト。
イベント他、多岐にわたる塩竈関連の情報が整理更新されております。
このブログの冒頭。
塩釜でも塩竃でもなくあえて「塩竈」です。
酔漢も以前「塩竈」。その意を語った経緯がございました。
ひー様の散歩道からもコメントを頂戴しまして、パスポートの表記についてでした。
「釜」「竈」どちらでもよい。
その返事にひーさんも合点がいかなかったご様子。
酔漢も同様でございました。
震災以降、三陸の様子を書き記した書を再び紐解こうと考えました。
果たして、写真の書。
「司馬遼太郎氏著『街道をゆく 仙台 石巻』」です。
やはり、ここにも竈と釜の違いを述べておられる、司馬先生でございました。
上記の書、二百十頁からお書きになられております「塩と鉄」このくだりです。
冒頭を紹介いたします。
しおがまをめざしている。
「塩竈」
と表記する。竈の字は、ややこしい。
穴カンムリに土、その下に、ガマガエルをあらわす黽の字をすえる。竈とはカマド(ヘッツイ)のことである。土はレンガなどで築いた火を焚く装置のことで、ガマガエルがうずくまっているようなかっこうである。その上に釜や鍋を置く、そしてカマドの下から薪を入れ、火をつけるカマドと上にのっている釜とはべつなものだが、訓みがおなじだから、地名や神社の名のしおがまは、ときどき塩釜と書かれたりする、いいかげんなものである。
(同書 211頁より抜粋)
司馬史観をもって、やはり「いいかげんなものである」と記述されておられる。
やはり、「塩竃」であるべきであった。
こう思い先を読んでみます。
この稿では、いいかげんなほうの「釜」で表記したい。
(同書 211頁より抜粋)
えっつ?釜なの?
まて、もう少し先へ・・・。
文句が出たときの用心として言っておきたいが、本来、かなで「しほがま」と表記することがもっとも古格ではあるまいか、奥州のしほがまの場合、はじめにしほがまという大和言葉があって、のちに漢字があてられたに過ぎない。
竈という字画のわずらわしい文字をさけて釜を当ててもよさそうに思える。
(同書 211頁より抜粋)
もしかしたら、原稿を書くのに、「釜」と「竈」を、労力の違いから「釜」を選択したのかな。とは、考えすぎでしょうか。
司馬先生ですから、そこは、その意を汲んで・・という事でしょうか。
その、先、221頁には、「陸奥一宮」と題し「塩竈様」の事が記述されております。
塩釜(竈が公用されている)神社は、山上にある。
(同書 221ページより抜粋)
以下、司馬先生は(竈が公用されている)・・との記述を多用されておられます。
現在はどちらの表記でもよい。これが常識とされております。
「どちらでもよい」
「くだまき」でも、この部分にはこだわりません。
例えば、「本塩釜駅」はJR表記では、こうです。
ですから、敢えて「本塩竃駅」とは致しませんでした。
ですが・・・これは交通用語として定義された「本塩釜」ですから、「本塩釜」としているだけで、地図上「塩釜市立第二小学校」などは、学校の表札通り「塩竃市立第二小学校」と統一して語っておりました。
ここで、わが身を振り返って反省した部分がございます。
はたして「くだまき」を原稿用紙で語るとなれば・・・・・・。
時間的、に無理ですし、誤字だらけになりますし、はてさて、こう首尾よく語れない(首尾よく・・とは、自分でのことで、決して公にはこう思ってはおりません・・汗・・)
と思います。
原稿用紙で「塩竃」と何回も記述するとなりますと・・・。
「くだまき」も「公には『竈』ですが、ここでは敢えて『釜』の字を使います」
とするのではと考えてしまいます。
ですが、出来れば、知っていて使って頂きたいと。
本来は「竈」なのですから。
ところで、子供の頃決しておいしいとは思わなかった「丹六」の「しほがま」です。
このくだまきを語っているうち、妙に懐かしく、その味を思い出しました。
この経緯を今一知らないのでした。
それと、本殿の神様も。
先の本では「陸奥一宮」となっておりましたが、明治以前は「陸奥国」ですものね。
奥州と呼び名があって、「奥州陸前」と定義されたのは、明治以降なのでしょうか。
地元にいながら、完全に疎い酔漢でございます。記事、勉強させて頂きます。
しばらくして纏まったら、要点を記事にしたいと思います。
謎が多い神社ですかね。
高所恐怖症なわりには、岸壁に妙にそそられてます。
体力的に無理は承知。
ですが、一度体験してみたいのでした。
帰省したら、ご一緒にどうでしょう。
もちろん関東には、いいジムがたくさんありますからね。
倅の先生は、週末からの山口国体で宮城県代表として出場します。
実は宮城県代表は、毎年優勝候補なんですよ!
フリークライミング是非ご教授を!
やりたいと思ってもう三十年が経ちました。
さて、竈の書き順のサイトがありました。
こうすればバランスよく書ける。というものです。一度見ましたが、使える!って思いました。ごめんなさい「サイト名」他、失念。
せめて、中学ではきちんと説明していただきたい。
案外知らない御仁が多いのにも驚かされます。
先の読売新聞も「塩釜」でしたし、今日のNHKも「塩釜」の表記でした。
御釜神社は市名の初めではないことをもっとアピールしてもよさそうなものですが。
それにしても、司馬先生。言い訳が面白くて(失礼します)この「くだまき」にいたしました。
この写真、多聞山から馬放水道を写したものですね。
個人的には、展望台よりもやや下りた辺りから見た景色が好きです。
「しほがま」は私にとって飽くまでも「塩竈」。
JRの駅は仕方ないから塩「釜」にしています。
親父がまだ存命中、学会名簿の隣同士に名前が刷ってありました。
で○○町△△番××号はおろか電話番号まで同じなのに、
親父のは塩「釜」で、私のは塩「竈」。
口の悪い同業者が「丹治さんのこだわりを感じる」とか言っておりました。
最近よく見かける意味ではなく、本来の使い方でしょうけど。
それと天然記念物並に珍しい例を一つ。
私宛に届く手紙の中で唯一、「塩竈」どころか
「鹽竈」と書いてよこす御仁がいらっしゃいます。