酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

くだまき  間もなく4年目です

2010-12-02 10:23:15 | くだまきアーカイブス
仕事柄、年末年始は大変忙しくなる時期でございます。
2007年1月末から語っております「くだまき」ですが、間もなく4年目を向かえます。
「早いなぁ」と感じております。
一年ごとに「くだまき」を振り返っておりますが、今年は「大和の顛末」を語る事を主としてまいりました。
「大和沈没」そして「宮城県の戦没者」をもって一区切りといたしました。
ですが、年明けてから、私ども家族、そしてご生還されました方々の戦後を語ろかと考えております。
実は、これが主としたテーマでございました。
私自身、海軍、そして諸々の知識が不足しておりますことから語りながら勉強させていただきたく、「見切り発車」といたしました。
本当ならば父が生きている間にきちんとしたものを提出できればよかったのですが、それは叶わぬ事となりました。
ですが、叔父、叔母からも貴重な証言を得ております。
「公報」の問題、「準特攻」扱いとなりました経緯。東海大学鳥飼先生の論じておられる事への検証。など。まだ多くの課題を抱えております。
一つ一つをつぶさに検証し直す事は、仕事を持ちながらでは、難しい事と、承知しておりますものの、出来る限りつめていこうと考えております。
今後、「大和」というマクロ的な視点よりか、「遺族」「家族」「生還者」などといったミクロ的な視点がキーワードとなってまいります。
「おせっかい焼き」様からコメントを頂戴いたしましたが、やはり「防衛研究所図書館」へは出かけなくては、今後語るには資料が不足していると感じました。
場合によっては「厚生労働省」へも出かける必要があるかもしれません。
もう一度、資料を洗い直す必要性を感じております。

さて、3年前、自分は「何を語っていたのだろう」ふと、そう思いました。
「来週のくだまき」ばかりに気をとめて、原点を忘れてはいないだろうか。そうも考えました。本日は、最初の「くだまき」を今一度振り返ってみたくなりました。
たしか、「閲覧者5名」であったと記憶しております。

小学校の頃  給食その1
2007-01-26 10:59:25 |

塩竈小学校の頃の話

給食費未納が新聞の一面を飾ったのは昨日の事です。記事をいろいろ読んでいるうちに、酔漢自身の小学校の頃を思い出しました。
よっちんは4年生、酔漢と同じクラスにおりました。大変明るい性格で、決してスポーツや勉強が出来るタイプではないけれど、釣りがとても好きで、そして上手でした。ある日、彼は、非常に具合が悪い表情で教室に入ってきました。
「なんじょしたんだ」
「朝から熱あんのっしゃ」
「休んだらえがったのに、なして、来たのや」
「給食食ったらけぇっから。先生にも話すからいいのっしゃ。今日母ちゃんもねえちゃんもいねぇから飯ねぇのっしゃ」
よっちんの住んでいるところは、半分船の中。運河停泊している半分道路で、半分海といったような感じでした。電気は自家発電(軽油で動くやつ)なので、親がいないと、電気がつきません。おかあさんは働いていて(近くの水産加工場)お父さんは北転船に乗っているので、半年に2回位しか塩竃には帰ってきません。
一人でいても、食べ物がないから、学校の給食は彼の大事な食事時間なのです。
よっちんはその日給食をしっかり食べてから5時間目の授業を受けずに帰りました。
 翌日、案の定、よっちんは学校をやすみました。
「あいづぅ、食べ物あんのかや」
「ねぇんでねぇか」
「もっていってやっぺや」
「んだ、そうすっぺ」
クラスの誰ともなくそんな話になりました。
給食の時間が始まると、先生からその日のメニュー コッペパンとジャム、牛乳、バナナ、おかずの鯨の竜田揚は先生のもっていたタッパに入れて、よっちんの家兼船?に持っていくことになりました。
桟橋の隅にある船に渡り板から船の中に入ると、油の臭いが充満している部屋の中に入りました。
「よっちん給食持って来たべ」
「食ったらいいっちゃ」
「腹へったのしゃ。どうもなや」
彼は決しておいしくはないはずのコッペパン(塩竃円満堂製  このパン屋の話は後ほど)をむさぼるように食べました。ですが、半分だけ。
「なして残すのっしゃ?」
「半分はねえちゃんと晩ご飯にすんのっしゃ。かあちゃん遅く帰ぇるって言ってたから」
 僕等は5時間目の授業があるので、それからすぐ学校に戻りました。
「あいず、晩ご飯ねえのかや」
「先生が給食費立て替えてるって おらいの母ちゃん言ってたべ」
酔漢も子ども心に何かひっかかるものがありました。教室へ戻る足取りはみんな(3人で行きました)重かったのを覚えています。

今の時代、給食費を払えるのに、払わない家庭が多い事も昨日の記事に書いてありました。酔漢にも小学校に通う息子がおりますが、彼の小学校も例外ではないようです。「給食費を払っているのだから いただきますを強制するのはどうかしている」と言った親もいるそうです。

では「あなたの命を私の命の為にいただきます事をお許し下さい」と省略せずに言いましょうか。
宮城県塩竃市立第二小学校は当時宮城県で2番目に児童数が多い小学校でした。(昭和48年春のことです)

「最初のくだまき」をご紹介いたしました。
塩竈の風景が今とはまったく違っておりました。
「来々軒」はまだ「あそこに」ございましたし、本塩釜駅は松島の玄関口というわりには、おんぼろ駅舎でした。「壺焼きいも」のおばちゃんがいて、足もとから真下が露骨に見える歩道橋を渡り、秋には秋刀魚が道端に落ちている。夕方になれば「魚の匂い」が町中に漂う。
ですが、街中は今より人が多くて、なんとなく、「活気」があふれていたような気もいたします。
「小学校の頃」は担任「エツジ」をはじめ多くの「おもせぇ友達」が多かった5年、6年生の頃を中心に語っております。
実は、4年生時の担任が後ほど、酔漢に相当影響を与えてくれた先生でもあります。
(丹治さん、クロンシュタットさんともに担任です)後に語ろうと思ったまま時間が過ぎてしまいました。

呑んだ席で、酔漢が饒舌となりました際「どんな話をするのだろう」こうした事も頭にあるのです。落語がベースになっております。
「くだまき」は、本来の「くだまき」の定義とは違っておりますが、「小説」とも「エッセイ」とも言い難く、もともと「論じる」などと烏滸がましいものですから・・「くだまき」なのでした。
改めて、読まれておられます方々へはお許し頂きたく存じます。

「暇さえあれば何か語っている」そんなブログとなっております。
字数はかなり多く、読まれるのに携帯をお使いの方へは御不自由おかけいたしております。
承知はいたしておりますが、このスタイルを変えようがない「酔漢」です。
これもまた、ご容赦下さいませ。

来年まで休暇も不定期となります。
更新にお気づきでありますれば、またご指導、ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

そういえば、昨日「ヤマト」が発進いたしました。
アニメを散々みた酔漢ではございます。(「アルプスの少女ハイジ」と同じ時間帯は酷というものでした)
ですが、心の底に片仮名の「ヤマト」を全部受け入れる事の出来ない自分がいるのでした。

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4 コメント

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Unknown (トムくん)
2010-12-02 20:53:26
>給食費を払えるのに、払わない家庭が多い。
払わないからと言って子どもに食べさせないわけにはいかないだろう、という行政の弱みにつけ込んでいますね。
車にガソリンを食わすお金はあるのに、といいたいですね。
こんな親にも「子ども手当」を支給するのですからね。

>「給食費を払っているのだから、いただきますを強制するのはどうかしている」
税金払ってるのだから好き勝手にさせてもらう、というのと同じ理論ですね。まさにモンスターです。

>心の底に片仮名の「ヤマト」を全部受け入れる事の出来ない自分がいるのでした。
今の人にとってはもう「大和」は「ヤマト」なのですね。「エンタープライズ」とかいう名をつけられたらかなわないですが・・・(笑)

年末にかけてお忙しいようですね。ご自愛ください。ではまた。
返信する
食べ物を粗末にしてはならぬ理由 (丹治)
2010-12-06 10:24:18
「ヤマト」には私も違和感を覚えます。
「やまと」は飽くまでも「大和」です。
テレビでは本物の大和が沖縄に向けて出撃する場面と
坊之岬沖で無念の最期を遂げる情景がちゃんとあって、
「ヤマト」の来歴が説明されていました。
映画版が何作も作られて(人気があるのは結構なことですが)、
「ヤマト」が一人している感は否めません。

それにしても艦体が二つに折れた大和を宇宙航海が可能なまでに作り上げるのですから、
未来の日本の科学力は大したものです。

さて、ドイツに行った折のことです。
研究テーマにしている詩人の故郷を訪ねて、ポーランドの旧ドイツ領に行きました。
そこで修道院に泊めて頂いた折の話です。

御世話してくれたシスターが申し訳なさそうに言うことには、
「この修道会に入会する時に立てる請願の中に、肉を断つというのがあります。
そういうわけですから、肉の料理はお出しできないんですよ」。

「泊めて頂けるだけでありがたいと思っております。肉を食べられぬことは全然気になりません」。

そう答えて、おおよそ次のようなことをお話ししました。

キリスト教の原罪とは違うが、仏教でも人間は罪深いものだと教えている。
それは自分が生きていくためには相手の命を絶たなくてはならぬからだ。
動物にしても植物にしても、人間が食べるものには命がある。
食べ物を食べると言うことは、その命を絶つことである。
だから日本では春秋と夏の祖先の祭祀の期間(お彼岸とお盆)は肉と魚を食べないのだ。
また近い祖先の月命日の朝食でも魚と肉は食べない。
これは身を清めるという意味もあるが、日頃食べている魚や鳥、動物たちへの供養の意味もある
(「供養」の訳語が思い当らないので「懺悔と感謝」とドイツ語に直しました)。

シスターは興味深そうに聞いて下さいました。
知識としては持っていても、日本で普通に生活している限り滅多に口にせぬことです。
今でも不思議な気がしてなりません。

これだけ食べ物が豊かな時代に「食べ物を粗末にしてはいけない」という理由があるとすれば、
この辺りでしょうか。

「たとえ一粒でも、お百姓さんが一生懸命作ったものだ」
とは、小さい頃によく聞いたことです。
お米や野菜、果物をつくってくれる人たちへの感謝、
我々を生かしてくれるために自分の命を下さる食べ物への感謝。
これだけは忘れたくないものです。

なお春と秋のお彼岸、お盆、近いご先祖様の月命日のお精進ですが、
祖父が健在だった頃は守られていました。
それが今は・・・
せめて祖父母と父親の月命日の朝食だけはお精進にしようと思う昨今です。
返信する
トム様へ (酔漢です )
2010-12-07 11:01:14
塩竈の思いでと一緒に給食の事を考えた「くだまき」でした。
本当にくだをまいていたなぁと、思ってしまいました。
息子の小学校の話は本当です。
一緒にいた(PTAで)家内がかなりあきれておりました。
実話なのでよけい心が沈みました。
返信する
丹治様へ (酔漢です )
2010-12-07 11:06:00
食べ物を考えますと、自身の仕事にも原因があるのかと考えてしまいます。
飽食の時代の象徴ですものね。
ですが、一番は消費者が「食べ物の知識がなさすぎる」と思うのです。
「消費者教育」はここからはじめませんと、日本人の考えかた(多くの人が)が、変わらないのではないかと、最近そう思うようになりました。
そうですね、トム様のおっしゃいますように、「ヤマト」世代が多くなっております。
大和ミュージアムも考えれば、片仮名かと。
宇宙戦艦ヤマトの模型があると聞きました。
トム様のブログで知りました。
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