昭和20年4月7日現在の連合軍、太平洋方面の組織をまず見てみます。沖縄作戦に関わった組織のみ掲載です(この間、数週間で艦の損傷などで編成はころころ変わっております。カミカゼによる損害です)
「太平洋艦隊司令官」として「チェスター・ニミッツ元帥」→「第五艦隊司令官 レイモンド・スプールアンス大将」その下部組織として4つの機動部隊が編成されております。
「第51機動部隊リッチモンド・ターナー中将」「第54機動部隊 モートン・デヨー少将」「第58機動部隊 マーク・ミッチャー中将」「第57機動部隊(イギリス空母部隊)H・ローリングス中将」
この本篇で登場しましたのは「第54機動部隊」(戦艦を主力とする艦砲射撃部隊)と「第58機動部隊」(高速空母部隊)です。
更に、この「第58機動部隊」は4群に分かれており、それぞれが独立艦隊のような型をなしております。本篇では「58・1」と今後表記いたしますが「第58・1機動群」「J・クラーク少将」編成空母「ホーネット」「ベニントン」「ベローウッド」「サンジャシント」の4隻。「第58・2機動群」「R・ディビソン少将」編成空母「ランドルフ」「エンタープライズ」「インディペンデンス」の3隻。「第58・3機動群」「T・シャーマン少将」編成空母「エセックス」旗艦「バンカーヒル」「バターン」「キャボット」「ハンコック」の4隻「第58・4機動群」「A・ラドフォード少将」編成空母「ヨークタウン」「イントレビット」「ラングレー」の3隻。
以上です。
一群だけでも、連合艦隊最盛期の空母とほぼ変わらない数です。この部隊を戦艦一隻、巡洋艦一隻、駆逐艦8隻。この部隊で挑む作戦です。
物量の差を思い知らされます。
日付が変わっております。再びスプールアンス大将です。
「デヨーの親父にあのデカイ戦艦を沈めてもらいたい・・のだが・・」
スプールアンスは夜中(4月7日未明)を過ぎても眠れないでいるのでした。やらなければならないことは山程出てきました。ニューメキシコのCIC室では今夜は徹夜で大和以下が出撃した情報が整理されております。
「大和へ一番近い部隊は『デヨーの子供達』であったが、戦艦同士の殴り合いは何時からないんだ?」
開戦当時、アメリカでも航空機による艦隊襲撃はオプションプランだったことは明確でした。空母による艦隊襲撃は「パールハーバー」や「レパルス」を沈めたことで有名ですが「日本海軍のお家芸」的作戦だったのです。ですが、この時期、最早戦艦同士の打ち合いは作戦として後になっておりました。戦艦はこの沖縄上陸作戦では顕著ですが「陸上艦砲射撃」がその任務を主としております。デヨー艦隊は主にその為にあるのでした。
「トーゴーの息子達がはるばるやって来るんだ。そこそこの歓迎は必要であろう」
スプールアンスはアナポリス時代、何度も「日本海海戦」の作戦図は見てきました。そしてかつてその「トーゴーの息子達」を自宅へ招きました。「アドミラルトーゴーは、尊敬してやまない」彼はその時、はるばる日本からやって来た彼等にそう話しております。
「あのデカイ奴にもトーゴーの息子達はいるのだろう・・・」
伊藤整一第二艦隊司令長官は、そのスプールアンスの自宅へ招かれたメンバーでした。
スプールアンスは意を決しました。
「第54機動部隊へ、至急命令!日本の艦隊に対処せよ・・・だ」
真夜中をだいぶ過ぎておりました。しかし・・・しかしです。スプールアンスは、第54機動部隊よりはるか南方にいる部隊が気になったのでした。「マーク・ミッチャー」が率いる「第58機動部隊です」
「ミッチャーの奴が潜水艦の報告に黙っているとは思えん・・」
ベッドに入りかけたスプールアンスは再び兵を呼びました。
「第58機動部隊にもだ。電文だ」
「同じ内容でよろしいでしょうか?」
「違う!逆だ!いいか、これだけ打っておけ『デカイ奴のことは忘れろ』だ!」
バンカーヒルのCIC室。ミッチャーはまだ仕事中です。「大和以下日本艦隊の豊後水道脱出」これについての議論がされているところでした。潜水艦からの情報をミッチャーが知ってからミッチャーは自身でこの日本艦隊へ引導を渡すことを決意していたのでした。
しかし、まだ日本艦隊の具体的な目的は見えておりません。
我々は通例、戦闘の前に何をすべきかについて協議する。司令官と私は海上では艦橋を離れることはない『何が起きるのか』『うまくいかなかった場合には何ができるのか』『速やかな決定のためにはいかなるデータが必要か』を検討させる。これらの決定は、時間をかけて初期研究を行ったあとになされるのが通例である。(中略)『大和が海上に出た』と報告した潜水艦からの情報を入手したので、情報担当者に検討させた。日本軍は我々が豊後水道をカバーしていることは知っていたし、発見され報告されることも予想できたはずである。そこに我々が疑問を持った。『何があるんだ』我々の想像を超えるべき劇的なことをするのではないかと考えていた。『大和はどこに何をしにでてきたのか』果して何の為に。我々には想像することが出来ないでいた。
(第58機動部隊参謀長アーリーバーク氏証言より。ラッセルスパー氏記事「A GLORIOUS WAY TO DIE」218ページより)
バンカーヒルのCIC室は、この情報から先、検討できずにおりました。ミッチャーはこの5分間の間にたぼこをもう既に十本近く灰にしております。そのご機嫌斜めのミッチャーにスプールアンスからの電文が届きます。ミッチャーは苦虫を潰したような顔をしましたが、たばこを横に咥えながら一瞬「ニヤリ」とするのでした。
「何かいい知らせでも・・」
作戦担当官が、おそるおそる聞きました。
「な・な・にが・・・いい知らせ・・だと!ふざけるな!電文はこうだ『デカイ奴のことなど忘れろ』だ。・・誰が忘れてなんかやるもんか!しかも、デヨーの親父に奴を仕留めろときたもんだ。あんなおんぼろ戦艦に何が出来るんだ!いいか、俺は決めた。奴を仕留めるのが、俺たち『空母』の仕事なんだ。腹の減ったペリカン達にうまいご馳走をくれてやるんだ!」
ミッチャーの激は真夜中を過ぎたバンカーヒルCIC室の眠気を吹き飛ばしました。
「さぁ、もう一度やろう。何故日本艦隊が出てきたかだ。戦闘をする気でいるに決まっている」
「本当にそうでしょうか。反転して九州へ向うのでは・・」
「いや、奴等はきっと沖縄へ向うはずだ。ただし、俺たちの微笑みをかわしながら奴は南下するに違い無い。夜中に航行。早朝沖縄だが・・」
情報士官達は議論を交わしております。
「だったら今すぐ北上を開始しませんと・・」
「カミカゼの攻撃に対して無防備では・・それにもまして地上部隊への支援が出来なくなる」
地上部隊を放置することは出来ません。ですから沖縄本島からの行動半径は限られております。どうやって両者を成り立たせるのか。この妥協点が難しいのでした。
どこまで北上すればいいのか。これが問題なのです。艦載機の戦闘距離が問題でした。
「航空機は行動半径ギリギリで作戦を行なうことになるだろう」
「ちょうど、この辺りなら」
「奴等が沖縄へ向う、この辺りだな。するとグラマンで敵と遭遇した場合・・」
「敵と対峙できるのは約15~20分となります」
「充分であろうか?攻撃機の通信も届かない。100マイルがいいとこだ」
「例の途中で、そう60マイルごとに旋廻機を待機させないと。情報が全く入ってこない」
「『気が変わった!西に行こう』となったり、やはり『僕等は九州へ行くんだ』とか。日本艦隊が考えていたとしたら。スプールアンスは・・・想像したくナイ!」
ミッチャーは作戦担当官達の会話をたばこを吹かしながら聞いておりました。が。突然の発言。
「なぁーに、奴等は必ず沖縄へ向う。天候もそうだ。あまり芳しくない。これは奴等も俺たちも一緒だ。カミカゼの出撃も少ないだろう。そうなるとゼロファイターも来ないってもんだ。そうだ、決まっている、すぐ北上だ。そしてデヨーの親父じゃない。俺たちがやっつける!んだ!」ミッチャーは自信たっぷりに話ましたが。
「全ては、夜明けからの偵察だ。これが全てを決める」
そういい残すと、ミッチャーは簡易ベッドで寝る事にしました。
「そうだ。犯人がまだだった・・な」
読みかけの推理小説を開きます。ですが、なかなか集中できませんでした。
「レイテの時だって、デカイ奴をやっつけたのは俺たち空母なんだ。潜水艦じゃないんだ」
数ページ読んだだけで、眠気が襲ってきました。
お気づきの方もいらっしゃるかと存じます。前回4月七日。日の出前で話が終了いたしております。上記バンカーヒルでの出来事はそれより約5時間前のことです。少し時計をもどしました。潜水艦の接触はその後も頻繁にあったようです。
すでに、隊形は大和を中心として、大和の前方から側面に駆逐艦六隻を配列し、矢矧の両側に駆逐艦二隻の輪形陣を組んで進んでいた。
森下参謀長はさすがに歴戦の体験者で遊弋する敵潜水艦をすでに視認していたようで、緊張はさらにくわわった。
そして水測班に警戒を厳重にするよう命令が下ったが、水測班の浅羽少尉の活躍を期待して止まなかった。だが、駆逐艦霞よりの電信は海豚の誤りと打電があり、出撃後初めて艦橋に笑い声があがったのであった。
(渡辺光男さん手記より抜粋)
それぞれの夜が明けます。4月7日。朝を迎えます。
九州鹿屋基地。第五航空艦隊。
草鹿龍之介参謀長は、夜明け前から司令室におりました。外は雨。ここで宇垣司令長官を待っていたのでした。
午前三時の電報。「直俺機実施」の内容に心配があったのでした。
草鹿参謀長は時計を見ました。午前四時三十分。いつもだったら、一番機が飛ぶ時間。今日はそれがありません。
「やはり、この天候では無理であろうか。直俺もか・・それは何とかしていただかないと」
そう考えたものの、昨日の電文を改めて探しました。第二艦隊からのものは在りませんでした。
「無線封鎖か。そうであった。予定では、GF司令長官が本日、鹿屋視察となっているが」
この天候ではそれもないことでありました。
宇垣司令長官が指揮所に到着したのは夜明けよりしばらく立ってからでした。
宇垣司令長官の顔を見るなり草鹿参謀長はこう切り出しました。
「第一遊撃部隊への直俺機は、やはり必要かと考えるが」
宇垣司令長官は、その言葉を聴くなり、顔をそむけ、他の士官達と話を始めました。
「宇垣司令長官。直俺機についてだが」
二度の催促に宇垣司令長官も無視することは出来なくなりました。ゆっくりと草鹿参謀長の顔を見上げました。
「この天気だ!無理である」
一言でした。
「天候は今後どう推移するのか」
五航艦気象班に草鹿参謀長が尋ねました。
「低気圧が九州上空から東シナ海へ移動しおり、沖縄方面はおおむね天候が回復基調にある」との報を聞きました。
「天候が回復しだしている。1YBへの上空直俺を依頼する!」
宇垣司令長官は、窓の外を見ながら返答しました。
「今、鹿屋からは飛行機は出せない。出水からなら出せる。が、短時間になる。これが精一杯だ」
草鹿参謀長は未明の電文を読んだ伊藤司令長官の顔が浮かぶのでした。
雨の音を聞きながら「絶望感」にさいなまれる自分を感じているのでした。
空母バンカーヒル内。ミッチャーは寝不足を感じているものの、32ノットで北上中の飛行甲板へ出ました。夜明け少し前。まだ艦影は見えない中、75隻の艦の動きは感じ取れました。
自室へ戻りシャワーを浴びます。そして着替え。いつもの通りのルーティンですが。今日だけ違っていることがありました。
胸ポケットがたばこで膨らんでいるのです。
「今日はタフな一日になる」
そう考えて、普段より多い数のたばこを用意したのでした。
「俺より上手く、空母の甲板で火をつけられる奴はいない」
ミッチャーの自慢の一つでした。
ミッチャーは最初の一本を口にします。
「天気だ。天候がどうなるか・・・」
バンカーヒルの司令室。参謀長アーリーパークが早くも椅子に座っておりました。
「太平洋艦隊司令官」として「チェスター・ニミッツ元帥」→「第五艦隊司令官 レイモンド・スプールアンス大将」その下部組織として4つの機動部隊が編成されております。
「第51機動部隊リッチモンド・ターナー中将」「第54機動部隊 モートン・デヨー少将」「第58機動部隊 マーク・ミッチャー中将」「第57機動部隊(イギリス空母部隊)H・ローリングス中将」
この本篇で登場しましたのは「第54機動部隊」(戦艦を主力とする艦砲射撃部隊)と「第58機動部隊」(高速空母部隊)です。
更に、この「第58機動部隊」は4群に分かれており、それぞれが独立艦隊のような型をなしております。本篇では「58・1」と今後表記いたしますが「第58・1機動群」「J・クラーク少将」編成空母「ホーネット」「ベニントン」「ベローウッド」「サンジャシント」の4隻。「第58・2機動群」「R・ディビソン少将」編成空母「ランドルフ」「エンタープライズ」「インディペンデンス」の3隻。「第58・3機動群」「T・シャーマン少将」編成空母「エセックス」旗艦「バンカーヒル」「バターン」「キャボット」「ハンコック」の4隻「第58・4機動群」「A・ラドフォード少将」編成空母「ヨークタウン」「イントレビット」「ラングレー」の3隻。
以上です。
一群だけでも、連合艦隊最盛期の空母とほぼ変わらない数です。この部隊を戦艦一隻、巡洋艦一隻、駆逐艦8隻。この部隊で挑む作戦です。
物量の差を思い知らされます。
日付が変わっております。再びスプールアンス大将です。
「デヨーの親父にあのデカイ戦艦を沈めてもらいたい・・のだが・・」
スプールアンスは夜中(4月7日未明)を過ぎても眠れないでいるのでした。やらなければならないことは山程出てきました。ニューメキシコのCIC室では今夜は徹夜で大和以下が出撃した情報が整理されております。
「大和へ一番近い部隊は『デヨーの子供達』であったが、戦艦同士の殴り合いは何時からないんだ?」
開戦当時、アメリカでも航空機による艦隊襲撃はオプションプランだったことは明確でした。空母による艦隊襲撃は「パールハーバー」や「レパルス」を沈めたことで有名ですが「日本海軍のお家芸」的作戦だったのです。ですが、この時期、最早戦艦同士の打ち合いは作戦として後になっておりました。戦艦はこの沖縄上陸作戦では顕著ですが「陸上艦砲射撃」がその任務を主としております。デヨー艦隊は主にその為にあるのでした。
「トーゴーの息子達がはるばるやって来るんだ。そこそこの歓迎は必要であろう」
スプールアンスはアナポリス時代、何度も「日本海海戦」の作戦図は見てきました。そしてかつてその「トーゴーの息子達」を自宅へ招きました。「アドミラルトーゴーは、尊敬してやまない」彼はその時、はるばる日本からやって来た彼等にそう話しております。
「あのデカイ奴にもトーゴーの息子達はいるのだろう・・・」
伊藤整一第二艦隊司令長官は、そのスプールアンスの自宅へ招かれたメンバーでした。
スプールアンスは意を決しました。
「第54機動部隊へ、至急命令!日本の艦隊に対処せよ・・・だ」
真夜中をだいぶ過ぎておりました。しかし・・・しかしです。スプールアンスは、第54機動部隊よりはるか南方にいる部隊が気になったのでした。「マーク・ミッチャー」が率いる「第58機動部隊です」
「ミッチャーの奴が潜水艦の報告に黙っているとは思えん・・」
ベッドに入りかけたスプールアンスは再び兵を呼びました。
「第58機動部隊にもだ。電文だ」
「同じ内容でよろしいでしょうか?」
「違う!逆だ!いいか、これだけ打っておけ『デカイ奴のことは忘れろ』だ!」
バンカーヒルのCIC室。ミッチャーはまだ仕事中です。「大和以下日本艦隊の豊後水道脱出」これについての議論がされているところでした。潜水艦からの情報をミッチャーが知ってからミッチャーは自身でこの日本艦隊へ引導を渡すことを決意していたのでした。
しかし、まだ日本艦隊の具体的な目的は見えておりません。
我々は通例、戦闘の前に何をすべきかについて協議する。司令官と私は海上では艦橋を離れることはない『何が起きるのか』『うまくいかなかった場合には何ができるのか』『速やかな決定のためにはいかなるデータが必要か』を検討させる。これらの決定は、時間をかけて初期研究を行ったあとになされるのが通例である。(中略)『大和が海上に出た』と報告した潜水艦からの情報を入手したので、情報担当者に検討させた。日本軍は我々が豊後水道をカバーしていることは知っていたし、発見され報告されることも予想できたはずである。そこに我々が疑問を持った。『何があるんだ』我々の想像を超えるべき劇的なことをするのではないかと考えていた。『大和はどこに何をしにでてきたのか』果して何の為に。我々には想像することが出来ないでいた。
(第58機動部隊参謀長アーリーバーク氏証言より。ラッセルスパー氏記事「A GLORIOUS WAY TO DIE」218ページより)
バンカーヒルのCIC室は、この情報から先、検討できずにおりました。ミッチャーはこの5分間の間にたぼこをもう既に十本近く灰にしております。そのご機嫌斜めのミッチャーにスプールアンスからの電文が届きます。ミッチャーは苦虫を潰したような顔をしましたが、たばこを横に咥えながら一瞬「ニヤリ」とするのでした。
「何かいい知らせでも・・」
作戦担当官が、おそるおそる聞きました。
「な・な・にが・・・いい知らせ・・だと!ふざけるな!電文はこうだ『デカイ奴のことなど忘れろ』だ。・・誰が忘れてなんかやるもんか!しかも、デヨーの親父に奴を仕留めろときたもんだ。あんなおんぼろ戦艦に何が出来るんだ!いいか、俺は決めた。奴を仕留めるのが、俺たち『空母』の仕事なんだ。腹の減ったペリカン達にうまいご馳走をくれてやるんだ!」
ミッチャーの激は真夜中を過ぎたバンカーヒルCIC室の眠気を吹き飛ばしました。
「さぁ、もう一度やろう。何故日本艦隊が出てきたかだ。戦闘をする気でいるに決まっている」
「本当にそうでしょうか。反転して九州へ向うのでは・・」
「いや、奴等はきっと沖縄へ向うはずだ。ただし、俺たちの微笑みをかわしながら奴は南下するに違い無い。夜中に航行。早朝沖縄だが・・」
情報士官達は議論を交わしております。
「だったら今すぐ北上を開始しませんと・・」
「カミカゼの攻撃に対して無防備では・・それにもまして地上部隊への支援が出来なくなる」
地上部隊を放置することは出来ません。ですから沖縄本島からの行動半径は限られております。どうやって両者を成り立たせるのか。この妥協点が難しいのでした。
どこまで北上すればいいのか。これが問題なのです。艦載機の戦闘距離が問題でした。
「航空機は行動半径ギリギリで作戦を行なうことになるだろう」
「ちょうど、この辺りなら」
「奴等が沖縄へ向う、この辺りだな。するとグラマンで敵と遭遇した場合・・」
「敵と対峙できるのは約15~20分となります」
「充分であろうか?攻撃機の通信も届かない。100マイルがいいとこだ」
「例の途中で、そう60マイルごとに旋廻機を待機させないと。情報が全く入ってこない」
「『気が変わった!西に行こう』となったり、やはり『僕等は九州へ行くんだ』とか。日本艦隊が考えていたとしたら。スプールアンスは・・・想像したくナイ!」
ミッチャーは作戦担当官達の会話をたばこを吹かしながら聞いておりました。が。突然の発言。
「なぁーに、奴等は必ず沖縄へ向う。天候もそうだ。あまり芳しくない。これは奴等も俺たちも一緒だ。カミカゼの出撃も少ないだろう。そうなるとゼロファイターも来ないってもんだ。そうだ、決まっている、すぐ北上だ。そしてデヨーの親父じゃない。俺たちがやっつける!んだ!」ミッチャーは自信たっぷりに話ましたが。
「全ては、夜明けからの偵察だ。これが全てを決める」
そういい残すと、ミッチャーは簡易ベッドで寝る事にしました。
「そうだ。犯人がまだだった・・な」
読みかけの推理小説を開きます。ですが、なかなか集中できませんでした。
「レイテの時だって、デカイ奴をやっつけたのは俺たち空母なんだ。潜水艦じゃないんだ」
数ページ読んだだけで、眠気が襲ってきました。
お気づきの方もいらっしゃるかと存じます。前回4月七日。日の出前で話が終了いたしております。上記バンカーヒルでの出来事はそれより約5時間前のことです。少し時計をもどしました。潜水艦の接触はその後も頻繁にあったようです。
すでに、隊形は大和を中心として、大和の前方から側面に駆逐艦六隻を配列し、矢矧の両側に駆逐艦二隻の輪形陣を組んで進んでいた。
森下参謀長はさすがに歴戦の体験者で遊弋する敵潜水艦をすでに視認していたようで、緊張はさらにくわわった。
そして水測班に警戒を厳重にするよう命令が下ったが、水測班の浅羽少尉の活躍を期待して止まなかった。だが、駆逐艦霞よりの電信は海豚の誤りと打電があり、出撃後初めて艦橋に笑い声があがったのであった。
(渡辺光男さん手記より抜粋)
それぞれの夜が明けます。4月7日。朝を迎えます。
九州鹿屋基地。第五航空艦隊。
草鹿龍之介参謀長は、夜明け前から司令室におりました。外は雨。ここで宇垣司令長官を待っていたのでした。
午前三時の電報。「直俺機実施」の内容に心配があったのでした。
草鹿参謀長は時計を見ました。午前四時三十分。いつもだったら、一番機が飛ぶ時間。今日はそれがありません。
「やはり、この天候では無理であろうか。直俺もか・・それは何とかしていただかないと」
そう考えたものの、昨日の電文を改めて探しました。第二艦隊からのものは在りませんでした。
「無線封鎖か。そうであった。予定では、GF司令長官が本日、鹿屋視察となっているが」
この天候ではそれもないことでありました。
宇垣司令長官が指揮所に到着したのは夜明けよりしばらく立ってからでした。
宇垣司令長官の顔を見るなり草鹿参謀長はこう切り出しました。
「第一遊撃部隊への直俺機は、やはり必要かと考えるが」
宇垣司令長官は、その言葉を聴くなり、顔をそむけ、他の士官達と話を始めました。
「宇垣司令長官。直俺機についてだが」
二度の催促に宇垣司令長官も無視することは出来なくなりました。ゆっくりと草鹿参謀長の顔を見上げました。
「この天気だ!無理である」
一言でした。
「天候は今後どう推移するのか」
五航艦気象班に草鹿参謀長が尋ねました。
「低気圧が九州上空から東シナ海へ移動しおり、沖縄方面はおおむね天候が回復基調にある」との報を聞きました。
「天候が回復しだしている。1YBへの上空直俺を依頼する!」
宇垣司令長官は、窓の外を見ながら返答しました。
「今、鹿屋からは飛行機は出せない。出水からなら出せる。が、短時間になる。これが精一杯だ」
草鹿参謀長は未明の電文を読んだ伊藤司令長官の顔が浮かぶのでした。
雨の音を聞きながら「絶望感」にさいなまれる自分を感じているのでした。
空母バンカーヒル内。ミッチャーは寝不足を感じているものの、32ノットで北上中の飛行甲板へ出ました。夜明け少し前。まだ艦影は見えない中、75隻の艦の動きは感じ取れました。
自室へ戻りシャワーを浴びます。そして着替え。いつもの通りのルーティンですが。今日だけ違っていることがありました。
胸ポケットがたばこで膨らんでいるのです。
「今日はタフな一日になる」
そう考えて、普段より多い数のたばこを用意したのでした。
「俺より上手く、空母の甲板で火をつけられる奴はいない」
ミッチャーの自慢の一つでした。
ミッチャーは最初の一本を口にします。
「天気だ。天候がどうなるか・・・」
バンカーヒルの司令室。参謀長アーリーパークが早くも椅子に座っておりました。
兵学校や大学校での成績順。これのみが評価基準となっていたと言っても過言ではなかったですよね。
実戦にこそ強い指揮官を選抜する。この当たり前の組織力の差こそが戦争全体の敗因だったのではないでしょうか。
航空畑出身のマーク・ミッチャーは、どうしても空母部隊で大和の息の根を止めたかったのでしょうね。もうそこはイケイケです。
ブル・ハルゼーに代表されるようなイケイケの提督を、マイナス面も包括しつつ生かしきれたのも米国の人事組織力の優位点です。
結局のところ21世紀を迎えた段階で人事組織に関しては米国はもちろん中国にも遅れを取ってしまったような気がします。
神大佐は海兵トップでの卒業でした。
この成績が後の人事に大きく影響するのですね。戦時の実績よりこのトップの方が大きく取上げられることが多いこの人ででした。
アメリカと本国の同時進行の時間流れは、導火線に火を着けられたようなスリルを感じますね。
実際の現場は緊迫していたのでしょう。