晩ご飯の時、テレビは、「リボンの騎士」の再放送を放映していました。オープニングタイトルとテーマ曲が画面から流れてきました。(オーケストラを駆使したあの音楽は今でもスゴイ。トムジェリ並みの音響効果だったと思います)スタッフの紹介が字幕で流れていたとき、「おかあさんこの人知ってるよ」といきなり母親が話しはじめました。
「だれっしゃ?」
「『丸山正雄』っていう人」
「なんで知ってんのっしゃ?」
「この人のおかあさん東北ドックにいたから、よく話したのっしゃ」
母は、当時の東北ドック(現東北造船)のタイピストでした。
母から聞くと、丸山正雄さんのお母さんも東北ドックにいたらしく、よく「今日まさおちゃんの名前テレビに出てたね」と話をしたそうです。
次の日、テーマ曲と一緒に流れる字幕を目を凝らしてみておりましたら、「設定デザイン 丸山正雄」と確かにございます。
ぼくの好きだった手塚アニメ(当時はアニメとは言わなかったなぁ。マンガだよね)のスタッフに身近な人がいたことに子供心に感動いたしました。
翌日学校でその話をしんどう君とさとう君(佐藤正君。このお話の主人公。後の漫画家。アニメ原作者)に話しました。
(相変わらず、時間は前後いたしますが、この話は小学校5年生の時、酔漢が塩竃二小、5年7組の時です。昭和48年の年です)
「昨日、『リボンの騎士』見てたら、『丸山正雄』って人いてや、塩竃の人だど」
「ほんとかや」
「んだって、その人のおかあさんって前に造船さいたんだと。ほして、家のお母さんも造船さぁいたからっしゃ」
「んで、おらほの学校かや」
「みてぇだど」
さとう君はことのほかうれしかったようでした。「手塚治の漫画は俺も真似して描いたりするんだけどっしゃ、上手くいかねど」
丸山さんは知る人ぞ知る「マッドハウス」を設立した人です。
日本アニメの創世記から現在にいたるまで、その歴史が、氏自身であったとしても過言ではないと思います。
昨年、帰省いたしました。古い写真が出でまいりました。酔漢、幼稚園入園直前の頃だと思います。母との会話です。
「また、古い写真でてきたなや」
「これね、箪笥から出てきたのっしゃ」
「俺、絵書いてんだっちゃな」
「そう、これね。塗り絵だったんだってば」
「塗り絵すか?そういえば、何か絵書いてっちゃ。んでも何かいてんだすぺ?」
「『ジャングル大帝』だったか『アトム』だったか・・・」
「やっぱしあの当時は大人気だったからなや」
「そう、そう貰ったのっしゃ!思い出した。丸山さんから頂いて・・」
「『丸山正雄』さんのお母さんだすぺ」
「んだ。造船やめっとき、『あんだの子供さぁこいずばあげっから』って、もらったんだおん。ペラペラの下敷きみてぇのさぁ書いてあったのっしゃ」
「ちょっと待ってけさいん!ペラペラのぉ・・・・・それセル画でねぇのすか?」
「なんだかわかんねぇおん。紙でねかったのは確かだったような・・」
母の記憶も定かではございません。
でもよぉぉく考えてみましたら・・・
「もしかして、手塚アニメ初期、虫プロのセル原画でなかったのすか!」
「何っしゃ?そいず・・・・」
一枚の写真が頼りですが、完全にクレヨンで塗りつぶしているわけですから、もうレオだかアトムだかは完全に不明です。
もし、それが、セル画であって原画であれば。
「お宝間違いございません」
当時、価値あるものと誰も気づいていなかったのでした。
そのまま残っておりますれば・・・
そうだよなぁ。「塗り絵にちょうどいいっちゃ」って誰しも思っていた頃なんですよね。時代だよなぁ。
高校時代に話が飛びます。お昼休み、音楽室。(仙台向山高校内)
「誰だぁ『シルバーウェーヴ』なんて弾いているのは。こんな奴、家の高校さぁいだかぁ?」
「『ようこ』ちゃんだべ。指の練習だってや」
「何っしゃ。指の練習で『シルバーウェーヴ』弾くのかや!」
隣の席の「ようこ」ちゃんです。彼女、ピアニストとして、作曲家として、音楽の才能に溢れた才女でございました。が、「アニメおたく?」(これは、いかにも彼女に失礼だよなぁぁ)的なところがありまして、「アニメージュ創刊付録『マチルダさん等身大ポスター』」に(教室に張り出したひろし君です)自分でサイン(というか漢字で名前)していたのでした。彼女のガンダム好きはこれから始まったのかとも思いますが。⇒一年戦争はよく語ったなぁ。後に「ターンAガンダム」の音楽監修を勤めるとは想像だにしませんでした。
はたして、「甲殻機動隊」の作曲、音楽監修を努めた同女史でございます。
(くもんのCMとかカロリーメイトとか・・)
マッドハウスと接点があるかなぁ・・・と探しておりましたら・・ありそうでなかった。
あったらこの話のフィニッシュは最高の「落ち」になったところだけに少し残念。
「『リボンの騎士』設定は丸山正雄さんで、塩竈の人だったんだ」
「へぇ知らなかった。あんがい近くにそういう人いたんだねぇぇぇ」
とは、菅野よう子ちゃんの言葉。
現在、そのまま。
「『甲殻機動隊』の作曲は菅野よう子さんで岩沼の人だったんだ」
「へぇしゃねがった。あんがい近くにそういう人いたんだっちゃ」
考えますれば。
小学校同級生に佐藤正君がいて。高校同級生に「菅野よう子」ちゃんがいて。大学落研がらみで「山寺宏一」さんがいて。近くに「丸山正雄」さんがいて・・・。
「アニメの虎の穴」とも「アニメの梁山泊」とも・・言われておりません。が!
つくづく、あの頃の塩竈、仙台におりました不幸(否)幸運をかみ締めております酔漢でございました。
塩竈市立第二小学校。当時児童数が県下二位。一学年7クラス。木造校舎とビニールプール。ですが・・・事件?には事欠かない小学校だったのでした。
追伸です。
丸山正雄さんのお母様。東北ドックでお掃除がお仕事と聞きました。ハーグ事件の犯人のお父様も東北ドックで設計課にいらしたそうです。
丸山さんのお母様が東北ドックでハーグ事件の犯人のお父様の部屋を掃除していたことは日々のルーチンだったのでした。
歴史の複雑さをも知るのでした。
「だれっしゃ?」
「『丸山正雄』っていう人」
「なんで知ってんのっしゃ?」
「この人のおかあさん東北ドックにいたから、よく話したのっしゃ」
母は、当時の東北ドック(現東北造船)のタイピストでした。
母から聞くと、丸山正雄さんのお母さんも東北ドックにいたらしく、よく「今日まさおちゃんの名前テレビに出てたね」と話をしたそうです。
次の日、テーマ曲と一緒に流れる字幕を目を凝らしてみておりましたら、「設定デザイン 丸山正雄」と確かにございます。
ぼくの好きだった手塚アニメ(当時はアニメとは言わなかったなぁ。マンガだよね)のスタッフに身近な人がいたことに子供心に感動いたしました。
翌日学校でその話をしんどう君とさとう君(佐藤正君。このお話の主人公。後の漫画家。アニメ原作者)に話しました。
(相変わらず、時間は前後いたしますが、この話は小学校5年生の時、酔漢が塩竃二小、5年7組の時です。昭和48年の年です)
「昨日、『リボンの騎士』見てたら、『丸山正雄』って人いてや、塩竃の人だど」
「ほんとかや」
「んだって、その人のおかあさんって前に造船さいたんだと。ほして、家のお母さんも造船さぁいたからっしゃ」
「んで、おらほの学校かや」
「みてぇだど」
さとう君はことのほかうれしかったようでした。「手塚治の漫画は俺も真似して描いたりするんだけどっしゃ、上手くいかねど」
丸山さんは知る人ぞ知る「マッドハウス」を設立した人です。
日本アニメの創世記から現在にいたるまで、その歴史が、氏自身であったとしても過言ではないと思います。
昨年、帰省いたしました。古い写真が出でまいりました。酔漢、幼稚園入園直前の頃だと思います。母との会話です。
「また、古い写真でてきたなや」
「これね、箪笥から出てきたのっしゃ」
「俺、絵書いてんだっちゃな」
「そう、これね。塗り絵だったんだってば」
「塗り絵すか?そういえば、何か絵書いてっちゃ。んでも何かいてんだすぺ?」
「『ジャングル大帝』だったか『アトム』だったか・・・」
「やっぱしあの当時は大人気だったからなや」
「そう、そう貰ったのっしゃ!思い出した。丸山さんから頂いて・・」
「『丸山正雄』さんのお母さんだすぺ」
「んだ。造船やめっとき、『あんだの子供さぁこいずばあげっから』って、もらったんだおん。ペラペラの下敷きみてぇのさぁ書いてあったのっしゃ」
「ちょっと待ってけさいん!ペラペラのぉ・・・・・それセル画でねぇのすか?」
「なんだかわかんねぇおん。紙でねかったのは確かだったような・・」
母の記憶も定かではございません。
でもよぉぉく考えてみましたら・・・
「もしかして、手塚アニメ初期、虫プロのセル原画でなかったのすか!」
「何っしゃ?そいず・・・・」
一枚の写真が頼りですが、完全にクレヨンで塗りつぶしているわけですから、もうレオだかアトムだかは完全に不明です。
もし、それが、セル画であって原画であれば。
「お宝間違いございません」
当時、価値あるものと誰も気づいていなかったのでした。
そのまま残っておりますれば・・・
そうだよなぁ。「塗り絵にちょうどいいっちゃ」って誰しも思っていた頃なんですよね。時代だよなぁ。
高校時代に話が飛びます。お昼休み、音楽室。(仙台向山高校内)
「誰だぁ『シルバーウェーヴ』なんて弾いているのは。こんな奴、家の高校さぁいだかぁ?」
「『ようこ』ちゃんだべ。指の練習だってや」
「何っしゃ。指の練習で『シルバーウェーヴ』弾くのかや!」
隣の席の「ようこ」ちゃんです。彼女、ピアニストとして、作曲家として、音楽の才能に溢れた才女でございました。が、「アニメおたく?」(これは、いかにも彼女に失礼だよなぁぁ)的なところがありまして、「アニメージュ創刊付録『マチルダさん等身大ポスター』」に(教室に張り出したひろし君です)自分でサイン(というか漢字で名前)していたのでした。彼女のガンダム好きはこれから始まったのかとも思いますが。⇒一年戦争はよく語ったなぁ。後に「ターンAガンダム」の音楽監修を勤めるとは想像だにしませんでした。
はたして、「甲殻機動隊」の作曲、音楽監修を努めた同女史でございます。
(くもんのCMとかカロリーメイトとか・・)
マッドハウスと接点があるかなぁ・・・と探しておりましたら・・ありそうでなかった。
あったらこの話のフィニッシュは最高の「落ち」になったところだけに少し残念。
「『リボンの騎士』設定は丸山正雄さんで、塩竈の人だったんだ」
「へぇ知らなかった。あんがい近くにそういう人いたんだねぇぇぇ」
とは、菅野よう子ちゃんの言葉。
現在、そのまま。
「『甲殻機動隊』の作曲は菅野よう子さんで岩沼の人だったんだ」
「へぇしゃねがった。あんがい近くにそういう人いたんだっちゃ」
考えますれば。
小学校同級生に佐藤正君がいて。高校同級生に「菅野よう子」ちゃんがいて。大学落研がらみで「山寺宏一」さんがいて。近くに「丸山正雄」さんがいて・・・。
「アニメの虎の穴」とも「アニメの梁山泊」とも・・言われておりません。が!
つくづく、あの頃の塩竈、仙台におりました不幸(否)幸運をかみ締めております酔漢でございました。
塩竈市立第二小学校。当時児童数が県下二位。一学年7クラス。木造校舎とビニールプール。ですが・・・事件?には事欠かない小学校だったのでした。
追伸です。
丸山正雄さんのお母様。東北ドックでお掃除がお仕事と聞きました。ハーグ事件の犯人のお父様も東北ドックで設計課にいらしたそうです。
丸山さんのお母様が東北ドックでハーグ事件の犯人のお父様の部屋を掃除していたことは日々のルーチンだったのでした。
歴史の複雑さをも知るのでした。
テレビ漫画「リボンの騎士」の設定デザインが塩竈の人で、将棋の名人がいて、ハーグが・・。
「リボンの騎士」のオープニングは実にいいです。当時のテレビ漫画では秀逸では?
もう一度字幕を見てみます。
赤塚賞と手塚賞の入選者でしたね ♪
しかぁ~し!!!
塩竃には、ほれあの人が!マンガは描かないが、マンガ本を創る人・・・
長井勝一(ながい かついち)大先輩がいたじゃないですか!!!
でも塩竃ばかりじゃない!宮城県出身のマンガ家は綺羅星の如くいますね!
ざっと羅列しただけで、
大御所石ノ森章太郎大先生を筆頭にして、以下、大友克洋、いがらしみきお、荒木飛呂彦(ジョジョの奇妙な冒険)、
内崎まさとし(らんぽう)、村田雄介(アイシールド21)、藤田まぐろ(ケロケロちゃいむ)、
去年ブレイクした武梨えり(かんなぎ)とその兄貴の結城心一(宇宙スレイヴ後藤田リサコ)etc.etc・・・
それとも「より大きな世界」への志向。
我々の故郷の街々に育った若者は、仙台へ、さらに東京へと。
身近に仙台という、そこそこの都会が存在していることが、志を育てるのでしょうね。
まあ、上京はしたものの、挫折ばかりの人生てー奴もおりまして。トホホ・・・
そうそう、地元吉祥寺は漫画・アニメの街となっております。
「水島御殿」と「まことちゃんハウス」実はかなり接近して建てられております。
ジブリは今もって大賑わいのようですが、息子たちの小学校の校外学習コースでもあります。
手塚作品で心に残るのは「0マン」です。
ぐずらとよくその話題で盛り上がってます。
私は小さい頃、外食時や床屋さんで置いてある少年漫画を読むのが楽しみでした。
もちろん「なかよし」や「りぼん」を愛読もしてましたよ!(祖母が毎月買ってくれました)
実家には手塚治虫全集が全巻揃っています。小学校の頃の愛読書です。
科学のこと、世界の遺跡や差別・医療問題などなど… 様々なことをこのシリーズで知りました。
手塚作品では「三つ目がとおる」がやっぱり一番好きかな?
短編の作品には社会問題を捉えたものが多くて好んで読んでいました。
宝塚と戦争の話は小さな私には衝撃でした。
「漫画家ってすごい!ただ絵がうまいだけじゃダメで、小説家や脚本家でもあるんだ」って思いました。
…あっ、長くなりそう。ごめんなさい!
クロンシュタットさんのお宅はジブリ美術館のお近くだったのですね!いいなぁ~
5~6年前に行きましたよ。ジブリ!!
ゾートロープの部屋にずっといたぱるえです。また行きたいっ☆
特にメジャーな所で活躍する人が短にいれば嬉しいものです。
セルが原画なら凄いですね。
塗りつぶさなければの話しです。
ディズニーや、やはり初期のカートゥーンに匹敵すると思うのです。
トムジェリは映像を見ながらオケが演奏してました。これはオペラ並みに臨場感を与えてくれてます。
記憶の中ですが、オープニング中ほど、サファイアが湖畔を馬に乗っているあたりに字幕で紹介されていたと思います。
このブログの最終話です。今から話しておきます。ですから、若干取材の時間を取りました。
自身では塩竈小学校時代と繫がっているように思えてならなかったからです。
佐藤正君は6年間の内3年間同じクラスでした。不思議と縁のある男です。
そうです、宮城のアニメは世界に冠たる文化なのです。
ガロの長井さんの展示品が塩竈公民館にあると聞きました。尋ねてみようと思います。
「0マン」ですか。意外なところをついておられます。原作で読みました。酔漢も好きな作品です。
腰痛お大事に。ご無理なさいませぬよう。
ブックマークの中の「アッと!乱だム」(トム様ブログ)にお立ち寄り下さい。(ぐずら様へもお薦め)
この手の話題が豊富なだけではなく、かなり奥深い解説がされております。
楽しめますヨ。
最近の菅野ようこちゃんの作品
「ビタミンウォーター」は笑いました。
でも、誰も気づいておりませんし、その価値だって写真を見るまで判りませんでした。
いろんな出来事がありましたが、そばにいる人達がとても魅力的でした。それを自身の記憶を整理しながら語りたいとブログを始めたきっかけでした。