酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 四月七日

2011-04-07 08:14:33 | 大和を語る
第二艦隊が沖縄突入作戦を決行し、その途中、米第58機動部隊の攻撃にあい、作戦中止を余儀なくされ。多くの犠牲者を出しました。

その日、今日。

66年目の春です。

祖父命日。

墓石のあるところは、まだ確認しておりません。
背の高い墓ですので、倒れているのかもしれない。
こう思っております。

「大和を語る」は、本来、今日。最終話とする事を目標に語ってまいりました。
昨年四月七日は、父の「がん宣告」の為に。そして今年はこの震災で、最終話が四月七日とは行きませんでした。

祖父が眠る同性寺の写真は先にご紹介いたしました。
あの惨状です。
ですが、ご住職はじめ、町の人達、浜の親戚をはじめ、復興に動き始めました。
まだ、避難所で生活されておられる方々も多数。
亡くなられた方々も大勢。

あの美しい風景が果たして戻るのか。
「戻したい」
「戻す!」

そして、父、祖母、祖父、叔父が再び安らかなる眠りにつく事を願って止みません。

祖父、祖母も花渕浜の生まれ育ち。
二人がこの浜を出て、横須賀へ向かった経緯は酔漢も詳しくは知りません。

次回、祖母と酔漢を語ります。

「大和を語る」
再び始めます。


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2 コメント

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Unknown (ひー)
2011-04-12 12:57:15
何かと忙しく、訪問出来ずにいました。
新地の画像が手元に来ました。丹治さんが乗っていた電車だと思うのですが、その写真もあります。
まだ、画像を編集中でUPしていませんが、しばらくお待ち下さい。
返信する
ひー様へ (酔漢です )
2011-04-14 09:48:50
新地の写真へコメントいたしました。
ありがとうございました。
あの電車の破損は遠目で見るよりすごいです。
本当に無事でよかった。
そう思っております。
丹治さんと電話。
「一カ月経って改めて恐怖を感じる」
彼の本音だと思うのです。
返信する

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