酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 遺族として、家族として 祖母

2011-04-08 10:25:06 | 大和を語る
昨年3月18日。
前日、急に思い立ち「横須賀」へと向かいました。
「横須賀市不入斗七二七」
祖父家族が住んでいた住所でした。
当然、現在は番地が変わっております。
考えますれば、何故この日に「横須賀へ行こう」と考えたのか、不思議でなりません。

JR横須賀駅。この駅は不思議な駅です。
先ず、階段どころか、段差が一つもありません。
そして、一番ホームがありません。
建物は昭和初期のまんまです。
「じいちゃんもこの駅から海軍省さぁ通ってたんだっちゃ」
こう考えながら、駅を降りました。
駅を出てバスを探しましたが、そこでふと「じいちゃんは不入斗まで歩いた」と父から聞いておりましてので、歩くことに。
ドブ板通りを歩いておりますとき、携帯がなりました。
母からです。
内容は、父の末期がんを知らせるものでした。
予想はしていたものの、自分が今「横須賀にいる」この運命を考えてしまいました。

鶴久保小学校の交差点。父の時代は尋常小学校。
その交差点を西来寺へと向かいます。
西来寺へ着いたものの、父の生家を探すすべは知りません。
西来寺正門正面に「小牧酒店」があり、そこで道を尋ねました。
「戦中、このあたりに『酔漢』って・・住所は七二七なんですが・・」
初老の親父さんが、けげんそうな顔をしてます。
「さぁなぁ、七二七・・・西来寺の右側の通りだとおもうんだけど・・」
とその言葉の後。
「年は?」と聞かれ。
「父は昭和七年生まれですが」
「昭和七年!同じ年だなぁ。鶴久保なら学年は一緒だ」
と何か思い出したようで。
「あっそうだ!『さんぴん』でねぇかな!」
どうやら父の渾名のよう。
「そうそう、お兄さんがいたでしょ。背の高い」
「叔父です」
「思い出した!それと、やっぱり、すらっとしたお母さんだった」
「間違いありません。祖母です」
「よく、買い物してた。そうだ思い出した!」
父、家族の事を覚えていてくれた人は、簡単に見つかりました。
小牧さんの写真を撮影して入院中の父に見せました。
「あれ?小牧?あいづや、俺死んだって聞いたど!」
「親父!今の親父より元気だど」
父が亡くなる一カ月前の事でした。

祖母の背の高さ。どちらかと言うとスマートな感じはありました。

昭和45年。三月二十五日。祖母と逢った最後の日でした。酔漢、小学校一年から二年にあがる春休みの最中。
祖母の命日が四月二日。
その間、酔漢はどこにいたのか。

三月二十五日。午前八時過ぎ。待ちに待った旅行です。
「ばあちゃん!お土産一杯買ってくるから」
「なんだや、そげな事しんぺぇしねぐていいから。一杯遊んできてけさいん」
これが最後の会話となりました。
大阪へ向かいました。
万国博覧会へ出かける為でした。
東京。新幹線。京都。大阪城。万博はまる二日間。宝塚が宿泊地でした。
四月二日は大阪から仙台へ戻る日。東北新幹線がない時代です。上野から「ひばり」に乗車。途中宇都宮駅で「釜飯」を買いました。祖母の分もです。
仙台駅には父が迎えに来るはずでした。
が、迎えに来ていたのは叔父(母弟)
叔父と話をした母は、急に黙り込み、さっきまでの明るさがありませんでした。
「何かあったのか」
子ども心に感じることはありました。
塩竈実家着。
玄関にはあふれんばかりの靴。
「祖母危篤」を聞かされました。
「ばあちゃんがこんなになるんだったら万博さぁいがねぇばえがった」
本気でそう思いました。
京都で買った「孫の手」を柩の中に入れました。

祖父も祖母も七ヶ浜、花渕の出身。
海軍を志した祖父は、横須賀へ祖母も連れて行きます。
これ現代風に言えば「大恋愛」だったのかと。
親父殿が言うには「なぁに、半分かけおちみてぇなもんだべ」でした。
祖父は三男でしたが、海軍へ行く際、「土地だの田だのはいらねぇ」と言ったらしいのです。この経緯は酔漢の知る由もありませんが、同性寺正面の田圃は、祖父生家(酔漢、本家)が今でも管理している田です。
故郷から離れて単身で海軍を志す。
何をして祖父をそうさせたのか。これは、父からも聞いておりません。父も知らなかった「何か」があったのかと思うのです。
ただ、「技術を身につけて、家族を養う」
この動機が最初ではないか。そのように考えております。
祖父が実戦に参加したのは、海軍陸戦隊随行の日中戦争から。
「広東」「上海」いたのが最初でした。
乗艦したのは「比叡」(一水時代)。そして、横須賀鎮守府所属の「駆逐艦」です。艦名の記録は大高勇次さん著するところで「菊」とは解りましたが、後は不明です。
「海軍省ではどこに所属していたのか」
公式記録を探す予定でありましたが、先の震災でまだ「防衛省図書館」へは出かけておりません。
「第二艦隊司令部暗号員」
一昨日が命日でございました。

祖父の祖母あての手紙。
叔母が申すには「ラブレター」的手紙があったとか。
ですが、子どもの心配する文面がほとんどでした。
伊藤整一司令長官が奥様に宛てました「いとしき愛するちとせ殿」的な手紙を拝見したことはございませんが。筆不精な祖父ではありましたが、その思いは同じものであったと、そのように思います。

くだまき風。写真の解説まで行き着くのに時間をかけてしまいます。
祖母に抱かれております「酔漢」です。酔漢自身初登場でした。
おそらく二・三才頃かと思うのです。
「おばぁちゃん子」でした。
よく、塩竈二小に連れていかれました。遊び場でした。
こまっつぁきから塩竈港を眺めている姿を覚えております。
海があって、港があって、造船所のクレーンが見える。
塩竈港は規模こそ違え、どこか「横須賀」的なところがあります。
「長い坂道駆け上ったら、今も海が見えるでしょうか」
その風景は横須賀と同じと気づきます。
塩竈様はやはり「鎌倉」的な雰囲気でして。
藤沢にいながら、「このあたりは塩竈周辺となんら変わらない」この安心感はあります。

祖父、七ヶ浜村から横須賀へ。
そこで育った父は再び七ヶ浜へそして塩竈へ、疎開で戻ります。
塩竈生まれ育ちの酔漢が再び横須賀へ、今は藤沢に住んでます。
祖父、父、酔漢と。
三代続く、神奈川から宮城の往復。
運命なのでしょうか。

祖母享年62歳。
今では、若過ぎる死だったと言えるのでしょう。

酔漢にとりまして、四月は、桜の花の色と共に、多くの事を考えそして多くの事を思い出す。
そんな月なのでございます。




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4 コメント

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祖父母 (ひー )
2011-04-15 20:57:10
読みながら、母方の祖父母の亡くなった日のことを思い出しました。
父方の祖母は私が一歳位に亡くなったのです。

廻り合い・・・色々な形であるものですね。

一生は長いようにも短いようにも感じます。
最近は年のせいか短く感じることがありますね。


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めぐり合わせ (酔漢です)
2011-04-17 11:49:15
この運命は単にめぐりあわせとも思えない自身です。
一世紀かけて宮城と神奈川を往復。
不思議なものです。
「お前来週から横須賀だ」
と言われたとき、「やっぱり」と不思議な感じがいたしました。
その事業所は戦前、映画館で、父は「鞍馬天狗」を見た(嵐勘十郎)そうです。
祖父が好きだった「てんぷら屋」の目の前にありまして、(今はのれんを締めています)この天丼は祖父も食べたのかと思うと、不思議な気がしました。
長い時間を経て、祖父、父、酔漢と同じ場所に立っているのでした。
返信する
何よりの親孝行 (丹治)
2011-05-30 16:20:58
酔漢さんが横須賀を訪ねた話は、
直に御聞きしていました。
酔漢さんのお爺様の御家族のことを知っている人が、横須賀にいた。
これは酔漢さんの御一族が横須賀にいらしたことの何よりの証です。

「いくとせ古里来てみれば
咲く花鳴く鳥そよぐ風
窓辺の小川のささやきも
慣れにし昔に変らねど
荒れたる我が家に
住む人絶えてなく」

酔漢家は横須賀ではこの歌のようにはなっていないということです。

(実はこの二月に母を連れて札幌に行ったのですが、
かつて住んでいたアパートは跡形もなく
一戸建て住宅が建てられている最中でした)。

そして酔漢さんは、そのことを
生前のお父様に報告することができたのです。
何よりの親孝行だったと思いますよ。

それにしても酔漢さんのお婆さま、
酔漢さんのお父様にそっくりです。
抱っこされている酔漢さん、
小さい頃のシティラピッド君を見る思いがします。

血は争えぬものですね・・・
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丹治様へ (酔漢です)
2011-05-31 08:32:02
お久しぶりでございました!
PCの復活おめでとうございます。
この後叔父(父弟)に尋ねましたところ、その酒屋さんには弟さんがいて、この方は叔父と同級生だったとのこと。
半世紀以上たってから繋がる糸もあったかと驚きました。
自身の写真は恥ずかしいのですが、シティラピッド君とも年下君とも、そして甥っ子にも似ているとの話が・・。見方にもよるのでしょうが、DNAは確かに続いているようです。

本日、31日。
父一周忌を迎えることが出来ました。
その節はありがとうございました。
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