NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→
前回の続きです。
電車は横浜を出発致しました。
「どろろ」が頭に浮かんだ酔漢です。
「手塚作品で富田勲っていったら、こいずははずせねぇべ」と独り言です。
昭和47年、冬休み。
塩竃市内尾島町の映画館「パール」がございました。
普段は「東宝ゴジラ」は塩竃「東映」での上映でしたが、この冬のゴジラ作品「ゴジラ・ミニラオール怪獣大進撃」のみ「パール」での上映。
場所が「こまっつぁき」(小松崎)より遠かった為、母に連れられて見に行きました。
ところで、この「パール」という映画館。丹治さんご自宅の近所ではございましたが、翌年焼失。
その火災の大きさは自宅から見える程でした。
さて、そのゴジラと二本立て作品が「ジャングル大帝」だったのでした。
劇場でみると、やはり迫力が違いますし、何せ色がきれいだったのを憶えております。
フラミンゴが一斉に飛び立つ映像は、殊の外印象に残りました。
映画を観ていたとき、母親が「この絵、まさおちゃんが描いてんだおん」と話してくれました。
以前、「くだまき」にいたしましたが、「丸山正雄」さんの事です。
「知ってる人なのすか?」
「だれ、まさおちゃんのおかあさんと、一緒に働いてたんだおん」
東北ドックで一緒だったのでした。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」
と来れば、ワンセットでこの作品が思い出されます。
そして、自身で初めて、「丸山正雄」さんのお名前を確認できた最初の作品でした。
「設定」という仕事がどんなものか解りませんでした。
「おめぇ、リボンの騎士さぁ塩竃の人作ってんだど!」と(これも以前語りましたが・・)学校で自慢してました。
「おらほの先輩(小学校の)なんだどや!」
塩竈市には「長井勝一」さんのブースが設けられております。
それと同様に「丸山正雄」さんのそれも出来ないかな。
「虫プロ~マッドハウス」
これ、見たいような気がします。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」→「リボンの騎士」
電車は東神奈川を通過。川崎にはまだ数分かかります。
寺山修司が作った詩が、年下君の教科書に掲載されておりました。そして「田園に死す」もその資料集に載っております。
授業中、現代国語の先生が「寺山修司って歌人っていうか、劇作家っていうか・・・・知ってるか読んだことのある者いるか?」と質問。
彼が挙手。
「何読んだんだ?」
「読んだというか・・先生やっぱり『あしたのジョー』でしょ!」
と、答えたそうな・・・・。
「明日のジョー」例の「サンドバッグに浮かんで消える」という詩は寺山らしい詩となりました。
本人もボクシングをやっていた事も影響しているのかと思います。
これからご紹介する作品は全国放送とはいかなかったのが残念でなりません。
酔漢的には、ベスト10に入る作品です。
そして、この主題歌。後にも先にも寺山修司と富田勲のタッグはこれのみなのでした。
「アニソン」という言葉が好きではありません。
「テレビ漫画主題歌」の方が、馴染があるのは、やはり、年のせい?
この「戦えオスパー」のエンディング「るみの歌」も寺山の作詞です。
仙台では、日曜の確か朝9時だったか10時位の時間だったと記憶しております。
家族で出掛けるのを「オスパー終わってからにしてけさいん!」とだだ捏ねた覚えがあります。
海底人とかムーとか、そんな作品は、トリトンを観たときに記憶が蘇りました。
「闇夜に光る星よりも 地上を明るく照らす者」
そしてその二番なのですが。
「たとえ地上は嵐でも いつか晴れるさ朝が来る」
寺山が子供たちへ、残そうとしたメッセージが伝わって来るよう。
そして、富田の曲がより希望へ導くように感じます。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」→「リボンの騎士」→「戦えオスパー」
一瞬「手塚作品」が頭の中の大部分を占めかけました。が、オスパーを思い出して、富田勲に戻ることが出来たわけです。
「リボンの騎士」→「W3」と実際には行きかけました。(これはこれで面白かったかなぁ)
電車が川崎に着いて、品川へ向かいます。
こんな事を頭に浮かべていて、おそらく顔がにやけていないわけがございません。
「あの人・・ちょっと変!」って思っていた乗客がいたかも・・・。
ですが酔漢のスイッチが止まる事がありませんで、もう少し妄想の世界で遊んでいるわけでした。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」→「リボンの騎士」→「戦えオスパー」→
→の後は?
そうなんです。やはり「これや、あれや」が頭の中に浮かんでまいりました。
続きます。
前回の続きです。
電車は横浜を出発致しました。
「どろろ」が頭に浮かんだ酔漢です。
「手塚作品で富田勲っていったら、こいずははずせねぇべ」と独り言です。
昭和47年、冬休み。
塩竃市内尾島町の映画館「パール」がございました。
普段は「東宝ゴジラ」は塩竃「東映」での上映でしたが、この冬のゴジラ作品「ゴジラ・ミニラオール怪獣大進撃」のみ「パール」での上映。
場所が「こまっつぁき」(小松崎)より遠かった為、母に連れられて見に行きました。
ところで、この「パール」という映画館。丹治さんご自宅の近所ではございましたが、翌年焼失。
その火災の大きさは自宅から見える程でした。
さて、そのゴジラと二本立て作品が「ジャングル大帝」だったのでした。
劇場でみると、やはり迫力が違いますし、何せ色がきれいだったのを憶えております。
フラミンゴが一斉に飛び立つ映像は、殊の外印象に残りました。
映画を観ていたとき、母親が「この絵、まさおちゃんが描いてんだおん」と話してくれました。
以前、「くだまき」にいたしましたが、「丸山正雄」さんの事です。
「知ってる人なのすか?」
「だれ、まさおちゃんのおかあさんと、一緒に働いてたんだおん」
東北ドックで一緒だったのでした。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」
と来れば、ワンセットでこの作品が思い出されます。
そして、自身で初めて、「丸山正雄」さんのお名前を確認できた最初の作品でした。
「設定」という仕事がどんなものか解りませんでした。
「おめぇ、リボンの騎士さぁ塩竃の人作ってんだど!」と(これも以前語りましたが・・)学校で自慢してました。
「おらほの先輩(小学校の)なんだどや!」
塩竈市には「長井勝一」さんのブースが設けられております。
それと同様に「丸山正雄」さんのそれも出来ないかな。
「虫プロ~マッドハウス」
これ、見たいような気がします。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」→「リボンの騎士」
電車は東神奈川を通過。川崎にはまだ数分かかります。
寺山修司が作った詩が、年下君の教科書に掲載されておりました。そして「田園に死す」もその資料集に載っております。
授業中、現代国語の先生が「寺山修司って歌人っていうか、劇作家っていうか・・・・知ってるか読んだことのある者いるか?」と質問。
彼が挙手。
「何読んだんだ?」
「読んだというか・・先生やっぱり『あしたのジョー』でしょ!」
と、答えたそうな・・・・。
「明日のジョー」例の「サンドバッグに浮かんで消える」という詩は寺山らしい詩となりました。
本人もボクシングをやっていた事も影響しているのかと思います。
これからご紹介する作品は全国放送とはいかなかったのが残念でなりません。
酔漢的には、ベスト10に入る作品です。
そして、この主題歌。後にも先にも寺山修司と富田勲のタッグはこれのみなのでした。
「アニソン」という言葉が好きではありません。
「テレビ漫画主題歌」の方が、馴染があるのは、やはり、年のせい?
この「戦えオスパー」のエンディング「るみの歌」も寺山の作詞です。
仙台では、日曜の確か朝9時だったか10時位の時間だったと記憶しております。
家族で出掛けるのを「オスパー終わってからにしてけさいん!」とだだ捏ねた覚えがあります。
海底人とかムーとか、そんな作品は、トリトンを観たときに記憶が蘇りました。
「闇夜に光る星よりも 地上を明るく照らす者」
そしてその二番なのですが。
「たとえ地上は嵐でも いつか晴れるさ朝が来る」
寺山が子供たちへ、残そうとしたメッセージが伝わって来るよう。
そして、富田の曲がより希望へ導くように感じます。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」→「リボンの騎士」→「戦えオスパー」
一瞬「手塚作品」が頭の中の大部分を占めかけました。が、オスパーを思い出して、富田勲に戻ることが出来たわけです。
「リボンの騎士」→「W3」と実際には行きかけました。(これはこれで面白かったかなぁ)
電車が川崎に着いて、品川へ向かいます。
こんな事を頭に浮かべていて、おそらく顔がにやけていないわけがございません。
「あの人・・ちょっと変!」って思っていた乗客がいたかも・・・。
ですが酔漢のスイッチが止まる事がありませんで、もう少し妄想の世界で遊んでいるわけでした。
NHK「今日の料理」→「富田勲」→「新日本紀行」→「青い地球は誰のもの」→「勝海舟」→「どろろ」→「ジャングル大帝」→「リボンの騎士」→「戦えオスパー」→
→の後は?
そうなんです。やはり「これや、あれや」が頭の中に浮かんでまいりました。
続きます。
記憶の深いところに息づいていたものが今、蠢動し始めたようなそんな感覚があります。
遠い昔に見たアニメの一画面とか歌の一節がふっと…浮き上がってきています。
それとともに、あの頃よく遊んだ友達の顔や、走って遊びに行ったあの空き地の草のにおいも。
それでもって寺山修司の詩が教科書にですか。大学生だった頃にはよく酔漢さんが寺山を熱く語っておりましたよねえ。特に唐十郎との乱闘騒ぎの話を、何度聞かされた事か(笑)。しかし短歌じゃなくて詩とは驚きですね。詩より「マッチ擦る故郷・・・」など短歌の方が当然有名だと思うのだけど。教科書というのはどうもよくわかりません。たとえば折口信夫も私たちの頃は歌人としての釈迢空の方でしか習わなかったと記憶していますし。色川武大か阿佐田哲也かだったら悩まないのかも知れないけど(笑)。
ちなみに「戦え、オスパー」はテレビっ子だった私も記憶がありません。さすがに年の差ですかね(笑)。
この時期、空地で野球ばかりしておりました。
そして、拾ってきた「秋刀魚」をたき火で焼いて食べてたり・・・塩竃は秋刀魚の水揚げ日本一だったのでした(当時)そんな頃の映像が浮かびます。
当時親父の会社がパールの少し裏手。
当日も出かけておりました。
オスパー知らなかった?
やはり年なんだよな。
寺山は先生が授業していない(きちんと)と聞きました。
愚息は残念がっておりました。