あの地震から遡ること三年前。昭和50年6月12日です。
この日、酔漢は五橋中学校1年。午後6時より市民会館で「宮城フィルハーモニー」のコンサートが行われた日でした。
無料のコンサート。学校での募集でしたが、応募者多数の為、抽選。酔漢運よく当選しました。一度、塩竈へ戻り、夕方仙台駅へ。
ふと、前を見ますと、同じ制服を着た先輩らしき人物が目の前を歩いております。
市民会館へは行ったことのなかった酔漢でした。思わず声をかけました。
「すみません、おらほの先輩すか?」
「んだよ、あんだ誰っしゃ?」
「塩竈から通ってる酔漢です。先輩だっちゃね?」
「俺か『丹治』。二年生だっちゃ。あんだも塩竈組すか?」
「んでがす。一年だっちゃ。ほして二小だったっちゃ」
「んで俺の一つ下すか・・そうすっと『宮崎ばっぱ』は知ってんのすか?」
「知ってっちゃ。四年の時の担任だっちゃ」
「なんだや、俺は三小の時の担任だったっちゃ」
丹治さんとの出会い。仙台駅、昔の仙石線地下道でのことです。
ここで登場いたします「宮崎ばっぱ」は「宮崎ちえこ先生」この先生、塩竈ではちょっとした有名人なのでした(今でも)
酔漢に取りまして「エツジ」とこの「宮崎ばっぱ」との出会いで、小学校時代を有意義に過ごすことが出来たのでした。
「んで、市民会館まで一緒に行くすかね」
行きは仙台市電を使いました。会場ではこじまさん他と一緒。(コメントをいただきます「苦竹男様」は多賀城高校で同級生であったとか・・)
「一緒さぁけぇっぺ」
と帰りの仙石線も一緒でした。
話をしているうちに・・・そうそう当時丹治氏はまだ下駄履きではございません。
丹治氏が下駄を履くのはこの一年後の事でございます・・・。
「そういえば、この春。宮崎ばっぱから連絡あってっしゃ。なんでも二小の教え子が五橋(ごばし)さぁ入ぇるって・・おめぇの事だったんだなや」
「んだっちゃ。俺の学年では俺一人だおん。今年の冬からは二番丁だすぺ」
「俺も二番丁だったっちゃ。夏からだけんどな」
共通点が多い先輩との出会いはこの時から続くのでした。
ある日の事。
「今日親父はなんでも、塩竈中学の同窓会だとかで出かけるんだおん」
と丹治さんのご自宅へお伺いした時の会話です。
「おらいの親父もだっちゃ」
という事は・・・・
そうです、酔漢の父は塩竈中学(旧制)の四回生。丹治寿太郎先生は三回生だったのでした。
「なにっしゃ!親子でも先輩後輩でねかすか!」
その後、丹治さんと酔漢では多くの事件に巻き込まれながらも、有意義な学生生活を送ることとなりました。
それから今年(先週)で、三十四年の月日が経ちました。
中学時代から電車の中で
「二十歳さぁ過ぎたら一緒さ呑むべ!」と約束をしてまして。
それが叶ったのがなんとクロンシュタット様が申すところの「本町文理大学」時代でした。丹治さんが二十歳を迎えたとき、丁度「全国統一試験」がありまして。
「酔漢、これで大手を振るって酒が飲める!付き合え!」
「んでも、おれまだ十九だっちゃ」
「問答無用!俺は去年から試験の打ち上げさぁやってったっちゃ。解禁だべ」
中学時代からの約束が叶った瞬間でした。
以降、酒がございませんと、二人の会話が・・・
つい先日もです。
「今鎌倉にいる」との電話が。(丹治さん学会で上京中でした)
藤沢自宅で休みを取っていた酔漢です。
「んで大船で」と、成りました。
時間が少なく「立ち飲み屋さん」で乾杯。
ほんの一時間の間ですが、有意義に過ごせました。
酔漢、結婚式前日。夜中酒を持って酔漢宅までやってきた丹治氏。
「おめぇ、嫁さん俺と誕生日一緒だってなや」
「偶然だっちゃ。んでも運命ば感じっちゃ」
未明まで飲み明かして。当日(二日酔い状態)、酔漢の上司です。この方も仙台出身。(なぁんと)しかも仙台一高OB。(これも偶然なのですが)
披露宴でのスピーチで「夜中に酒を持って遊びに来るような友人が何人持てるか、が、男の価値を決める」とか申しまして。
丹治さんと目が合い、爆笑でした。
下駄を鳴らして奴が来る
腰に手拭ぶら提げて
学生服にしみ込んだ
男の匂いがやって来る
遠くで下駄の音が聞こえてきました。歌詞の通りの登場です。
下駄の御仁。「仙台最後のバンカラ」と呼ばれた丹治氏です。
「なぁ酔漢、俺達の頃とやっぱしぃ今の学生は、考え方違うおんなや」
子供相手に人の道
人生なぞをとく男
彼の授業を一度覗いてみたいと思っておりますが・・。
先週11日。家族で乾杯。家内の誕生日でした。
「おっかぁ(シティラピッド君もこう呼びます)、そう言えばさぁ、丹治さんと誕生日いっしょなんだっけ?」
「そうそう一緒なのよ」
バスに乗っていると、よく丹治さんがあの格好(バンカラ)で歩いているのを見かけたそうです。
「丹治さんを見ると雨が降るって・・・噂だったんだ」
この話を丹治さんにしましたところ・・。
「生まれが梅雨の時期だからな、そうかもしんねぇど」
「でもですね、家内の誕生日も丹治さんと一緒なら彼女も同じでねぇのすかや」
「そうだ、そうに違いない!酔漢のかみさんにも原因はあった!」
妙な納得の仕方でこの会話が終了しました。
34年です。
遠い時間なのでしょうが、つい最近のような感覚もあるのでした。
「俺も年取ったなやぁ」とつくづく思っております。
あっ!そうだ、今日18日は、俺の誕生日だった・・・。忘れていた!
この日、酔漢は五橋中学校1年。午後6時より市民会館で「宮城フィルハーモニー」のコンサートが行われた日でした。
無料のコンサート。学校での募集でしたが、応募者多数の為、抽選。酔漢運よく当選しました。一度、塩竈へ戻り、夕方仙台駅へ。
ふと、前を見ますと、同じ制服を着た先輩らしき人物が目の前を歩いております。
市民会館へは行ったことのなかった酔漢でした。思わず声をかけました。
「すみません、おらほの先輩すか?」
「んだよ、あんだ誰っしゃ?」
「塩竈から通ってる酔漢です。先輩だっちゃね?」
「俺か『丹治』。二年生だっちゃ。あんだも塩竈組すか?」
「んでがす。一年だっちゃ。ほして二小だったっちゃ」
「んで俺の一つ下すか・・そうすっと『宮崎ばっぱ』は知ってんのすか?」
「知ってっちゃ。四年の時の担任だっちゃ」
「なんだや、俺は三小の時の担任だったっちゃ」
丹治さんとの出会い。仙台駅、昔の仙石線地下道でのことです。
ここで登場いたします「宮崎ばっぱ」は「宮崎ちえこ先生」この先生、塩竈ではちょっとした有名人なのでした(今でも)
酔漢に取りまして「エツジ」とこの「宮崎ばっぱ」との出会いで、小学校時代を有意義に過ごすことが出来たのでした。
「んで、市民会館まで一緒に行くすかね」
行きは仙台市電を使いました。会場ではこじまさん他と一緒。(コメントをいただきます「苦竹男様」は多賀城高校で同級生であったとか・・)
「一緒さぁけぇっぺ」
と帰りの仙石線も一緒でした。
話をしているうちに・・・そうそう当時丹治氏はまだ下駄履きではございません。
丹治氏が下駄を履くのはこの一年後の事でございます・・・。
「そういえば、この春。宮崎ばっぱから連絡あってっしゃ。なんでも二小の教え子が五橋(ごばし)さぁ入ぇるって・・おめぇの事だったんだなや」
「んだっちゃ。俺の学年では俺一人だおん。今年の冬からは二番丁だすぺ」
「俺も二番丁だったっちゃ。夏からだけんどな」
共通点が多い先輩との出会いはこの時から続くのでした。
ある日の事。
「今日親父はなんでも、塩竈中学の同窓会だとかで出かけるんだおん」
と丹治さんのご自宅へお伺いした時の会話です。
「おらいの親父もだっちゃ」
という事は・・・・
そうです、酔漢の父は塩竈中学(旧制)の四回生。丹治寿太郎先生は三回生だったのでした。
「なにっしゃ!親子でも先輩後輩でねかすか!」
その後、丹治さんと酔漢では多くの事件に巻き込まれながらも、有意義な学生生活を送ることとなりました。
それから今年(先週)で、三十四年の月日が経ちました。
中学時代から電車の中で
「二十歳さぁ過ぎたら一緒さ呑むべ!」と約束をしてまして。
それが叶ったのがなんとクロンシュタット様が申すところの「本町文理大学」時代でした。丹治さんが二十歳を迎えたとき、丁度「全国統一試験」がありまして。
「酔漢、これで大手を振るって酒が飲める!付き合え!」
「んでも、おれまだ十九だっちゃ」
「問答無用!俺は去年から試験の打ち上げさぁやってったっちゃ。解禁だべ」
中学時代からの約束が叶った瞬間でした。
以降、酒がございませんと、二人の会話が・・・
つい先日もです。
「今鎌倉にいる」との電話が。(丹治さん学会で上京中でした)
藤沢自宅で休みを取っていた酔漢です。
「んで大船で」と、成りました。
時間が少なく「立ち飲み屋さん」で乾杯。
ほんの一時間の間ですが、有意義に過ごせました。
酔漢、結婚式前日。夜中酒を持って酔漢宅までやってきた丹治氏。
「おめぇ、嫁さん俺と誕生日一緒だってなや」
「偶然だっちゃ。んでも運命ば感じっちゃ」
未明まで飲み明かして。当日(二日酔い状態)、酔漢の上司です。この方も仙台出身。(なぁんと)しかも仙台一高OB。(これも偶然なのですが)
披露宴でのスピーチで「夜中に酒を持って遊びに来るような友人が何人持てるか、が、男の価値を決める」とか申しまして。
丹治さんと目が合い、爆笑でした。
下駄を鳴らして奴が来る
腰に手拭ぶら提げて
学生服にしみ込んだ
男の匂いがやって来る
遠くで下駄の音が聞こえてきました。歌詞の通りの登場です。
下駄の御仁。「仙台最後のバンカラ」と呼ばれた丹治氏です。
「なぁ酔漢、俺達の頃とやっぱしぃ今の学生は、考え方違うおんなや」
子供相手に人の道
人生なぞをとく男
彼の授業を一度覗いてみたいと思っておりますが・・。
先週11日。家族で乾杯。家内の誕生日でした。
「おっかぁ(シティラピッド君もこう呼びます)、そう言えばさぁ、丹治さんと誕生日いっしょなんだっけ?」
「そうそう一緒なのよ」
バスに乗っていると、よく丹治さんがあの格好(バンカラ)で歩いているのを見かけたそうです。
「丹治さんを見ると雨が降るって・・・噂だったんだ」
この話を丹治さんにしましたところ・・。
「生まれが梅雨の時期だからな、そうかもしんねぇど」
「でもですね、家内の誕生日も丹治さんと一緒なら彼女も同じでねぇのすかや」
「そうだ、そうに違いない!酔漢のかみさんにも原因はあった!」
妙な納得の仕方でこの会話が終了しました。
34年です。
遠い時間なのでしょうが、つい最近のような感覚もあるのでした。
「俺も年取ったなやぁ」とつくづく思っております。
あっ!そうだ、今日18日は、俺の誕生日だった・・・。忘れていた!
五橋1年時、応援練習にクラスに来ていただいたのはこじま先輩でした。
ただし君とは、二番丁・五橋・向山といづれも同じクラス。これにもご縁を感じます。
本当に不思議な再会です。
今後とも宜しくお願いいたします。
仙台は寛大でした。今は少し違うようです。
大学一年の友人の息子です、大学セミナーで「未成年の飲酒」についてしっかり話があったそうです。
時代ですね。
本当に偶然を感じます。
もうすぐ夏。
海のにおいが懐かしくなります。
仙台一高傍「いのまたはきもの」は、まだあるのか気になるところです。
「丹治さん」と雨
尚絅ではすこし話題だったそうです
身近な話題の中に地元の情報とか。こちらこそ楽しみに読んでおります。
「休肝日」=「休漢日」とは違いますね(笑)
呑まない日は確かに少ないのですが、最近は確かに酒量は落ちました・・・。
まだ、あの話や、この話も残ってますしね。
また呑みませう!
うん十年振りに酔漢さんの名前を聞き、
世間の狭さと事実の奇遇さにびっくりです。
丹治氏ともども、これからもよろしくです。
ましてや過ぎし年月が反省することばかりの我が人生を振り替えざるを得ない誕生日。あーあーっ。
てなわけでして5月29日の我が誕生日は刺身とグレードの高い?ビールとでそっと自分を祝いました。
そのためカミさんの誕生日でもある同日は申し訳ないがそっと過ぎていった5月29日でした。
別の誕生日ならばカミさんにケーキでも買うのでしょうが、自分用にもなってしまうので、なんかね・・・息子たちも冷てーしよ・・・
二十歳を迎えたら一緒に呑むべって、そっか未成年ではだめなんだったっけ・・・
お仕事いそがしいそうですが、無理せずにこれからも楽しい話題で盛り上がりましょう♪
おっと!わが家の次女も6月末の生まれなので、そろそろプレゼントの用意をしなくっちゃ!!
おめでとうございます。
丹治さんとは、長いお付き合い」ですね。
丹治さんを見ると雨が降る・・・
面白いですね。
少なくなった硬派! 最近の男子は、女になよなよ・・・見て居られません。
お誕生日おめでとうございます。
酔漢さんの記事を読むと、いつも自分の生きてきた時代、
自分が話している言葉、今住んでいるここを
大切にしたいなぁと思います。
いつもありがとうございます。
楽しみにしていますね。
これからも長~く愉しい毎日を過ごせれるよう、健康には気をつけて下さいね。(ぜひ週に一日は休肝日を!)
御誕生日、御芽出度うございます。
これからまた一年、無事に過されますように!!
まだ飲むべ!!!