3月11日と14日、大阪城公園を散歩してきました。JR森ノ宮駅に近い入口付近のベニバスモモが7分くらい咲いてました。
2月24日、萩城城下町を散策したときの続きです。
菊屋家住宅前の通路の御成道を東方向に歩いて行きました。
萩城城下町の碑があった江戸屋横丁を南方向に向かって歩いて中央公園の駐車場まで戻ることにしました。
木戸孝允旧宅
桜が咲いていました。
青木周弼旧宅
円成寺
萩プリンのお店がありました。
中央公園駐車場まで戻ってきました。中央公園駐車場近くのお店でぽんかんを買いました。
昨日・3月14日の午前中、友達が自宅の近所の詰め所でこの日出張で仕事に来られるというのを先日聞き、半年くらい借りていた名簿を返却しに行きました。5年ほど前に母が最期を遂げた病院の近くを久しぶりに自転車で通りました。この日の友達が仕事をされていた場所がこの病院の近くにあるからでした。5年前、毎日、入院していた母の面会のために通っていた道はそのときのことを思い出すので全く通らないようにしていたので、どの道だったかすっかり忘れてしまって迷子になりながらなんとか辿り着き友達と会うことができました。
友達と会った後、大阪城公園に3日ぶりに寄ってみました。ここ数日、心の中が苦しかったので自宅からすぐに行ける大阪城公園で花々を眺めて癒されたいという思いがあったからでもありました。ここ数日寒い日が続いていたけれど、3日寄ってなかったら、咲き出す花々の数が増えてきていたのを感じてきました。悲しみや寂しさとは関係なく花々はいつも通りに咲いていました。変わってしまうこともあるけれど、変わらないこともあるという普段はなんとも思わないことを知らしめてくれているかのようでした。
桃園でメジロを撮影されていた方を見掛け、便乗して撮影してみました。その通りすがりの方と約40分くらい立ち話をしました。花の話から始まって気が付けば入院中の父の話もしてました。その方は介護士の方で、この日お休みだったようで、大阪城の桃園で桃の花を愛でに来られたようでした。話を聞いていたら父のいる病院がある区にお住まいのようでいろいろな場所に花巡りされていらっしゃるようで、自分と同じようにいつも近場で花々を自転車で回るのがご趣味になっておられるとお話されてました。そんな共通の趣味があることで自然に親近感が沸きました。病院までの自転車の行き方や掛かる時間などを教えてくださいましたし、丁度私が直面していた父の病状や入院しているときの困りごとなど患者の家族の面と職員側の面の両方の立場から体験されて来られたことを伝授して下さいました。自分よりは10歳以上は若そうにお見掛けした女性の方でしたが、すでにご両親を看取られ、そのときも毎日病院に面会に行かれていたというお話を聞きました。病院に家族を入院させても近所でも来られる時間があってもほとんど面会に来られない家族の方々をたくさん見て来られたのでその患者さんが家族にとってどれだけ大事にされてるのかが見ていてすぐわかるとも話されてました。後悔しないように父のために毎日面会に行ってあげてくださいなどたくさんの温かいお言葉と優しいお声掛けに随分前から親交を深めていた友達から助言して下さっているかのように勇気付けていただき有難かったです。通りすがりの方と打ち解け合ってこんな話ができるなんて思ってもいませんでした。
お話をした後、帰宅して、ありあわせのもので昼ごはんを食べ、自宅の近所のバスの停留所の近くの駐輪場に自転車を止めて、この日違うルートで行こうかとも思っていましたが、自宅を出発する時間が前の日よりは遅くなったので、前の日と同じルートでバスを乗り継いで病院まで向かいました。前の日と違ってバスは混んでましたし、道も車で混んでました。曜日によって込み具合も違うのかなと思いました。前の日より数分遅れて病院前のバス停に午後3時過ぎに到着しました。
父がお世話になっている部屋に向かい、父と面会しました。ベットの側に付き添い、父を見守りました。早く家に帰りたいと懇願する父でした。この日から食事ができ、元気そうに見えました。けれど、帰宅しようと病院の前のバス停でバスを待っていたら主治医の先生から電話が入り、今からバスに乗るとお答えしたら帰宅してから電話してほしいと言われました。帰宅してから、主治医の先生に連絡して、父の今の現状のお話をお伺いしました。そのお話を聞くとどん底に落ちて行くような気分になるような悲しい報告でした。ひとりぼっちは覚悟していたつもりでもいざとなるとやっぱりなんとも言えない気持ちがいつもなんでもないときにも沸いてきます。今はただ祈るだけしか術がありません。あまりにも急なので自分自身の心が付いて行ってませんけれど、少しずつ現況に付いていけたらいいですが、今度ばかりは自分自身の動揺は母のときよりははるかに大きく感じてしまっています。話を聞いてくれる友達と40年会ってなかった従姉が私を励ましてもらっているのでなんとか落ち着きを取り戻せるようになっていると思います。母のときは最期まで話ができなかったけれど、そのときと違って、父とはまだ話ができることが今の私の微かな幸せなのだと思います。今日も病院に向かいますが、父が頑張って少しでも希望が持てるように回復に向かってくれることだけをひたすら祈るばかりです。