〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

〈緑の福祉国家〉シンポジウムのこと 2

2006-11-30 | 環境問題
》承前《


また、環境スペシャリストの小澤徳太郎先生からは、
(小澤先生の主張についてはブックマーク「公式HP」参照のこと)
そういう環境にかかる危機に
ほぼなんら有効な手立てを打てず、
どころか本質的に環境破壊的な「持続可能な経済成長」を
まだ夢見ているわが日本の主流に対し(「バックキャストでGDP1000兆」!)、
経済の高レベルの安定と、堅調な財政と、それらにもとづく高福祉の成功に加え、
さらに人類が直面する環境問題をも今後クリアしていくことができると思われる、
いろんな要素が高度に統合された「持続可能な社会」を、
政治的バックキャスト手法により国家単位で実現しつつあるスウェーデンの実例が、
短い時間に濃縮され、小澤先生の思いとともに熱く紹介されました。

そして先生のお立場からするとある意味過激とも思われる、
「スウェーデンはどうでもいい、問題はこの日本です」
との御発言、さらに
「市民レベルは日本もかの国もやっていることはそう変わらない、違うのは政治です」
との、目からウロコのご指摘、
日本社会との違いなど細かいことはどうあれ、ともかく今後私たちが目指すべきモデルはコレ!
と思わせるに十二分の発題でした。


それに対し、国立環境研究所前所長・大井玄先生より、
環境破壊的な(自分たちだけの)経済成長を強引に推し進めて、
その意思と先行きが、これまでそうであったように
このままだとこれからもわが日本に決定的な影響を与えるであろう、
超大国・米国のそういう行き方を決定づけているのが、
たんなる経済的利害とかというのにとどまらない、
じつは歴史的経緯に根ざした彼らなりの
「開放系倫理意識」であるとのお考えが示されました。

ようするに多くのアメリカ人は、
舞台を広漠たる大西部から
無限に開放された(と現実に関係なく信じている)グローバルに変えただけで、
いまだ相変わらず内面の動機は
カウボーイや開拓者のいわゆるフロンティア・スピリットのレベルのまま、
自分たちの取り分の拡張を図っている、
というようなイメージだと思いました。

そういう拡張主義がたとえエコロジカルに先行きがすでにはっきりと危ういものであっても、
またその政治的横車を押すがごとき独善的な侵略行為が諸外国の非難を受けるようなものであっても、
それこそがじつは彼らなりの倫理意識にもとづく心情的に「よい」行為なのですから、
そういう路線が今後自発的に改められることはあまり期待できないし、
悪くするとますます硬直していくだろうということのようです。
こういう国を、私たちの日本は今後も
「唯一不変のモデル」にしていってよいのでしょうか?

それに対し、日本はそれほど昔でないかつて、たとえ前近代的なものであったにせよ、
人と自然の調和に配慮する「閉鎖系の倫理意識」に基づき
環境的にほぼ完全に持続可能な、総体的にはとても平和な近世社会を実現していましたし、
さらにいま米国以外のEUなどの先進国は、
地球環境の有限性を意識した、つまりいわば地球の理に合った、
古くて新しい倫理意識を身につけつつあるとのことです。

これも席上のお話しで初めて知ったことですが、
アメリカ人にとっての「ボーイズ・ビー・アンビシャス」が
直訳だと単に「野心家たれ」というほどの意味であったのが、
明治初期の日本人にとっては、私たちがそう教わったように
「大志を抱け」と聞こえたのだそうです。
(英語には「志」に相当する語はないようです。)

そういう全体のため・将来世代のために
よりよい社会を建設せんとする気概、すなわち志をもつという、
幕末維新の志士たちの心が、
これから危機の時代の政治に関わる人にはぜひ必要となるだろうとのこと、
たしかにそういう心がリーダーになければ、
これからの地球全体の危機の時代は、何ともならないと感じました。


》つづく《


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