〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

不全感

2006-06-08 | 環境問題
いよいよ首都圏も梅雨入り、いろいろな意味で気分もじめじめする季節です。
いま環境問題関係のホームページとかブログを調べています。ネット上にはこのことに関する情報があふれかえるほどあり、サイトからサイトへわたっているだけでも日が暮れてしまいそうです。

目的を見失うと、その表面をなぞるだけになってしまいそうです。環境問題に関して、我がこととして危機感を持っている人、本気で何とかしたいと思っている人、とくに政治関係でがんばっている人。そういう人や団体のサイトを探しているのですが、案の定なかなかむずかしいですね。

風呂敷がどうとか、何か「もったいない」がどうとか、リサイクルのやり方とか、そういういいお話はほんとうに多いんですが…

あまり散漫にやっていてもしかたない、きょうは寝るとしよう。

しかしネットをやっていても、本を読んでいても思うのですが、なんと狭い習慣の枠の中で生きてしまっているかということが痛感されます。
興味関心の方向性と幅、知識の量と範囲、思考のパターン、人間関係、社会的な能力、趣味、感性、等々。
習慣というのはひじょうに根強いですが、そういう自分で作っている枠はできる限り超えたいものです。

そういうわけで、なんだか煮え切らずすっきりしません。

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