5月に開催されるシンポジウムについてお知らせします。
(以下、引用はパネリストの岡野先生のブログhttp://blog.goo.ne.jp/smgrh1992よりコピペでございます。。ぜひ本家をご覧ください)
***************************
「持続可能な国づくりの会〈緑と福祉の国・日本〉」主催のシンポジウムのテーマ、日程、パネリストが決まりましたので、お知らせします。
テーマ:「持続可能な国家のビジョン
~経済・福祉・環境のバランスは可能だ!~」
パネリスト(50音順):
大井玄(元国立環境研究所長、東京大学医学部名誉教授)
小澤徳太郎(環境問題スペシャリスト、元スウェーデン大使館環境保護オブザーバー)
岡野守也(サングラハ教育・心理研究所主幹、思想家〔←最近外部の方にいただいた呼称〕)
神野直彦(東京大学大学院経済学科教授、財政学)
西岡秀三(元国立環境研究所理事、IPCCに参加)
日本の政・官・財界や知識人、市民に広く――建前ではなく本音でいうと――存在する「経済と環境は矛盾する」さらに「経済と福祉と環境は3すくみ(トレードオフ)だ」という思い込み・非論理的な思考(イラショナル・ビリーフ)を、事実と理論とそしてなによりも時代の絶対的必要という視点から、徹底的に論破する挑戦的なシンポジウムです。
環境問題を本当に解決するためには、何をどうすればいいのか、はっきりした方向性を示しうる、今日本で望みうる最高の論客にお集まりいただくことができました(筆者はともかくとして)。
心ある多くの方々に、自信をもってこれからの日本が向かうべき方向・国家ビジョンを提案したいと考えています。
日時:2008年5月11日(日)13:00~19:00(12:30開場)
場所:板橋区立グリーンホール(東京都)(http://www.city.itabashi.tokyo.jp/bkaikan/map.htm)
参加費:一般2000円、学生、会員1000円
*お問い合わせは、「持続可能な国づくりの会」事務局(greenwelfarestate@mail.goo.ne.jp)へ(参加の予約できます)。
**(引用終わり)***********************
…ということで、上で言いつくしていると思いますが、前回・昨年11月のシンポジウムで示された地球的な環境危機の現状と、それにきわめてクレバーに対応しつつあるスウェーデンという国の、「持続可能な緑と福祉の国」という理想的かつ現実的なヴィジョンについて、今回その実際のすがたが各パネリストの先生方の幅広い最先端の知見から、学ぶことができるものと思います。
とくに、前回につづきパネリストとしてIPCC部会副議長の西岡先生をお迎えしておりますが、さらに東京大学の財政学の権威で『二兎を追う経済学』等のご著作で有名な神野直彦教授にもご参加いただき(アタックされた会員の努力・人間力の賜物です)、上記にあるような「経済と環境はトレードオフ(俗に言う“あちらを立てればこちらが立たず”)でどうしようもない」というこの社会の暗黙の前提であるビリーフが、じつはまったく論理的・現実的でないということが、力強く論破される期待大です。
環境問題の危機感が常識化しながら、しかし日本の経済社会全体はその危機に向ってまっしぐらに突っ走っているという大矛盾のその根本にあるものこそ、煎じつめるとこの共有され自明化された信念にあるといっても、おそらく過言ではないのではないかと思われます。
その矛盾の、日本国民として嘆かわしい数々の実例は、パネリストの小澤先生のブログで示されているデータから、あまりにも明らかに読み取れると思います。ぜひそちらをご覧いただければと思います。
いまや、我が国日本というバスが持続不可能な危機の断崖絶壁に向ってまっしぐらに突き進んでいるかのような、そんな不安感が社会を覆っているのは、私たちが実感しているとおりです。
なお悪いことに、我が国においては「国をよくしよう」というそのエネルギーが、私たち国民の間からはっきりと喪われているという、特有の困難・病理があります。
きわめて単純な理解かもしれませんが、このような不安や混乱は、国全体として向かうべき目標、学ぶべきモデルを失っていることに、非常に大きな部分で起因しているように思われます。
私たちが生きてきた戦後の日本社会は、全体としてあきらかに米国をモデルに、それに「追いつき追い越す」ことを目指してきたと思われますが(その功罪はさておき)、ある意味それを達成した時点から、私たちの社会は目標を見失ってしまっているのだと見えます。
それにはもちろん、ほとんど「帝国主義的」といってもいいような政治経済的・軍事的な拡張に突っ走りがちな独善的な米国という国に、もはや愛想が尽きたということもあるでしょう。
(その米国でいま新しいリーダーが生まれつつあり、変革の目が見えてきたことはなんともうらやましい限りですが)
いま必要なのは、この社会のモデル・目標・ヴィジョンの選択なのだと思われます。
それは制度的・社会システム的側面においてということももちろんですが、それと同時に、いやそれ以上に、それらを裏付け実現する内面的・文化的・精神的な、いわば国民的な「理想」という意味において、そうなのだと思います。
理想……現状の日本社会はいかにそこから遠いことでしょう。
また理想というような言葉は、おそらく学生運動が自滅したある時期以降、ほとんど私たちにとって実質的な意味で死語になっているといっても過言ではありません。そんなことを口にするのは、現代のクールな人間関係の中ではとくに禁忌にすらなっているのではないでしょうか。
この社会の危機の根本には、そういう意味での「理想の死」という、私たちの内面的な事実である病理というか欠落があるのは、たぶん間違いないと思われます。
しかし、だからこそ、理想を取り戻さなければならない。もし理想という言葉がすでに死語であり思想的に無効になっているというのなら、この場合それは「目指すべきヴィジョン」といってもいいし、「よりよい社会モデル」だと言い換えてもいいと思います。しかし言っていることは変わりません。
スウェーデンという国がバックキャスト手法という政策手段をとることができ、持続可能な社会システムを実現しつつあるという事実――その背後には、それを可能にする歴史に根差した国民性のレベルと、清潔かつきわめて有能で現実的なリーダーを生み出す精神的な土壌があるのだと思われます。
国民性・精神性に階層的なレベルがあるとするのなら、彼の国のレベルは相当高いのは間違いありません。いわば国際社会のトップの優等生といえるでしょう。
経済と福祉・環境の高レベルの両立…しかも嫌味がなくて弱い子にも積極的に手を差し伸べるときたら、あたかも「できすぎ君」のようですね。うう、うらやましい。
日本で紹介される際に、よく「スウェーデンという国は小国(神奈川県と同じくらいの人口規模)だからそれができるんだ」という典型的な反論があるのだそうです。それには小澤先生が種々反論されており、全くその通りだと思います。
社会実験という言葉を使うのなら、むしろそれだけの人口規模でのきわめて有効な社会実験を彼らは実行し、すぐれたデータを残しつつあるわけです。
そこに学ぶべきものがあるのではないかということだと思います。
一方我が国日本の現状は、はっきりいってレベルが低いと言わざるを得ないでしょう。そうでないという事実・データがあるのならすばらしいのですが!
この国が一からバックキャスト的に全体として行動できるかは、現状からは相当な疑問を感じざるを得ません。それは選挙戦で政策論争ということがほとんどなされず人気投票・知名度競争になっていることからも、そう理解せざるをえないと思われます。
考えてみれば、古来日本という国の歴史はずっと、外部のモデルを取り入れ、模倣し、そこに近づくという行動で一貫してきました。
モデルは時とともに変わりつつ、しかし行動においてはずっと変わらないわけです。
そして現在の問題とは、そのモデルを見失っていることにあるとあきらかに見て取ることができます。だからこそ私たちは将来どこに向かって歩めばいいのかという見通し・ヴィジョンを失い、先行きの知れない不安の渦中にあると。
国民性ということには種々議論があるのはもちろんですが、私たち個々人に精神的な来歴に基づいて形成されたパーソナリティ、発達レベル、長所短所、固有の能力や病理、そしてそれらの根本となる深層心理があるのと同じように、人間の集合である国家というレベルの社会にもそのような内面的な構造があると捉えることは、十分説得力のある議論だと思われます。
そして私たちが形成している日本という国には、歴史に根差したかなり特有の国民性・民族性があると見えます。それを精神構造とか文化とか「国のかたち」とか言い換えても結局同じことだと思います。
日本の国民性、それはさまざまに変形・混乱しつつ、しかし根本においてはいまでも大きくは変わっていないのではないでしょうか?
学ぶべき新たな国家モデル、危機の只中にある現在の地球上ではまさにスウェーデンこそがそれであることが、来る5月のシンポジウムで明らかになり、それが多くの皆さんの合意を獲得するものと強く期待されます。
(以下、引用はパネリストの岡野先生のブログhttp://blog.goo.ne.jp/smgrh1992よりコピペでございます。。ぜひ本家をご覧ください)
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「持続可能な国づくりの会〈緑と福祉の国・日本〉」主催のシンポジウムのテーマ、日程、パネリストが決まりましたので、お知らせします。
テーマ:「持続可能な国家のビジョン
~経済・福祉・環境のバランスは可能だ!~」
パネリスト(50音順):
大井玄(元国立環境研究所長、東京大学医学部名誉教授)
小澤徳太郎(環境問題スペシャリスト、元スウェーデン大使館環境保護オブザーバー)
岡野守也(サングラハ教育・心理研究所主幹、思想家〔←最近外部の方にいただいた呼称〕)
神野直彦(東京大学大学院経済学科教授、財政学)
西岡秀三(元国立環境研究所理事、IPCCに参加)
日本の政・官・財界や知識人、市民に広く――建前ではなく本音でいうと――存在する「経済と環境は矛盾する」さらに「経済と福祉と環境は3すくみ(トレードオフ)だ」という思い込み・非論理的な思考(イラショナル・ビリーフ)を、事実と理論とそしてなによりも時代の絶対的必要という視点から、徹底的に論破する挑戦的なシンポジウムです。
環境問題を本当に解決するためには、何をどうすればいいのか、はっきりした方向性を示しうる、今日本で望みうる最高の論客にお集まりいただくことができました(筆者はともかくとして)。
心ある多くの方々に、自信をもってこれからの日本が向かうべき方向・国家ビジョンを提案したいと考えています。
日時:2008年5月11日(日)13:00~19:00(12:30開場)
場所:板橋区立グリーンホール(東京都)(http://www.city.itabashi.tokyo.jp/bkaikan/map.htm)
参加費:一般2000円、学生、会員1000円
*お問い合わせは、「持続可能な国づくりの会」事務局(greenwelfarestate@mail.goo.ne.jp)へ(参加の予約できます)。
**(引用終わり)***********************
…ということで、上で言いつくしていると思いますが、前回・昨年11月のシンポジウムで示された地球的な環境危機の現状と、それにきわめてクレバーに対応しつつあるスウェーデンという国の、「持続可能な緑と福祉の国」という理想的かつ現実的なヴィジョンについて、今回その実際のすがたが各パネリストの先生方の幅広い最先端の知見から、学ぶことができるものと思います。
とくに、前回につづきパネリストとしてIPCC部会副議長の西岡先生をお迎えしておりますが、さらに東京大学の財政学の権威で『二兎を追う経済学』等のご著作で有名な神野直彦教授にもご参加いただき(アタックされた会員の努力・人間力の賜物です)、上記にあるような「経済と環境はトレードオフ(俗に言う“あちらを立てればこちらが立たず”)でどうしようもない」というこの社会の暗黙の前提であるビリーフが、じつはまったく論理的・現実的でないということが、力強く論破される期待大です。
環境問題の危機感が常識化しながら、しかし日本の経済社会全体はその危機に向ってまっしぐらに突っ走っているという大矛盾のその根本にあるものこそ、煎じつめるとこの共有され自明化された信念にあるといっても、おそらく過言ではないのではないかと思われます。
その矛盾の、日本国民として嘆かわしい数々の実例は、パネリストの小澤先生のブログで示されているデータから、あまりにも明らかに読み取れると思います。ぜひそちらをご覧いただければと思います。
いまや、我が国日本というバスが持続不可能な危機の断崖絶壁に向ってまっしぐらに突き進んでいるかのような、そんな不安感が社会を覆っているのは、私たちが実感しているとおりです。
なお悪いことに、我が国においては「国をよくしよう」というそのエネルギーが、私たち国民の間からはっきりと喪われているという、特有の困難・病理があります。
きわめて単純な理解かもしれませんが、このような不安や混乱は、国全体として向かうべき目標、学ぶべきモデルを失っていることに、非常に大きな部分で起因しているように思われます。
私たちが生きてきた戦後の日本社会は、全体としてあきらかに米国をモデルに、それに「追いつき追い越す」ことを目指してきたと思われますが(その功罪はさておき)、ある意味それを達成した時点から、私たちの社会は目標を見失ってしまっているのだと見えます。
それにはもちろん、ほとんど「帝国主義的」といってもいいような政治経済的・軍事的な拡張に突っ走りがちな独善的な米国という国に、もはや愛想が尽きたということもあるでしょう。
(その米国でいま新しいリーダーが生まれつつあり、変革の目が見えてきたことはなんともうらやましい限りですが)
いま必要なのは、この社会のモデル・目標・ヴィジョンの選択なのだと思われます。
それは制度的・社会システム的側面においてということももちろんですが、それと同時に、いやそれ以上に、それらを裏付け実現する内面的・文化的・精神的な、いわば国民的な「理想」という意味において、そうなのだと思います。
理想……現状の日本社会はいかにそこから遠いことでしょう。
また理想というような言葉は、おそらく学生運動が自滅したある時期以降、ほとんど私たちにとって実質的な意味で死語になっているといっても過言ではありません。そんなことを口にするのは、現代のクールな人間関係の中ではとくに禁忌にすらなっているのではないでしょうか。
この社会の危機の根本には、そういう意味での「理想の死」という、私たちの内面的な事実である病理というか欠落があるのは、たぶん間違いないと思われます。
しかし、だからこそ、理想を取り戻さなければならない。もし理想という言葉がすでに死語であり思想的に無効になっているというのなら、この場合それは「目指すべきヴィジョン」といってもいいし、「よりよい社会モデル」だと言い換えてもいいと思います。しかし言っていることは変わりません。
スウェーデンという国がバックキャスト手法という政策手段をとることができ、持続可能な社会システムを実現しつつあるという事実――その背後には、それを可能にする歴史に根差した国民性のレベルと、清潔かつきわめて有能で現実的なリーダーを生み出す精神的な土壌があるのだと思われます。
国民性・精神性に階層的なレベルがあるとするのなら、彼の国のレベルは相当高いのは間違いありません。いわば国際社会のトップの優等生といえるでしょう。
経済と福祉・環境の高レベルの両立…しかも嫌味がなくて弱い子にも積極的に手を差し伸べるときたら、あたかも「できすぎ君」のようですね。うう、うらやましい。
日本で紹介される際に、よく「スウェーデンという国は小国(神奈川県と同じくらいの人口規模)だからそれができるんだ」という典型的な反論があるのだそうです。それには小澤先生が種々反論されており、全くその通りだと思います。
社会実験という言葉を使うのなら、むしろそれだけの人口規模でのきわめて有効な社会実験を彼らは実行し、すぐれたデータを残しつつあるわけです。
そこに学ぶべきものがあるのではないかということだと思います。
一方我が国日本の現状は、はっきりいってレベルが低いと言わざるを得ないでしょう。そうでないという事実・データがあるのならすばらしいのですが!
この国が一からバックキャスト的に全体として行動できるかは、現状からは相当な疑問を感じざるを得ません。それは選挙戦で政策論争ということがほとんどなされず人気投票・知名度競争になっていることからも、そう理解せざるをえないと思われます。
考えてみれば、古来日本という国の歴史はずっと、外部のモデルを取り入れ、模倣し、そこに近づくという行動で一貫してきました。
モデルは時とともに変わりつつ、しかし行動においてはずっと変わらないわけです。
そして現在の問題とは、そのモデルを見失っていることにあるとあきらかに見て取ることができます。だからこそ私たちは将来どこに向かって歩めばいいのかという見通し・ヴィジョンを失い、先行きの知れない不安の渦中にあると。
国民性ということには種々議論があるのはもちろんですが、私たち個々人に精神的な来歴に基づいて形成されたパーソナリティ、発達レベル、長所短所、固有の能力や病理、そしてそれらの根本となる深層心理があるのと同じように、人間の集合である国家というレベルの社会にもそのような内面的な構造があると捉えることは、十分説得力のある議論だと思われます。
そして私たちが形成している日本という国には、歴史に根差したかなり特有の国民性・民族性があると見えます。それを精神構造とか文化とか「国のかたち」とか言い換えても結局同じことだと思います。
日本の国民性、それはさまざまに変形・混乱しつつ、しかし根本においてはいまでも大きくは変わっていないのではないでしょうか?
学ぶべき新たな国家モデル、危機の只中にある現在の地球上ではまさにスウェーデンこそがそれであることが、来る5月のシンポジウムで明らかになり、それが多くの皆さんの合意を獲得するものと強く期待されます。
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