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ふたたび、「奏功率」について

2007-09-05 | 「特攻」論
引き続き2つ前の記事で引用した資料について。

まず注意しなければならないのは、この資料の扱っている1944年10月~45年3月は、全特攻作戦の前半期にあたる期間であり、45年4月に開始された沖縄戦から8月の終戦までの、いわば特攻後半戦の様相は不明であることだ。
(紹介した映画はその時期の話だったと記憶している。)

戦争最末期のその時期は、日本の航空戦力が質量とも底を尽き、訓練もままならないまま練習機や水上機や時代物の複葉機までが出撃したという悲惨な状況で、さらに米艦隊の対空装備も戦法もより強力なものとなっており、当然さきの「奏功率」は低下していただろうと推測される。

不十分な資料ながら続く45年4月の特攻による米艦艇被害は増大傾向を記録していたと原氏は書いているが、それは沖縄戦における海・陸軍航空の最後の総力戦に伴う一時的な戦果拡大であった可能性が高い。

また重要なのは、この「奏功率」は米艦隊の輪陣形に突入することに成功した機数を基準にしたものであって、いうまでもないが出撃総数に対するものではないということだ。

たとえば目標を眼にする前に米軍の哨戒圏内で大多数が撃墜されている熾烈な状況は、同じ資料の別表から明らかなとおりである。
そこでは空母機動部隊のレーダーに探知された特攻機129機中102機が到達以前に米戦闘哨戒機に撃破され、うち66機が撃墜、という無残な数字が挙げられている。
そして同表が報告する事例に関する限り、確認された編隊機数に対し命中機数は1割に満たない。

前掲の資料を引いて原氏は、これまで通説として見積もられてきた航空特攻の奏功率1割~2割弱は過小評価であって、「日本側が算定したよりもはるかに効果があったことがわかる」といい、「航空特攻で戦死した若い隊員にこの事実を伝える方法はないものだろうか」と結んでいる。(前掲書「おわりに」)

しかし自身が他の箇所であいまいに「その命中率、すなわち、その効果数値は出撃機数の数え方によりさまざまであることに留意してほしい」と述べているように、この資料をもってこれまでの通説が覆えるとまではいいがたい。
そういうことにしたいという心情はわかるような気がするが。
(若干の上方修正は可能なのかもしれないが、そのことは読み取ることができない)

そうではなく、仮に航空特攻で戦死した若者たちに伝えることがあるとすれば、それは何よりまず「よく戦った」という事実なのではないだろうか。

この資料は戦果云々よりも別の観点からその意味を読み取ることが可能だし、またここでの問題意識からそうしたいということでもある。
いいたいことは、特攻の激烈としか形容できない実態を明らかにしたこの資料には、私たちのうちに常識化している犠牲者-犬死論に、事実という観点から深く楔を打つ意味があるということである。

明らかになったのは、単純に「哨戒圏を突破し米艦隊の視界内に入ったわずかな特攻機がどれだけ目標に達しえたか」という事実であると思われる。

つまりそれは、重い爆弾を抱えつつ米戦闘機の追跡を振り切ることができた数少ない特攻機が、米艦隊の強力な対空砲火の弾幕下を突進して多くが被弾しながら、しかも高速で回避行動をとる艦艇に、6割が肉薄し4割までが突入に成功している、という明白な事実である。

しかも操縦員の大部分は満足に飛行訓練を受けることもできなかった20歳前後の出陣学徒や予科練・少年飛行兵出身者であったことに留意する必要がある。

このことから読み取れるのは、圧倒的な敵に一矢報いようとする彼ら若き特攻隊員たちの、その強烈な意志力にほかならない。
そうではないだろうか?

よく日本側の内向きの言説として「特攻は米軍に対しすくなくともある種の恐怖心を与えた」などと書かれているのに出会うが、これまでそれには自己満足のうそ臭さを感じてきた。

それはよくテレビで見るとおり、猛烈な弾幕にもろくも撃ち落されるのがほとんどというのが、私たちの刷り込まれてきた特攻に関するイメージだからだ。
米軍がいみじくも特攻兵器「桜花」に「BAKA BOMB(バカボン)」と名づけたとおりで、結局のところ犬死は犬死に過ぎないのではないか、というわけである。

しかし彼ら自身の資料に即して考えてみよう。

米艦隊側の主観からすれば、その視界に入った彼方の特攻機の不気味な黒点のうち、半数は彼らに確実な災厄をもたらすものとなったのである。
たとえ被弾させ火を噴かせたとしても、あくまでまっしぐらに自艦に突進してくる特攻機を、彼らはどのような思いで見ただろうか。

また後で述べるように、私たち日本人が一般に認識していない事実として、航空特攻が米艦隊に与えた物的・人的損害が甚大だったということがある。
そのことと考え合わせると、特攻が彼らに与えたインパクトは、私たちがこれまで漠然と想像してきた以上に大きなものであったと推測できる。

よくいわれるような「単なる強制」によって、ここまでの行動を人はとることができるものだろうか?
死を強いられた無力な「犠牲者」は、これほど徹底的に極限の任務を遂行することができただろうか?

それはまず不可能なのではないかと思われてならない。

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