二つ前の特攻隊に関する連載の記事に、「無条件降伏を迫るポツダム宣言受諾」云々と書きましたが、軽率なことにこれは不正確な、というよりもある種はっきりと偏向した認識だったようです。
当のポツダム宣言が意図したところを考えれば、それは文章自体がまるで矛盾したものとなってしまうほどの錯誤だったようです。
自覚したようでありながら、教育で、メディアで、教えられたように、刷り込まれたままを書いていたわけですね。
しかし私がほぼ思考を経ずに(ほぼ自動的に)そう書いたように、おそらく日本人のほとんどがそういうふうに深く思い込んでいると思われます。
常識化し、自明化している、ということなのでしょう。
かくいうのは、江藤淳氏の『忘れたことと忘れさせられたこと』(文春文庫)を読んだためです。
以前読むよう紹介されたことがあったのですが、なるほどこれは書き手の執念が伝わってくるような、熱く、しかし冷徹な本だという印象です。
そういう著者の情熱と鋭い論理に影響されたということもあるのでしょうが、しかしその主張はたぶん右とか左とかにかかわらないもので、証拠に基づく説得力があるのは事実です。
同書が文献史料にもとづいて明らかにしているように、当時の内外の一般的な認識からしても、ポツダム宣言の文言の解釈とその国際法上の性格からも、同宣言の意図とは日本国の主権の存在を前提にした「有条件降伏」であり、それを提案する協定的なものであったことは、ほとんど疑い得ないように思われました。
同宣言で無条件降伏が取り決められたのはあくまで日本国軍隊であって、日本国家ではありませんでした。
たしかに軍事的には完膚なきまでといっていいほど叩きのめされてはいたものの、国家として完全な敗北には行き着いていたわけではなかったのは事実です。
ナチス政府の消滅が要求され、本国が最後の戦場として徹底的に蹂躙されたドイツの場合とその点ではまったく異なり、日本が宣言を受諾したあの年8月の段階では、国家主権はまだ強固に存在し機能していたと。
これはどこまで妥当かどうか判断しかねますが、新聞記事を引いて江藤氏は、8月15日時点での日本人の認識として「日本民族は敗れはしなかった」という感情が、世論としてある程度一般的にあったのでないかと推測されています。
それはそれとして、日本が国体護持‐主権の確保を条件に降伏を受け入れたのは事実であり、それは連合国各国の承認するところであったとのこと。
ともかくおおまかにいってそういうことだと思うのですが、どうでしょうか。
そのポツダム宣言にのっとって行なわれるべき米軍による日本の占領は、しかし米国自身の意思によって占領の根拠であるはずの同宣言を反故にした「支配」となっていく…
ようするに日本の主権など一切認めず、まったく下等のものをを相手にするがごとく、野蛮な戦争をしでかし米国の逆鱗に触れた日本人の民族的な一体性、国民的アイデンティティ、つまり「大和魂」を徹底的に解体し骨抜きにするために、太平洋の物量戦につづき日本本土での精神戦・心理作戦が展開されたと、そういう文脈で江藤氏は戦後占領期を捉えていると思われます。
これを右の論調だと警戒する向きもあるだろうし、現に江藤氏はそのことを十分予期されています。
たしかに右‐左のありがちな枠組みでいえばそういうことにならざるをえないのかもしれません。
しかし考えてみると、一国の軍隊が、つい昨日まで死闘を繰り広げ、多くの同胞を殺した敵国を占領するのに、ただ気さくにチョコレートを配ったり寛大に民主主義を天下らせたりするだけだと考えるのは、ずいぶんおめでたいというかお人よしだったように思われます(たしかに与えられたことは一面の事実ではありますが)。
しかしずっと私たちはそう思ってきた、思わされて思ってきたわけです。
米国人が一般的に、戦中さらに戦後を通じて、日本人を事実「劣等な小人」ないし「猿人間」だと描写していたことを想起しても(米国人自身の研究による)、彼らの占領の根本にはもっと現実的で冷たく暗い意図があったと考えるのが、距離を置いて考えればたしかに理にかなっているのではないでしょうか。
とりわけ、私たち現代の日本人が検閲というような言葉を眼にした場合のほとんど条件反射といっていいくらいに思い込んでいる、「戦後、米国によって言論の自由がもたらされた」という認識は、180度事実と異なると言っていいと思われます。
同書でそのことが恐ろしいくらいにリアルに描写されているのが、米国による日本のメディアへの検閲ないしコントロールについてです。
それはきわめて徹底的で巧妙であり、たしかに強権的だったけれども同時にあまりにあからさまだった軍国日本における検閲と違って、それを検閲だと思わせず真実だと思わせるように誘導する洗練されたものであったようです。
つまり新聞はじめメディアはすべて占領軍(=米軍)と連合国(=米国)に都合の悪いことを語れず、一方日本の過去については悪いことしか伝えられないという状況にあった、と。
いささか単純図式のようではありますが、しかし事実そうだったのではないでしょうか。
強大な武力を背景にし天皇を圧倒する権威の帯びたマッカーサーの「超政府」の意向にたてつくことなど思いもよらないと、そういう状況だったことが当時のさまざまな史料から読み取れます。
とりわけ、引用されている米軍に発行停止を食らった直後の「朝日新聞」の豹変ぶり(何せ「変わった」とはどこにも書いていない)には、うすら寒いものがあります。
なにより、その型にはまった論調は、戦後ずっと私たちが受けてきた教育に、そして現在の私たちの常識となっている「過去」にかかわる言説にまで、ほぼそのままのかたちで一直線に続いていると見えるからです。
重要なことは、このような文字通り世界史上空前にして絶後の異常な状況が、およそ7年の長きにわたり続いたということの意味を、日本人がほとんど考えられないようになっていることだと思われます。
著者が鋭く抉り出している占領=精神戦・心理戦という文脈が妥当だとして、その作戦は3年半続いた大東亜戦争‐太平洋戦争の物量戦のあと、ほぼその倍に当たる長期間、ひじょうに徹底的に遂行されたということになります。
あの占領期とは、歴史の教科書でいうとおおむね一ページくらいで通り過ぎてしまう部分で、しかもそれは単純に抑圧からの解放‐自由の到来という、あまりに一面的な語られかたをされているように見えます。
しかし現在の私たちにもたらしているインパクトの大きさという意味でも、米国による長期占領が日本史の非常に決定的な焦点であることは、たぶん間違いないように思われます。
自分がそうであるように、私たち日本人はあたかも自らの眼の盲点に入ってしまっているかのように、自らのアイデンティティの歪み‐病理の淵源となっているこの長くきわめて重要な時期のことを、ずっと考えないようにして・させられてきたのではないでしょうか。
私たち日本人のうちに内在している卑屈といっていいほどの自己像、それを見越したかのになされる諸外国からの歴史認識にかかわるある種の意図をもった攻撃、そしてそれに対して反駁する言葉を持ち得ない私たち……
たとえばこの状況こそ、まさに故・江藤氏が「忘れたことと忘れさせられたこと」によって起こると危惧していた事態なのではないか――そう思われてならないのです。
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当のポツダム宣言が意図したところを考えれば、それは文章自体がまるで矛盾したものとなってしまうほどの錯誤だったようです。
自覚したようでありながら、教育で、メディアで、教えられたように、刷り込まれたままを書いていたわけですね。
しかし私がほぼ思考を経ずに(ほぼ自動的に)そう書いたように、おそらく日本人のほとんどがそういうふうに深く思い込んでいると思われます。
常識化し、自明化している、ということなのでしょう。
かくいうのは、江藤淳氏の『忘れたことと忘れさせられたこと』(文春文庫)を読んだためです。
以前読むよう紹介されたことがあったのですが、なるほどこれは書き手の執念が伝わってくるような、熱く、しかし冷徹な本だという印象です。
そういう著者の情熱と鋭い論理に影響されたということもあるのでしょうが、しかしその主張はたぶん右とか左とかにかかわらないもので、証拠に基づく説得力があるのは事実です。
同書が文献史料にもとづいて明らかにしているように、当時の内外の一般的な認識からしても、ポツダム宣言の文言の解釈とその国際法上の性格からも、同宣言の意図とは日本国の主権の存在を前提にした「有条件降伏」であり、それを提案する協定的なものであったことは、ほとんど疑い得ないように思われました。
同宣言で無条件降伏が取り決められたのはあくまで日本国軍隊であって、日本国家ではありませんでした。
たしかに軍事的には完膚なきまでといっていいほど叩きのめされてはいたものの、国家として完全な敗北には行き着いていたわけではなかったのは事実です。
ナチス政府の消滅が要求され、本国が最後の戦場として徹底的に蹂躙されたドイツの場合とその点ではまったく異なり、日本が宣言を受諾したあの年8月の段階では、国家主権はまだ強固に存在し機能していたと。
これはどこまで妥当かどうか判断しかねますが、新聞記事を引いて江藤氏は、8月15日時点での日本人の認識として「日本民族は敗れはしなかった」という感情が、世論としてある程度一般的にあったのでないかと推測されています。
それはそれとして、日本が国体護持‐主権の確保を条件に降伏を受け入れたのは事実であり、それは連合国各国の承認するところであったとのこと。
ともかくおおまかにいってそういうことだと思うのですが、どうでしょうか。
そのポツダム宣言にのっとって行なわれるべき米軍による日本の占領は、しかし米国自身の意思によって占領の根拠であるはずの同宣言を反故にした「支配」となっていく…
ようするに日本の主権など一切認めず、まったく下等のものをを相手にするがごとく、野蛮な戦争をしでかし米国の逆鱗に触れた日本人の民族的な一体性、国民的アイデンティティ、つまり「大和魂」を徹底的に解体し骨抜きにするために、太平洋の物量戦につづき日本本土での精神戦・心理作戦が展開されたと、そういう文脈で江藤氏は戦後占領期を捉えていると思われます。
これを右の論調だと警戒する向きもあるだろうし、現に江藤氏はそのことを十分予期されています。
たしかに右‐左のありがちな枠組みでいえばそういうことにならざるをえないのかもしれません。
しかし考えてみると、一国の軍隊が、つい昨日まで死闘を繰り広げ、多くの同胞を殺した敵国を占領するのに、ただ気さくにチョコレートを配ったり寛大に民主主義を天下らせたりするだけだと考えるのは、ずいぶんおめでたいというかお人よしだったように思われます(たしかに与えられたことは一面の事実ではありますが)。
しかしずっと私たちはそう思ってきた、思わされて思ってきたわけです。
米国人が一般的に、戦中さらに戦後を通じて、日本人を事実「劣等な小人」ないし「猿人間」だと描写していたことを想起しても(米国人自身の研究による)、彼らの占領の根本にはもっと現実的で冷たく暗い意図があったと考えるのが、距離を置いて考えればたしかに理にかなっているのではないでしょうか。
とりわけ、私たち現代の日本人が検閲というような言葉を眼にした場合のほとんど条件反射といっていいくらいに思い込んでいる、「戦後、米国によって言論の自由がもたらされた」という認識は、180度事実と異なると言っていいと思われます。
同書でそのことが恐ろしいくらいにリアルに描写されているのが、米国による日本のメディアへの検閲ないしコントロールについてです。
それはきわめて徹底的で巧妙であり、たしかに強権的だったけれども同時にあまりにあからさまだった軍国日本における検閲と違って、それを検閲だと思わせず真実だと思わせるように誘導する洗練されたものであったようです。
つまり新聞はじめメディアはすべて占領軍(=米軍)と連合国(=米国)に都合の悪いことを語れず、一方日本の過去については悪いことしか伝えられないという状況にあった、と。
いささか単純図式のようではありますが、しかし事実そうだったのではないでしょうか。
強大な武力を背景にし天皇を圧倒する権威の帯びたマッカーサーの「超政府」の意向にたてつくことなど思いもよらないと、そういう状況だったことが当時のさまざまな史料から読み取れます。
とりわけ、引用されている米軍に発行停止を食らった直後の「朝日新聞」の豹変ぶり(何せ「変わった」とはどこにも書いていない)には、うすら寒いものがあります。
なにより、その型にはまった論調は、戦後ずっと私たちが受けてきた教育に、そして現在の私たちの常識となっている「過去」にかかわる言説にまで、ほぼそのままのかたちで一直線に続いていると見えるからです。
重要なことは、このような文字通り世界史上空前にして絶後の異常な状況が、およそ7年の長きにわたり続いたということの意味を、日本人がほとんど考えられないようになっていることだと思われます。
著者が鋭く抉り出している占領=精神戦・心理戦という文脈が妥当だとして、その作戦は3年半続いた大東亜戦争‐太平洋戦争の物量戦のあと、ほぼその倍に当たる長期間、ひじょうに徹底的に遂行されたということになります。
あの占領期とは、歴史の教科書でいうとおおむね一ページくらいで通り過ぎてしまう部分で、しかもそれは単純に抑圧からの解放‐自由の到来という、あまりに一面的な語られかたをされているように見えます。
しかし現在の私たちにもたらしているインパクトの大きさという意味でも、米国による長期占領が日本史の非常に決定的な焦点であることは、たぶん間違いないように思われます。
自分がそうであるように、私たち日本人はあたかも自らの眼の盲点に入ってしまっているかのように、自らのアイデンティティの歪み‐病理の淵源となっているこの長くきわめて重要な時期のことを、ずっと考えないようにして・させられてきたのではないでしょうか。
私たち日本人のうちに内在している卑屈といっていいほどの自己像、それを見越したかのになされる諸外国からの歴史認識にかかわるある種の意図をもった攻撃、そしてそれに対して反駁する言葉を持ち得ない私たち……
たとえばこの状況こそ、まさに故・江藤氏が「忘れたことと忘れさせられたこと」によって起こると危惧していた事態なのではないか――そう思われてならないのです。
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