〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

バックキャストで行いきたいなと。

2007-03-03 | ロストジェネレーション論
これまで漠然とやってきた〈ロストジェネレーション〉論補完の試みについて、今後はバックキャスト的に、目的にもとづくプランをさきに決めて書き進めていこうと思いつきました(「バックキャスト」という言葉の誤用かもしれませんが、イメージ的に)。

でないと、これまで読んでいただいておわかりとのとおり、どうも「自分なりのこだわり」に沿った目先のフォアキャストで、いつまでも右往左往することになってしまうだろうからです。

書いてきて反省させられたのは、もっぱら人が書いていることを寄生的にあげつらって批判するのは、ルールも責任も、どころか自分の名前を出す必要すらないネット上ではとりわけ、ある意味きわめて容易だということです。
それは悪く言えば単なる「イチャモン」にすぎません。

話が逸れますが、「ネット右翼」なるものが跋扈するのも、おそらくそんなネット自体の特性が温床となっていると見えます。
一見威勢のいいことを書いている彼らの、ネット‐PCという分厚い装甲の背後に隠れた素顔は、けっこううぶで柔弱なのではないかと想像します。
彼らの言いたいことの、気持ちほうはよーくわかるのですが……

いろいろ言っている彼らは、しかしこの国を愛する根拠はどこにあるのかという肝心なことが、残念ながら言えていないと見えます。
その一番大切なはずの内なる「理由」が空虚だから、外に敵を作り文字面だけ強がって攻撃する、と。

そこのあたりもまた、私たちの世代一般に見られる、いわば愛国心=ナショナル・アイデンティティの歪みと病理の表れという意味で、今後の〈ロストジェネレーション〉論補完のひとつの要点となると考えています。

それはさておき戻りますと、で、私も自分で書いていてはたと思ったのです。
「で、そういうオレはどうなのよ」…と。
「代案がないぞ、オイ」とつっこみながら、はたしてその用意が自分にあったのか、すくなくともその提示をしていないという、ある意味当然の反省が、ようやく起こったということでしょうか。

地ならしして基礎を作って柱を立てて…と、営々と言葉とイメージによる建物を構築するというのは、技術も資材も時間もかかってそれは大変なことなのだと推測されます。
それに対し、基礎に対する戦車砲の一撃で建物を解体したつもりになるのは、いとも容易なことなわけです。――そもそもちゃんと照準できたのか否かにかかわらず。

そういう意味でも、これからは自分の足元を見据えてしっかりと書いていきたいなと思いました。
基礎の不備を衝かれてもろくも崩壊・炎上することもあるかもしれませんが、挫折と再確立を通じての成長こそが人生なのなら、痛いけれどもそれもまた必要なことなのだと思います。
そういうわけで、お読みの方には、ぜひそこのところをスルドク突っ込んでいただければ逆に有難いです。

これは私にとってもアイデンティティの回復ないし新規構築を目指した取り組み(のつもり)であり、これまでの学びの確認となる(予定の)ものです。

さらにまた、閉鎖系になりがちなこれまでの書き込みの姿勢を超えて、書いたことが何ほどかお読みの方、とくに同世代の方のお役に立つメッセージとなるならば幸いです。


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