あやしいタイトルですね…しかし私たちにとってちょっと懐かしい「人類補完計画」(笑)のような策謀めいたものではもちろんありません。いうまでもないか。
これはさきにとりあげた、事の発端である名付け親・『朝日新聞』連載「ロストジェネレーション」に欠けていたところを補うことで、わが世代の問題の本質と対策を示そうという、たんなる宣言としてのインパクトを狙ったつもりです。
思いついたところで、概略次のようなプランで書き進めていきたいと思います。
例によってわき道に外れたり頓挫したりするおそれも大いにあろうかと思いますが……。
それでも目的地を示した地図があれば、少なくともどの道に戻ってどの方角に向かえばよいのかがわかるだろうということで、おつきあいいただければと思います。
◎ 目的地の設定
目指すは、
「われら〈ロストジェネレーション〉が集団的にロストしてしまっているのは、心の各レベルにわたる健全な自己信頼感=アイデンティティであり、それはいまからでも回復‐再構築が可能である。そしてそれこそが私たち世代がまず克服すべき当面の課題である」
ということを展望できる地点です。
……おおげさなようですが、しかし公園のお散歩ではなく仮にも旅をしたいからには、まずはどこを目指すのかが先決だということにすぎません。
1.前提の確認
最初に、内面つまり心の問題への取り組みとは、単なる観念論のきれい事ではなく、きわめてリアルで実際的な作業であり、それがなぜいま私たちにとって焦眉の課題なのかという前提を、基礎づけとしてはっきりさせておく必要があると考えています。
というのは、まずそこを押さえておかないと、私たちの世代一般に見受けられるとされた、現状のさまざまな面での負けっぷり・ダメさかげんにもかかわらず、それを克服し逆転する道があるという、肝心の希望の根拠がつかめないと思われるからです。
――そんな希望など、とどのつまりは脳の見せる空虚で無力な「幻想」にすぎない、というわけです。
そうしてさきに取り上げてきたとおり、結局、外面の競争社会でいかに他人を蹴落とし勝ってむなしいポイントを稼ぐかとか、それができない大部分の人間はいかにそこからうまいこと逃げて脱力してまったりとやりすごすかとかという、そういうよくあるつまらない結論に落ちてしまうでしょう。
ようするに、外面のモノにまつわる「勝ち・負け・逃げ」の諸関係だけが突き詰めたところこの社会におけるリアルでしょ、というような、きわめてありがちな図式の結論に陥って、結局どこまでも抜け出せなくなってしまうということです。
外面のモノに還元され干からびてしまった退屈きわまる人生のシナリオ、不可欠な半分が徹底的に除去され小さく畳み込まれた世界の地図、砂をかむように味気ない外見だけの「リアル」、そんなふうに物語であることをはなから忘れたように営まれている機能不全の物語――
これまであてがわれてきて何となく、しかしどっぷりはまり込んできたそれらに対し、はっきりいって私たちはすでに飽き飽きしているといいたいわけです。
(つづく)
これはさきにとりあげた、事の発端である名付け親・『朝日新聞』連載「ロストジェネレーション」に欠けていたところを補うことで、わが世代の問題の本質と対策を示そうという、たんなる宣言としてのインパクトを狙ったつもりです。
思いついたところで、概略次のようなプランで書き進めていきたいと思います。
例によってわき道に外れたり頓挫したりするおそれも大いにあろうかと思いますが……。
それでも目的地を示した地図があれば、少なくともどの道に戻ってどの方角に向かえばよいのかがわかるだろうということで、おつきあいいただければと思います。
◎ 目的地の設定
目指すは、
「われら〈ロストジェネレーション〉が集団的にロストしてしまっているのは、心の各レベルにわたる健全な自己信頼感=アイデンティティであり、それはいまからでも回復‐再構築が可能である。そしてそれこそが私たち世代がまず克服すべき当面の課題である」
ということを展望できる地点です。
……おおげさなようですが、しかし公園のお散歩ではなく仮にも旅をしたいからには、まずはどこを目指すのかが先決だということにすぎません。
1.前提の確認
最初に、内面つまり心の問題への取り組みとは、単なる観念論のきれい事ではなく、きわめてリアルで実際的な作業であり、それがなぜいま私たちにとって焦眉の課題なのかという前提を、基礎づけとしてはっきりさせておく必要があると考えています。
というのは、まずそこを押さえておかないと、私たちの世代一般に見受けられるとされた、現状のさまざまな面での負けっぷり・ダメさかげんにもかかわらず、それを克服し逆転する道があるという、肝心の希望の根拠がつかめないと思われるからです。
――そんな希望など、とどのつまりは脳の見せる空虚で無力な「幻想」にすぎない、というわけです。
そうしてさきに取り上げてきたとおり、結局、外面の競争社会でいかに他人を蹴落とし勝ってむなしいポイントを稼ぐかとか、それができない大部分の人間はいかにそこからうまいこと逃げて脱力してまったりとやりすごすかとかという、そういうよくあるつまらない結論に落ちてしまうでしょう。
ようするに、外面のモノにまつわる「勝ち・負け・逃げ」の諸関係だけが突き詰めたところこの社会におけるリアルでしょ、というような、きわめてありがちな図式の結論に陥って、結局どこまでも抜け出せなくなってしまうということです。
外面のモノに還元され干からびてしまった退屈きわまる人生のシナリオ、不可欠な半分が徹底的に除去され小さく畳み込まれた世界の地図、砂をかむように味気ない外見だけの「リアル」、そんなふうに物語であることをはなから忘れたように営まれている機能不全の物語――
これまであてがわれてきて何となく、しかしどっぷりはまり込んできたそれらに対し、はっきりいって私たちはすでに飽き飽きしているといいたいわけです。
(つづく)
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