公式説による限り、オズワルドの銃弾はここまでで後方から2発のみでなければならないが、フィルムから読み取れる銃撃はすでに後方からの3発、前方からの1発の、少なくとも計4発となっている(後述するが、さらに発砲があった可能性が高い)。
とくに最低3発が関わっていることが明白な大統領の上背部及び喉仏下の2ヶ所の銃創とコナリー知事の右胸の銃創を、わずか1発の銃弾で片付けようとしたウォーレン報告の結論がいかに乱暴で、無理に無理を重ねた虚構であるかが改めて確認される。
ここまで最重要の証言として、大統領の蘇生措置に当たり、事件直後に銃創の状況を報道陣に説明したパークランド病院の医師らの言葉を紹介してきた。
その証言は大統領の頚部被弾が前方からのものであったことを明示している。彼らの記者会見での発言は正式の宣誓証言ではなく、報告書では無視ないし曲解されてきたが、実際には公式の検死報告など比較にならないほど、あらゆる点で重要な証言であった。
(なお言うまでもないが、ここでの「証言」とは、法律上の厳密な意味での証言ではなく、一般的な陳述を含む、いわば小説的な表現として用いている。)
ところで先にも触れたが、そもそも証言の証拠能力とは、現実には常に不完全なものにとどまる。語り手の主観や錯誤、そして記憶違いなどが避けられないからである。
また事件の調査報告なるものが特定の意図をもって編集される以上、証言がその意図に沿う形で構成される編集操作が必ず伴うことは、ある意味で当然である。
特に本件のように政治的暗殺であることが確実であるケースではなおさらであろう(ザプルーダーフィルムの224コマ目というわずかワンフレームによってオズワルドの単独犯行が否定されたということは、政治的陰謀の存在が確定しているということである)。そこに「編集の詐術」が入り込むことがない、と考えるのはあまりにナイーブというものである。
オリバー・ストーン監督は映画で、主人公ギャリソン検事にこの事件を「クーデター」だと主張させている。クーデターをどう定義するかという問題はさておき、陰謀の存在が確定している以上、確かにこの政治的トップリーダーの暗殺の目的を政権転覆以外に考えることは難しい。
※ジム・ギャリソン 彼はニューオーリンズの地方検事として、同地の名士であった実業家クレイ・ショーを暗殺に関与したCIAの一員として逮捕・訴追し、結果として1969年に敗訴した。映画「JFK」では、複数の死者をも出した裁判への妨害工作に屈することなく、真相に肉薄した彼の勇気が称えられている。なお、こうした「陰謀論を振り撒く好ましからざる人物」への信用失墜工作を実際にCIAが行っていたことは、後年の機密資料公開によって確認されている。そもそも「陰謀論」(conspiracy theory)なる言葉自体が、事件に関する世論操作の一環として後年CIAがメディアを通じて流布した、一種のレッテル貼りであることが、最近になって明らかになっているらしい。詳しくはこちらの記事を参照。暗殺の陰謀論など、秘密結社や宇宙人といった類いのくらないゴタゴタと同レベル、というわけだ。確かにその工作は功を奏してきたようである。
だとすれば、政府組織内の人間の証言、例えば現場に居合わせたシークレットサービスや、ベセスダ海軍病院の軍医といった人物の、しかも後日の証言などは、すべてはなから信用するに値しない。国家公務員の証言が後継の政治的権力の意図に沿ったものとなるのは、ある意味で当たり前すぎるくらい当たり前のことだからである。
そうして成立した公式説・ウォーレン報告をもとに行われている、現在もかまびすしいあらゆる議論は、あまりにむなしいものがある。
ただし、大統領の背部の被弾を目撃したという先に掲載したシークレットサービス要員グレン・べネットの証言については事情が異なるので、改めて参照していただきたい。このことは後述の大統領の背部被弾の事実認定に関して重要であるため、あえて指摘する。
※G・べネットの着座位置 彼は大統領の上背部の被弾を目撃したと証言した。そしてその証言の記録は事件当日中に行われたとわざわざ報告書本文に注記されていた。つまり時間的近接性の高い証言だったことを報告書自身が認定している。そしてそこには「上背部」という肝心な点を無視して、証言内容を頚部貫通の「一発説」に合わせる編集の詐術まで加えられていることは、ご覧いただいたとおりである。すなわち重要な被弾部位の相違には言及せず、『非公表だった時点での「背後からの銃撃」への証言が「一発説」を裏付けている』というふうに。べネットの証言に限って言えば、このあからさまと見える詐術の存在が、証言そのものの真実性を逆に裏付けているのである。
証言の証拠能力には限界があることは、この事件の多くの目撃者の証言が公式説から締め出されたことに現れている。
先の『ベスト・エヴィデンス』で見たとおり、彼ら目撃者の多くが、明らかに公式説と矛盾する事実を語っているが、ウォーレン報告はそれらの重要証言をことごとく無視するか、そもそも聴聞すら行わなかったからだ。
リフトンが嘆息したとおり、ベスト・エビデンスにもとづく筋書きと矛盾する素人の証言など、米国式の法廷闘争のプロセスでは鼻であしらわれるのがオチなのである。
だから、銃撃の現場の証言で重要なのは、沿道にいた多数の観衆ではない。それらがどれほど真相を語っていて興味深くとも、事態を覆す力はないからだ。
しかし、それでも否定しようのない重要性をもつ証言が存在する。そのうちとくに最重要のものとして、大統領のリムジン上の人物の証言を以降で取り上げていきたい。
しかしその前に、最上級の政府関係者が行った、ウォーレン報告の信用性を根底から疑わしめる証言を先に見ておくのが適当と思われる。公式説がその誕生時点からもともと信用ならないものであったことを理解することで、それらの証言の意義が再確認できるからである。
とくに最低3発が関わっていることが明白な大統領の上背部及び喉仏下の2ヶ所の銃創とコナリー知事の右胸の銃創を、わずか1発の銃弾で片付けようとしたウォーレン報告の結論がいかに乱暴で、無理に無理を重ねた虚構であるかが改めて確認される。
ここまで最重要の証言として、大統領の蘇生措置に当たり、事件直後に銃創の状況を報道陣に説明したパークランド病院の医師らの言葉を紹介してきた。
その証言は大統領の頚部被弾が前方からのものであったことを明示している。彼らの記者会見での発言は正式の宣誓証言ではなく、報告書では無視ないし曲解されてきたが、実際には公式の検死報告など比較にならないほど、あらゆる点で重要な証言であった。
(なお言うまでもないが、ここでの「証言」とは、法律上の厳密な意味での証言ではなく、一般的な陳述を含む、いわば小説的な表現として用いている。)
ところで先にも触れたが、そもそも証言の証拠能力とは、現実には常に不完全なものにとどまる。語り手の主観や錯誤、そして記憶違いなどが避けられないからである。
また事件の調査報告なるものが特定の意図をもって編集される以上、証言がその意図に沿う形で構成される編集操作が必ず伴うことは、ある意味で当然である。
特に本件のように政治的暗殺であることが確実であるケースではなおさらであろう(ザプルーダーフィルムの224コマ目というわずかワンフレームによってオズワルドの単独犯行が否定されたということは、政治的陰謀の存在が確定しているということである)。そこに「編集の詐術」が入り込むことがない、と考えるのはあまりにナイーブというものである。
オリバー・ストーン監督は映画で、主人公ギャリソン検事にこの事件を「クーデター」だと主張させている。クーデターをどう定義するかという問題はさておき、陰謀の存在が確定している以上、確かにこの政治的トップリーダーの暗殺の目的を政権転覆以外に考えることは難しい。
※ジム・ギャリソン 彼はニューオーリンズの地方検事として、同地の名士であった実業家クレイ・ショーを暗殺に関与したCIAの一員として逮捕・訴追し、結果として1969年に敗訴した。映画「JFK」では、複数の死者をも出した裁判への妨害工作に屈することなく、真相に肉薄した彼の勇気が称えられている。なお、こうした「陰謀論を振り撒く好ましからざる人物」への信用失墜工作を実際にCIAが行っていたことは、後年の機密資料公開によって確認されている。そもそも「陰謀論」(conspiracy theory)なる言葉自体が、事件に関する世論操作の一環として後年CIAがメディアを通じて流布した、一種のレッテル貼りであることが、最近になって明らかになっているらしい。詳しくはこちらの記事を参照。暗殺の陰謀論など、秘密結社や宇宙人といった類いのくらないゴタゴタと同レベル、というわけだ。確かにその工作は功を奏してきたようである。
だとすれば、政府組織内の人間の証言、例えば現場に居合わせたシークレットサービスや、ベセスダ海軍病院の軍医といった人物の、しかも後日の証言などは、すべてはなから信用するに値しない。国家公務員の証言が後継の政治的権力の意図に沿ったものとなるのは、ある意味で当たり前すぎるくらい当たり前のことだからである。
そうして成立した公式説・ウォーレン報告をもとに行われている、現在もかまびすしいあらゆる議論は、あまりにむなしいものがある。
ただし、大統領の背部の被弾を目撃したという先に掲載したシークレットサービス要員グレン・べネットの証言については事情が異なるので、改めて参照していただきたい。このことは後述の大統領の背部被弾の事実認定に関して重要であるため、あえて指摘する。
※G・べネットの着座位置 彼は大統領の上背部の被弾を目撃したと証言した。そしてその証言の記録は事件当日中に行われたとわざわざ報告書本文に注記されていた。つまり時間的近接性の高い証言だったことを報告書自身が認定している。そしてそこには「上背部」という肝心な点を無視して、証言内容を頚部貫通の「一発説」に合わせる編集の詐術まで加えられていることは、ご覧いただいたとおりである。すなわち重要な被弾部位の相違には言及せず、『非公表だった時点での「背後からの銃撃」への証言が「一発説」を裏付けている』というふうに。べネットの証言に限って言えば、このあからさまと見える詐術の存在が、証言そのものの真実性を逆に裏付けているのである。
証言の証拠能力には限界があることは、この事件の多くの目撃者の証言が公式説から締め出されたことに現れている。
先の『ベスト・エヴィデンス』で見たとおり、彼ら目撃者の多くが、明らかに公式説と矛盾する事実を語っているが、ウォーレン報告はそれらの重要証言をことごとく無視するか、そもそも聴聞すら行わなかったからだ。
リフトンが嘆息したとおり、ベスト・エビデンスにもとづく筋書きと矛盾する素人の証言など、米国式の法廷闘争のプロセスでは鼻であしらわれるのがオチなのである。
だから、銃撃の現場の証言で重要なのは、沿道にいた多数の観衆ではない。それらがどれほど真相を語っていて興味深くとも、事態を覆す力はないからだ。
しかし、それでも否定しようのない重要性をもつ証言が存在する。そのうちとくに最重要のものとして、大統領のリムジン上の人物の証言を以降で取り上げていきたい。
しかしその前に、最上級の政府関係者が行った、ウォーレン報告の信用性を根底から疑わしめる証言を先に見ておくのが適当と思われる。公式説がその誕生時点からもともと信用ならないものであったことを理解することで、それらの証言の意義が再確認できるからである。
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