以下、これまでの記事とは趣向を変え、価値観に関する国際調査の結果を時々ご紹介していきたいと思う。
理由は、ある記事(誌面上)を今後執筆するにあたり、紙幅の都合上、調査結果の図表の参照先とするためである。
しかしそれだけではなく、これらの調査結果は、見れば見るほどきわめて重要な事実を示唆している。そのことをぜひ多くの人に知っていただきたいと思ったのだ。
以下は、統計に関しては全くの素人の仕事にすぎない。
だが先述のように、こと内面の世界に関しては、専門性が真実性を保証するわけでは全くない。そしてこれから扱う価値観とはまさに百パーセント人の内面に存在するものである。
素人なりに、だからこそ読み取れることを図表に添えて解説していきたい。
具体的には、「世界価値観調査」(World Values Survey、以下「WVS」)の近年の調査結果を中心に紹介していく。そのほかにも関連するものがあれば取り上げていくつもりである。
WVSについては、世界価値観調査協会(WVSA)のサイトhttp://www.worldvaluessurvey.org/wvs.jspをご参照いただきたいと思う。ただし英語のサイトである。日本人によるサイトにはあまり適切なものを見つけることができなかった。
英語に疎い筆者としては、調査の枠組みは池田謙一氏『日本人の考え方 世界の人の考え方: 世界価値観調査から見えるもの』(勁草書房、2016年)を参照した。
詳細は省くが、同書によれば、この調査は世界人口の90%を占める国々・地域をカバーしているとのことである。国連や世界銀行の出資もある、歴史ある代表的な国際的社会心理調査であり、学術的な信頼性も高いらしい。
この記事で紹介するデータについては、引用元を記していないものは、上記サイトからダウンロードできる2010年~2014年の第6次調査のものから作表している。これが取りまとめられたものとしては最新版のようである(2020年3月現在)。
筆者は事情があってたまたま最近WVS等の調査結果を見るようになったのだが、特にこのWVSの調査結果を信頼する限り、私たち日本人の価値観は、世界の中できわめて特殊な位置にある。
ある程度予想していたことではあるが、実際はそれ以上で、そのことにまず驚かされた。
この調査は学術的には有名なようだが、そうした調査結果から読み取れる肝心のもののほうは、当の私たち日本人にほぼ全く知られていない。学術的にもそうした本質論は全く語られていないようだ。
まあ、アカデミズムとはもともとそういうものであるのだろう。しかし、だとすれば一体何のための価値観調査なのか。
結論を先に記せば、日本人は伝統的な価値観からの心理的な分離・離脱の度合いが、世界の人々の中で最も高い部類にある。というよりも、おそらく単独首位にある可能性が高い。
その特殊性は日常を生きているだけでは、吸っている空気のように自覚することができない。こうして数値にさらに可視的に国際比較することで初めてそれと気づくことができる類のものである。
そう気づいてみれば、私たちの生きているこの社会の価値観とは、決して世界普遍的なものではなく、きわめて特殊なものであるらしいのだ。
しかもその内実は単純に無神論などと言えるものではない。一言でいれば「価値の空白状態」ということである。言葉を変えれば集団的なセルフ・アイデンティティの完全喪失である。社会学的にはアノミーといってもいいのかもしれない。
しかも私たちの意識は、世界の人々の中でもいわば自信喪失の側の極にあることも読み取れる。その度合いもおそらく世界一である。
自信というのは、この場合「自己信頼」という本来の意味のセルフ・コンフィデンスのことである。「自己肯定感」と言ってもいいだろう。その意味での自信の喪失は、言うまでもなく社会不適応やメンタル障害に至りがちである。国際競争力どころの話ではない。
これはよくある往年のような日本特殊論ではない。その点で、この状態の一部をも紹介しているはずの上記『日本人の考え方 世界の人の考え方』など、WVSを紹介した現行の文献の説明にはほとんど肯定できない。
つまり日本人がずっとこうあるのではなく、ある時期を境にしてこのようになってしまったと強く推測されるということである。
そのことは調査結果各項目を掲載する中で徐々に記していきたいと思う。
まず導入として、WVSの調査結果を総括しているという以下の図をご覧いただきたい。
この図はWVSを主導した学者の名前をとってイングルハート―ウェルゼル図と呼ばれており、WVSAサイトの冒頭から参照できるようになっているところから見て、いわばWVSの「顔」となっている著名なもののようである。
この図では、各国・各地域が、縦軸は「伝統的」対「非宗教的・理性的」の尺度、横軸はマズローの欲求階層理論に基づく「生存欲求」対「自己表現欲求」の尺度による四象限の中に位置づけられている。
これは外面の世界地図とは別の、各国民・各民族のいわば「内面のマッピング」である。瞥見しただけでも気づくことはいくつもあり、実に興味は尽きないが、ここでは省く。それらについては、追ってまたこの図を参照するときに記したい。
ともあれ、わが国・日本の位置である。
横軸はともかく、縦軸上の極めて高い位置にあり、この「非宗教的・理性的」の尺度では日本が世界一になっていることが一目でわかる。
スウェーデンを除けば、その位置は世界で突出しているといっても過言ではない。
一般に世俗化の度合いが最も高いと目される社会民主主義の北欧諸国や共産主義国家・旧共産圏を押さえての飛び抜けた一位である。
しかも上記サイトから閲覧できるこの図の経年的推移を示した動画によれば、調査初期(1980年代初頭)から、日本のこの位置は一貫したものとなっている。
このことは果たして何を意味しているのか?
字義通り、「わが国は宗教という迷妄から最も解放され、世界一理性的に社会が営まれている」ということになるのか?
だとすれば大いに結構だが、この社会を見る限りそんなことは到底信じがたい。
結論から言えば、もちろんそうではないのである。
以下、その意味は各調査項目を進むにつれてはっきりしてくる。順次ご紹介していきたい。
理由は、ある記事(誌面上)を今後執筆するにあたり、紙幅の都合上、調査結果の図表の参照先とするためである。
しかしそれだけではなく、これらの調査結果は、見れば見るほどきわめて重要な事実を示唆している。そのことをぜひ多くの人に知っていただきたいと思ったのだ。
以下は、統計に関しては全くの素人の仕事にすぎない。
だが先述のように、こと内面の世界に関しては、専門性が真実性を保証するわけでは全くない。そしてこれから扱う価値観とはまさに百パーセント人の内面に存在するものである。
素人なりに、だからこそ読み取れることを図表に添えて解説していきたい。
具体的には、「世界価値観調査」(World Values Survey、以下「WVS」)の近年の調査結果を中心に紹介していく。そのほかにも関連するものがあれば取り上げていくつもりである。
WVSについては、世界価値観調査協会(WVSA)のサイトhttp://www.worldvaluessurvey.org/wvs.jspをご参照いただきたいと思う。ただし英語のサイトである。日本人によるサイトにはあまり適切なものを見つけることができなかった。
英語に疎い筆者としては、調査の枠組みは池田謙一氏『日本人の考え方 世界の人の考え方: 世界価値観調査から見えるもの』(勁草書房、2016年)を参照した。
詳細は省くが、同書によれば、この調査は世界人口の90%を占める国々・地域をカバーしているとのことである。国連や世界銀行の出資もある、歴史ある代表的な国際的社会心理調査であり、学術的な信頼性も高いらしい。
この記事で紹介するデータについては、引用元を記していないものは、上記サイトからダウンロードできる2010年~2014年の第6次調査のものから作表している。これが取りまとめられたものとしては最新版のようである(2020年3月現在)。
筆者は事情があってたまたま最近WVS等の調査結果を見るようになったのだが、特にこのWVSの調査結果を信頼する限り、私たち日本人の価値観は、世界の中できわめて特殊な位置にある。
ある程度予想していたことではあるが、実際はそれ以上で、そのことにまず驚かされた。
この調査は学術的には有名なようだが、そうした調査結果から読み取れる肝心のもののほうは、当の私たち日本人にほぼ全く知られていない。学術的にもそうした本質論は全く語られていないようだ。
まあ、アカデミズムとはもともとそういうものであるのだろう。しかし、だとすれば一体何のための価値観調査なのか。
結論を先に記せば、日本人は伝統的な価値観からの心理的な分離・離脱の度合いが、世界の人々の中で最も高い部類にある。というよりも、おそらく単独首位にある可能性が高い。
その特殊性は日常を生きているだけでは、吸っている空気のように自覚することができない。こうして数値にさらに可視的に国際比較することで初めてそれと気づくことができる類のものである。
そう気づいてみれば、私たちの生きているこの社会の価値観とは、決して世界普遍的なものではなく、きわめて特殊なものであるらしいのだ。
しかもその内実は単純に無神論などと言えるものではない。一言でいれば「価値の空白状態」ということである。言葉を変えれば集団的なセルフ・アイデンティティの完全喪失である。社会学的にはアノミーといってもいいのかもしれない。
しかも私たちの意識は、世界の人々の中でもいわば自信喪失の側の極にあることも読み取れる。その度合いもおそらく世界一である。
自信というのは、この場合「自己信頼」という本来の意味のセルフ・コンフィデンスのことである。「自己肯定感」と言ってもいいだろう。その意味での自信の喪失は、言うまでもなく社会不適応やメンタル障害に至りがちである。国際競争力どころの話ではない。
これはよくある往年のような日本特殊論ではない。その点で、この状態の一部をも紹介しているはずの上記『日本人の考え方 世界の人の考え方』など、WVSを紹介した現行の文献の説明にはほとんど肯定できない。
つまり日本人がずっとこうあるのではなく、ある時期を境にしてこのようになってしまったと強く推測されるということである。
そのことは調査結果各項目を掲載する中で徐々に記していきたいと思う。
まず導入として、WVSの調査結果を総括しているという以下の図をご覧いただきたい。
この図はWVSを主導した学者の名前をとってイングルハート―ウェルゼル図と呼ばれており、WVSAサイトの冒頭から参照できるようになっているところから見て、いわばWVSの「顔」となっている著名なもののようである。
この図では、各国・各地域が、縦軸は「伝統的」対「非宗教的・理性的」の尺度、横軸はマズローの欲求階層理論に基づく「生存欲求」対「自己表現欲求」の尺度による四象限の中に位置づけられている。
これは外面の世界地図とは別の、各国民・各民族のいわば「内面のマッピング」である。瞥見しただけでも気づくことはいくつもあり、実に興味は尽きないが、ここでは省く。それらについては、追ってまたこの図を参照するときに記したい。
ともあれ、わが国・日本の位置である。
横軸はともかく、縦軸上の極めて高い位置にあり、この「非宗教的・理性的」の尺度では日本が世界一になっていることが一目でわかる。
スウェーデンを除けば、その位置は世界で突出しているといっても過言ではない。
一般に世俗化の度合いが最も高いと目される社会民主主義の北欧諸国や共産主義国家・旧共産圏を押さえての飛び抜けた一位である。
しかも上記サイトから閲覧できるこの図の経年的推移を示した動画によれば、調査初期(1980年代初頭)から、日本のこの位置は一貫したものとなっている。
このことは果たして何を意味しているのか?
字義通り、「わが国は宗教という迷妄から最も解放され、世界一理性的に社会が営まれている」ということになるのか?
だとすれば大いに結構だが、この社会を見る限りそんなことは到底信じがたい。
結論から言えば、もちろんそうではないのである。
以下、その意味は各調査項目を進むにつれてはっきりしてくる。順次ご紹介していきたい。
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