簡素とゆたかさ(続き)
前近代日本文明の最末期の実像を目撃し体験した彼ら異邦人が、何よりまずその物質的な豊かさに目をとめ記録したことは、私たちに驚きと、ことによると深い疑念をももたらすかもしれない。繰り返すが、それは私たちに長年染み込んできた、「搾取され窮乏する民衆」という既成の江戸時代のイメージとあまりにかけ離れた証言だからである。しかし本書が指摘しているとおり、それを善意の誤解やエキゾチシズムの見せた幻影、さらには権力による規制や誘導の結果と見ることはできない。彼ら証言の多くは、長期間の実体験と社会各層との直接的接触に基づくものであり、また特に物質的な充足度の評価については、本書の主要な登場人物である外交官や軍人、商人らの任務が、日本の国力―経済力の把握と本国への報告にあったことからすれば、それらの証言が相当の正確性をもって当時の日本社会の実態を反映していると見るのが妥当であろう。
同様の数多くの証言から判断すれば、階層による格差や地域的な多様性を含みつつ、当時の日本が彼らの眼におしなべて物質的に充足していると映ったことは確実である。
しかもそれは、社会の最上層にまで一貫した、生活全般の質素さ・簡素さに裏付けられた豊かさであった。階層間の貧富の差はあったものの、その懸隔は同時期の西洋諸国や他のアジア諸地域と比較すれば相当に小さいと彼らには感じられたようである。彼らが正確に観察しているとおり、当然ながら貧しい人々は存在した。しかし重要なのは、そうした貧しい社会階層が、彼らの本国における同様の階層に対してはるかに恵まれていると見えたという事実である。
このように、社会の下層はたとえ貧しかったとしても衣食住は足りていたと彼らは証言している。著者が指摘するとおり、そうした下層における貧しさとは、ライフスタイルの簡素さが可能にした衣食住の充足と両立するものだったのであり、欧米諸国で進行中だった近代化・産業社会化で出現した、悲惨さを伴う貧困とは別種のものであった。この点が特に重要だと思われるのは、これまで飢えと悲惨というダークサイドに異様に偏重してきた江戸時代の歴史イメージに、根本的な修正を迫ることになるからである。
前近代日本文明の最末期の実像を目撃し体験した彼ら異邦人が、何よりまずその物質的な豊かさに目をとめ記録したことは、私たちに驚きと、ことによると深い疑念をももたらすかもしれない。繰り返すが、それは私たちに長年染み込んできた、「搾取され窮乏する民衆」という既成の江戸時代のイメージとあまりにかけ離れた証言だからである。しかし本書が指摘しているとおり、それを善意の誤解やエキゾチシズムの見せた幻影、さらには権力による規制や誘導の結果と見ることはできない。彼ら証言の多くは、長期間の実体験と社会各層との直接的接触に基づくものであり、また特に物質的な充足度の評価については、本書の主要な登場人物である外交官や軍人、商人らの任務が、日本の国力―経済力の把握と本国への報告にあったことからすれば、それらの証言が相当の正確性をもって当時の日本社会の実態を反映していると見るのが妥当であろう。
〔ハリスが東海道の神奈川宿近辺の住人について〕日記に……記した。「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。―これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果してこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれのほかの国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」。/(江戸において)「人々はいずれも、さっぱりとしたよい身なりをし、栄養もよさそうだった。実際、私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない」。(九八頁)
〔香港主教スミスが長崎周辺の住民について〕「人びとはどこででも、かなりの物質的な安楽を享受しているようだった。繁栄と満足のしるしが広く認められた。頑丈な四肢と体格の程よい強健さは、彼らの外見の重要な特徴であって、健康を保ち肉体労働を支えるのに十分な食物が欠けているなどとはとても考えられない」。(八九頁)
同様の数多くの証言から判断すれば、階層による格差や地域的な多様性を含みつつ、当時の日本が彼らの眼におしなべて物質的に充足していると映ったことは確実である。
しかもそれは、社会の最上層にまで一貫した、生活全般の質素さ・簡素さに裏付けられた豊かさであった。階層間の貧富の差はあったものの、その懸隔は同時期の西洋諸国や他のアジア諸地域と比較すれば相当に小さいと彼らには感じられたようである。彼らが正確に観察しているとおり、当然ながら貧しい人々は存在した。しかし重要なのは、そうした貧しい社会階層が、彼らの本国における同様の階層に対してはるかに恵まれていると見えたという事実である。
オールコックは大名からその日暮らしの庶民に至る生活要具の簡素さを描写したあとで、「彼らの全生活に及んでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、賞賛すべき何ものかがある……たしかに、これほど厳格であり、またこれほど広く一般に贅沢さが欠如していることは、すべての人びとにごくわずかな物で生活することを可能ならしめ、各人に行動の自主性を保障している」。(一〇一頁、傍点は原著)
米人イライザ・シッドモアは「日本で貧者というと、ずいぶん貧しい方なのだが、どの文明人を見回しても、これほどわずかな収入で、かなりの生活的安楽を手にする国民はない」と述べている。(一〇五頁)
このように、社会の下層はたとえ貧しかったとしても衣食住は足りていたと彼らは証言している。著者が指摘するとおり、そうした下層における貧しさとは、ライフスタイルの簡素さが可能にした衣食住の充足と両立するものだったのであり、欧米諸国で進行中だった近代化・産業社会化で出現した、悲惨さを伴う貧困とは別種のものであった。この点が特に重要だと思われるのは、これまで飢えと悲惨というダークサイドに異様に偏重してきた江戸時代の歴史イメージに、根本的な修正を迫ることになるからである。
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