原爆投下に関して、米国ではいろいろな論理で合理化がなされているそうですが、意図的・計画的な大量殺人(ジェノサイド)であったことはどうあっても隠せない事実です。
それを可能にした事情として、当時の米国がいまよりもはるかに有色人種に対する差別意識の露骨な社会であったこと、かつ戦っていたのはそれが最も先鋭化しがちな軍隊であったことに、私たちは今一度、十分注意する必要があると思います。(たとえばイラクの刑務所における蛮行)
番組では、浦上天主堂というモニュメントの消去へと米国を動かしたその動機に、原爆投下が米国による犯罪行為であったという記憶を日本人から抹消し、逆に日本人に戦争の罪責感を植え付けそれを正当化するという、占領期から続く情報戦略があったと見ており、そのことには文脈上ひじょうに説得力がありました。
たとえばGHQが、それまで占領下の検閲で厳に禁じていた原爆にかかわる出版を、長崎で被爆した永井という人の後に有名になる手記に限ってあえて許可したのは、彼が原爆投下とその被害を自身のキリスト教信仰に基づいて「神の摂理」と捉え、あたかも自然現象であったかのように語っているのを、原爆に関する日本人の世論を誘導するのに有益だと判断したからだったそうです。
そのことを冷静に分析した、GHQ民間諜報部門の長が本国にあてた報告書が紹介されていました。
そして上記の手記は日本軍のマニラにおける残虐行為についての米軍報告と「抱き合わせ」で出版を許可された、とのこと。
占領下の徹底した検閲という情報コントロール=マインドコントロールが、その後の日本社会にいかに深いインパクトを与えたかを、以前紹介した故・江藤淳氏は鋭く指摘しましたが、この原爆の例こそまさに、私たちがすぐにそれと自覚できる形で、その影響力を物語っていると思われます。
それがきわめて強力に作用し後々に至るまで永続する影響力を持ったことの、まさにひとつの証明であると思われるのは、上記のような原爆に対する見方の方向付けが、原爆とはまるで「巨大な自然災害」かもしくは「悪い戦争を起こした業罰」であるかのような、私たちの日本人の内にまちがいなく生きているこの認識にまで、まさに一直線に届いていると見えることです。
ここから「原爆はしょうがなかった」なる発言が出てくるのは、ごく自然なことにすら見えてきます。あまりに安易で無自覚すぎるとはいえ。
加えて重要な点は、これは番組でも指摘されていたと思いますが、「浦上天主堂」という宗教的なメッセージをも帯びることとなるモニュメントは、広島の原爆ドームと違って、米国にとって決して残してはならないものだったのではないか、ということです。
たとえば私たちにとって、「南京」や「731部隊」は、目をそむけたくなる強い感情、つまり罪悪感を呼び起こします。
それと同じく多くの米国人にとって、「原爆」が根深い罪悪感に結びついているのは、たとえばかつてのスミソニアン博物館での騒動を見ても間違いないと思われます。
声高に罪悪を否定する背後に罪悪感そのものがあるだろうことは、傍からみればあまりに明らかだからです。
しかも、キリスト教信仰を深いところでアイデンティティにしている米国人にとって、原爆被害の中心に躯を晒す崩壊したカテドラルとは、その罪悪感の古傷を鋭く抉りつづける負のモニュメントとして、おそらく私たちが想像する以上に強烈な象徴性を持つものとなっただろうと推測されます。
これを残してはまずい、と時の権力者が判断したとしても不思議はありません。
さて、ともかく何が言いたいかというと、この事例がある種わかりやすく示しているように、人が自らの過去の記憶を解釈するための大枠、つまり歴史認識というのは、情報操作によって私たちが普通に想像するよりずっと容易に変造されてしまうものなのではないか、とりわけ決定的な敗戦とその後の長期占領を経験した日本の特殊な状況において、情報統制‐マインドコントロールは非常に徹底的に遂行されたのではないか、ということです。
とくに、原爆投下をまるで誰も悪くない自然災害のようなものであると感じ、それどころか自身の罪業に対し下された罰だととらえるような見方、つまり「原爆はしょうがなかった」という奇矯な結論にしか行きつかないような私たちの内にある歪められた枠組みを、歴史に向き合うためにまずいったんしっかり自覚し、さらに乗り越える必要があると、この番組を見て思いました。
それを可能にした事情として、当時の米国がいまよりもはるかに有色人種に対する差別意識の露骨な社会であったこと、かつ戦っていたのはそれが最も先鋭化しがちな軍隊であったことに、私たちは今一度、十分注意する必要があると思います。(たとえばイラクの刑務所における蛮行)
番組では、浦上天主堂というモニュメントの消去へと米国を動かしたその動機に、原爆投下が米国による犯罪行為であったという記憶を日本人から抹消し、逆に日本人に戦争の罪責感を植え付けそれを正当化するという、占領期から続く情報戦略があったと見ており、そのことには文脈上ひじょうに説得力がありました。
たとえばGHQが、それまで占領下の検閲で厳に禁じていた原爆にかかわる出版を、長崎で被爆した永井という人の後に有名になる手記に限ってあえて許可したのは、彼が原爆投下とその被害を自身のキリスト教信仰に基づいて「神の摂理」と捉え、あたかも自然現象であったかのように語っているのを、原爆に関する日本人の世論を誘導するのに有益だと判断したからだったそうです。
そのことを冷静に分析した、GHQ民間諜報部門の長が本国にあてた報告書が紹介されていました。
そして上記の手記は日本軍のマニラにおける残虐行為についての米軍報告と「抱き合わせ」で出版を許可された、とのこと。
占領下の徹底した検閲という情報コントロール=マインドコントロールが、その後の日本社会にいかに深いインパクトを与えたかを、以前紹介した故・江藤淳氏は鋭く指摘しましたが、この原爆の例こそまさに、私たちがすぐにそれと自覚できる形で、その影響力を物語っていると思われます。
それがきわめて強力に作用し後々に至るまで永続する影響力を持ったことの、まさにひとつの証明であると思われるのは、上記のような原爆に対する見方の方向付けが、原爆とはまるで「巨大な自然災害」かもしくは「悪い戦争を起こした業罰」であるかのような、私たちの日本人の内にまちがいなく生きているこの認識にまで、まさに一直線に届いていると見えることです。
ここから「原爆はしょうがなかった」なる発言が出てくるのは、ごく自然なことにすら見えてきます。あまりに安易で無自覚すぎるとはいえ。
加えて重要な点は、これは番組でも指摘されていたと思いますが、「浦上天主堂」という宗教的なメッセージをも帯びることとなるモニュメントは、広島の原爆ドームと違って、米国にとって決して残してはならないものだったのではないか、ということです。
たとえば私たちにとって、「南京」や「731部隊」は、目をそむけたくなる強い感情、つまり罪悪感を呼び起こします。
それと同じく多くの米国人にとって、「原爆」が根深い罪悪感に結びついているのは、たとえばかつてのスミソニアン博物館での騒動を見ても間違いないと思われます。
声高に罪悪を否定する背後に罪悪感そのものがあるだろうことは、傍からみればあまりに明らかだからです。
しかも、キリスト教信仰を深いところでアイデンティティにしている米国人にとって、原爆被害の中心に躯を晒す崩壊したカテドラルとは、その罪悪感の古傷を鋭く抉りつづける負のモニュメントとして、おそらく私たちが想像する以上に強烈な象徴性を持つものとなっただろうと推測されます。
これを残してはまずい、と時の権力者が判断したとしても不思議はありません。
さて、ともかく何が言いたいかというと、この事例がある種わかりやすく示しているように、人が自らの過去の記憶を解釈するための大枠、つまり歴史認識というのは、情報操作によって私たちが普通に想像するよりずっと容易に変造されてしまうものなのではないか、とりわけ決定的な敗戦とその後の長期占領を経験した日本の特殊な状況において、情報統制‐マインドコントロールは非常に徹底的に遂行されたのではないか、ということです。
とくに、原爆投下をまるで誰も悪くない自然災害のようなものであると感じ、それどころか自身の罪業に対し下された罰だととらえるような見方、つまり「原爆はしょうがなかった」という奇矯な結論にしか行きつかないような私たちの内にある歪められた枠組みを、歴史に向き合うためにまずいったんしっかり自覚し、さらに乗り越える必要があると、この番組を見て思いました。