きょうは早く仕事が終わってラッキー。
しかし早く終わった分、時間外手当は出ないのは残念。時は金なりというのを地で行っているこのごろだ。
あれもしたいこれもしたいと思うが、さっそく睡魔が襲ってくるのは残念。
意識の続く限りがんばろう。
さて、現在、仏教や心理学に関する本を出されていていくつかの大学で教えておられるライター・岡野守也氏の、ブログによる公開授業という新しい試みに、自分も“受講”しており、毎日更新のたびに、ブログという超お手軽なメディアに似つかわしくないことがシステマティックかつシンプルに語られていてすごいなと思う。
(岡野守也の公開授業+αへ)
大学の時にこういう授業があったらと悔やまれる。
生き方に関わる思想や、自分の心をどう扱うかという方法論が、これほど体系的にストレートに語られているという講義には出会ったことがない。
実際に同じ内容を複数の大学で講義されていて、受講している学生さんたちが自信を得、元気になっているという。
同じ学びを志すものとして、これはとても心強い。
暗いところばかり見ればうんざりするような世相だが、そういうところに目を向ければ、将来は決して暗いばかりではないと思われる。
前期にあたる期間には、自信(自己信頼)を回復するためのシンプルだけど効果的な心理技法、そして現代科学からする新しい世界像・人間観、すなわち「つながり-かさなりコスモロジー」が紹介された。
とりわけ後者のコスモロジーの可能性には驚くべきものがあると思う。
単に学ばなかったので知らなかったわけだが、現在の科学の通説では、宇宙はビッグバンで始まって以来、根源的にすべてが一体なまま、明確な秩序と進化の方向性をもって現在の私たちに至っているという、いわば「宇宙と私たちの物語」のシナリオの大枠がわかってしまっているのだという。
これはすごいことではないだろうか?
近代社会で一般的にこれまでずっと無自覚に抱かれてきた「すべてはモノだけで意味もクソもない」といったニヒリズム的なものの見方は、いつのまにか単に古くさいだけの認識不足・錯覚だということになってしまっていたのだ。
さて、後期のブログ授業は、仏教、とりわけ大乗仏教-唯識の理論と実践が主題となって、現在進行形で行われている。
この千何百年も前の仏教の論師たちの洞察が、かつて大学の時にアクビを持って聞いた西洋哲学諸学派の概説のすべてがかすんでしまうほど、深く鋭く何より実践的なのはすごいことだと思う。
仏教というものには、葬式だとか御利益信仰だとかの抹香臭く胡散臭いイメージだとか、むずかしい漢字がビッチリ羅列されたお経の近寄りがたい印象があってこれまでまったく関心がなかったが、それらが見事にひっくり返された気がする。
有り難げだけれども普通何を意味しているのかわからない、「空」とか「無我」「縁起」「苦」「真如」「慈悲」といった言葉(誰か、わかりますか?)を、これほどわかりやすくズバッと核心をついて述べた講義や書物は、他にあるのだろうか。
しかもそれらは単なる意味深な言葉ではなく、精神的実践によってふかい自覚に達した人間が世界の根底というか本当のすがたを端的に報告した言葉であるという。
とりわけ驚くべきは、そういう境地に、ぼくら普通の人間が実践次第で至りうるという可能性だ。
想像しがたいけれども、こんな自分や隣人たちにも、そういう底知れないものが潜在力として与えられているらしい。
現在自分も学んでいる最中で、これ以上語ってもあまり意味がないような気がする。
しかし、単に知的・思弁的で無味乾燥なだけの学問的学びや、ありがたげだけど結局何を言っているのかわからない仏教談義に飽き飽きした方にとっては、きっとこれまでにない展望が開けるブログ授業であることだけは、自分にも保証できるような気がする。
それにしてもネットの可能性というのはプラスにもマイナスにもすごいものがあると思う。
一方で例の小太りの某社長のような人騒がせな現象が起こると思えば、他方ではこういうメッセージが(無料で!)流通し誰の目にも止まることになっているのだから。
できればよりマシな情報が流通するように、微力ながら拙ブログも、がんばろうと思った。
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しかし早く終わった分、時間外手当は出ないのは残念。時は金なりというのを地で行っているこのごろだ。
あれもしたいこれもしたいと思うが、さっそく睡魔が襲ってくるのは残念。
意識の続く限りがんばろう。
さて、現在、仏教や心理学に関する本を出されていていくつかの大学で教えておられるライター・岡野守也氏の、ブログによる公開授業という新しい試みに、自分も“受講”しており、毎日更新のたびに、ブログという超お手軽なメディアに似つかわしくないことがシステマティックかつシンプルに語られていてすごいなと思う。
(岡野守也の公開授業+αへ)
大学の時にこういう授業があったらと悔やまれる。
生き方に関わる思想や、自分の心をどう扱うかという方法論が、これほど体系的にストレートに語られているという講義には出会ったことがない。
実際に同じ内容を複数の大学で講義されていて、受講している学生さんたちが自信を得、元気になっているという。
同じ学びを志すものとして、これはとても心強い。
暗いところばかり見ればうんざりするような世相だが、そういうところに目を向ければ、将来は決して暗いばかりではないと思われる。
前期にあたる期間には、自信(自己信頼)を回復するためのシンプルだけど効果的な心理技法、そして現代科学からする新しい世界像・人間観、すなわち「つながり-かさなりコスモロジー」が紹介された。
とりわけ後者のコスモロジーの可能性には驚くべきものがあると思う。
単に学ばなかったので知らなかったわけだが、現在の科学の通説では、宇宙はビッグバンで始まって以来、根源的にすべてが一体なまま、明確な秩序と進化の方向性をもって現在の私たちに至っているという、いわば「宇宙と私たちの物語」のシナリオの大枠がわかってしまっているのだという。
これはすごいことではないだろうか?
近代社会で一般的にこれまでずっと無自覚に抱かれてきた「すべてはモノだけで意味もクソもない」といったニヒリズム的なものの見方は、いつのまにか単に古くさいだけの認識不足・錯覚だということになってしまっていたのだ。
さて、後期のブログ授業は、仏教、とりわけ大乗仏教-唯識の理論と実践が主題となって、現在進行形で行われている。
この千何百年も前の仏教の論師たちの洞察が、かつて大学の時にアクビを持って聞いた西洋哲学諸学派の概説のすべてがかすんでしまうほど、深く鋭く何より実践的なのはすごいことだと思う。
仏教というものには、葬式だとか御利益信仰だとかの抹香臭く胡散臭いイメージだとか、むずかしい漢字がビッチリ羅列されたお経の近寄りがたい印象があってこれまでまったく関心がなかったが、それらが見事にひっくり返された気がする。
有り難げだけれども普通何を意味しているのかわからない、「空」とか「無我」「縁起」「苦」「真如」「慈悲」といった言葉(誰か、わかりますか?)を、これほどわかりやすくズバッと核心をついて述べた講義や書物は、他にあるのだろうか。
しかもそれらは単なる意味深な言葉ではなく、精神的実践によってふかい自覚に達した人間が世界の根底というか本当のすがたを端的に報告した言葉であるという。
とりわけ驚くべきは、そういう境地に、ぼくら普通の人間が実践次第で至りうるという可能性だ。
想像しがたいけれども、こんな自分や隣人たちにも、そういう底知れないものが潜在力として与えられているらしい。
現在自分も学んでいる最中で、これ以上語ってもあまり意味がないような気がする。
しかし、単に知的・思弁的で無味乾燥なだけの学問的学びや、ありがたげだけど結局何を言っているのかわからない仏教談義に飽き飽きした方にとっては、きっとこれまでにない展望が開けるブログ授業であることだけは、自分にも保証できるような気がする。
それにしてもネットの可能性というのはプラスにもマイナスにもすごいものがあると思う。
一方で例の小太りの某社長のような人騒がせな現象が起こると思えば、他方ではこういうメッセージが(無料で!)流通し誰の目にも止まることになっているのだから。
できればよりマシな情報が流通するように、微力ながら拙ブログも、がんばろうと思った。
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ぜひ、どんどん思ったことを書いてください。
どうもコメントありがとうございます。
そうですね。どんどん語りたい気がします。一方で一見遠慮しているように見えるのは、多くの部分が「まちがったことを言ってはならない」「恥ずかしいことをするな」というような自己防衛的な気持ちから来ているような気がします。
しかし、考えてみれば匿名のブログ、どう受け取られようと何の問題もないはず。
がんばりたいと思います。