〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

タイムトリップ

2008-05-19 | Weblog
毎度ですが身辺忙しくなかなか更新できないのは残念です。
ずいぶん経ってしまいましたが紹介のシンポジウム、
運営の皆さんの努力の甲斐あり、ひじょうに盛会だっただけでなく、
詳細は省きますが成果の点も上々だったようです。

詳しくは左記ブックマークの「持続可能な国づくりの会」ブログをご参照ください。報告がアップされています。

更新できないのは書いたように職場異動の結果、
ひじょうに時間がタイトとなってしまったためです。
いや~早く仕事を覚えたいな…

で、そんななかで「ちょっといい話」といいますか。

さいきんのねんきん特別便だとかで、
むかし社に在籍したひとに関する照会がよく来て、
このクソいそがしいのに正直言ってひじょうにうざったい状況です。
とくに戦後すぐのころの記録が時代の混乱もあってひじょうにいい加減になっているらしく、
きょうもおそくまで毛筆とかガリ版の古文書みたいな昭和20年前後の資料をしらべていました。

面白いというかそういうものなのだろうなと思ったのは、決済日付がまさに20年8月15日になっている資料があり、普通にハンコが押されたりして人事関係の処理されているのを見て、玉音放送の日も社は休まなかったのだなと驚かされました。

当時入社した人は男性の場合ちょうど復員で就業したひとが多く、
就職の際の履歴書を見ると「応召、歩兵●●連隊」とか「横須賀海兵団入隊」「満州●●軍属」だとかが頻発するのが、時代を感じさせます。

ある人は昭和3年の御生まれで、昭和18年くらいに志願して海軍飛行隊に飛行兵として入隊し、いくつかの基地付を経た後、
戦争末期には「沖縄方面特別攻撃隊付」となっており、終戦で除隊となっていました。まさに九死に一生を得たのでしょう。
それが復員してふつうに運転手に就職しているのを見て、考えてみれば特攻に出撃した人だけでも5000人ちかくいるのだから、こういう例はけっして珍しくはなかったんだろうなと感じました。

いまも御健在なのでしょうか、ドラマを感じました。
15歳で志願、か…

あ、あんま「いい話」じゃないや。

2 コメント

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はじめまして。 ()
2008-05-22 08:12:33
「劣等感」を検索して「落ち込みを克服するための日記」にたどりつき、拝見しました。

文章がとても魅力的で、重いものをここちよく軽く、ねじれたものをきもちよく素直に表現しておられ、御本人をゆかしく思ったしだいです。

岡野守也先生にであうことができて、こころから感謝もうしあげます。

ながいあいだ求めていた「考え方」に出会い、岡野守也先生にまなんでいこうとこのうえない喜びをかんじています。

ありがとうございました。


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Unknown (こちらこそ)
2008-05-22 22:26:56
陽様
コメントありがとうございました。
前ブログからお読みいただいたとのこと、たいへんありがとうございます。当時はちょっと気負って書いていたものです。陽様のブログも拝見しました。とても素敵なメッセージを書いておられますね。岡野先生にとのこと、何よりです。(なにせブログを始めた動機がそのプロパガンダ(あ、言葉が悪いか)にあったもので…思えば遠くに来てしまった)
出会われた「考え方」について、まったく同感です。何とかこれを「生き方」にまで深められればと思うのですが、それはなかなか…まだまだで。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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