これまでにアップした記事で見てきただけでも、そもそも狙撃の現場が教科書倉庫ビルではなかったこと、他の複数の地点からの狙撃があったことはほぼ確実だと思われる。
その視点から改めて公式説を眺めると、「教科書倉庫ビル六階窓」及び「三発の銃弾」という予め決められた結論があって、それに合致しない幾多の現実のほうを結論に合わせるために、証拠の偽装までして無理を重ねているだけだと見えてしまう。
先に三つの薬莢が偽装だった可能性を指摘したが、しかしそもそもオズワルドの銃弾が三発だったなら、実は現場に三つの薬莢が残っていること自体が理に合わない。
自動火器ならば射撃ごとに薬莢が自動で排出されるが、カルカノのような手動のボルトアクション・ライフルでは、最後の三発目を撃ったあとの排莢は実は必要がないからである。
彼が厳しい時間的制約の中で三発を速射したとするなら、残された薬莢は「二個」であるのが自然だ。
彼が次の四発目の銃撃のために排莢・装填した、または慌ててそうした不要の動作をした、というような説明もつじつまが合わない。
銃の素人ならともかく、公式説による限り銃の扱いに熟達していたはずの彼が、三発目でヘッドショットの成功を確認した後に、わざわざ四発目を企図してボルト操作をした可能性は考えがたいからである。
彼が銃を構えたとされるこの六階窓からの視界を見ていただきたい。
三発目の銃撃による大統領の被弾地点は、エルム通りの現場付近での左・右のカーブをつなぐ直線部分の終端にあたる。以降リムジンは右カーブに差し掛かり、つまり狙撃手視点での移動量がさらに増大しつつ、アンダーパスに向けすぐに視界から消えることとなる。
オズワルドを犯人とするなら、明らかに三発目がラストチャンスだったのである。
また狙撃後に、彼はライフルをフロアに山積みの段ボールの陰に隠し、階下に急いだことになっている。そうして警察がビルを封鎖する前に、現場を離れることに成功したとされる。
(それにしても、教科書倉庫ビルからの三発だけだったとするなら、犯行現場は突き止めるまでもなく明らかである。にもかかわらず、警察によるビルの封鎖があまりに遅いのはきわめて疑わしいが、射撃に限定したこの記事の範囲を越えるので、ここでは述べない。)
そうして証拠隠滅を図りつつ、一刻も早く現場から逃走する必要のあった彼が、また一つ現場に証拠を残してしまうこととなる無駄な動作をあえてしたのは、一体なぜなのか。
それ以上に、わざわざ段ボールをかき分けて銃を隠しながら、銃のすぐ脇に行儀よく並んだ薬莢を残すこと自体が根本的に不自然である。
ウォーレン報告書は結果としてオズワルドが「特A級の冷徹なスナイパー」であると主張しており、さらに事前に段ボールを積んで入念な準備までしていたことまで記録しているが、その彼が「頭隠して尻隠さず」の喩えどおりに、銃を隠しながら、手を伸ばせば簡単に拾える薬莢3つを現場に残すというのは、矛盾以外の何ものでもない。
以上、射撃自体を見る前にすでに公式説は真っ黒という心証だが、 さらに本当にこのカルカノ小銃をオズワルドが撃ったのか、その証拠自体が極めて怪しいシロモノである。
その最重要の証拠とされるのが、事件から暫く経ってライフルから採取されたという彼の掌紋である。
映画「JFK」では、掌紋が後日オズワルドの死体に銃を持たせて捏造されたことが描かれており、以上の疑惑を考えればそうした憶測を呼ぶのはむしろ当然であろう。
銃を構えれば必然的に十本の指先全てが銃にべったり触れるにもかかわらず、指紋ではなく掌紋のみが残るというのも不可解だが、何より、銃器の扱いに長けていたはずのオズワルドが、銃を隠しながら、薬莢に加え掌紋を残すことにも無頓着だったというのは、どうにも理解に苦しむ。
それが単なる憶測にとどまらないことは、写真に残された事件後のダラス警察によるこの銃の扱いを見ても明らかである。
1963年という時代は、科学捜査のための証拠保全という観念が、現在と比較すればはるかに緩かったのだろう。
これらの扱いのあと、後日になって警察署に保管されていた銃から掌紋が「発見」されたとして、その証拠能力がどれ程あるというのか。
わずかにここまで見ただけでも、あくまで事件を「オズワルドによる三発の銃撃が全て」だとして片付けようという、何者か(それが誰であるかはここでは問題ではない)の強い意思が介在しているのは、もはや確実であると思われるが、いかがだろうか。
以下、さらにオズワルドの射撃を完全に否定していると見える疑惑の数々を確認していきたい。
その視点から改めて公式説を眺めると、「教科書倉庫ビル六階窓」及び「三発の銃弾」という予め決められた結論があって、それに合致しない幾多の現実のほうを結論に合わせるために、証拠の偽装までして無理を重ねているだけだと見えてしまう。
先に三つの薬莢が偽装だった可能性を指摘したが、しかしそもそもオズワルドの銃弾が三発だったなら、実は現場に三つの薬莢が残っていること自体が理に合わない。
自動火器ならば射撃ごとに薬莢が自動で排出されるが、カルカノのような手動のボルトアクション・ライフルでは、最後の三発目を撃ったあとの排莢は実は必要がないからである。
彼が厳しい時間的制約の中で三発を速射したとするなら、残された薬莢は「二個」であるのが自然だ。
彼が次の四発目の銃撃のために排莢・装填した、または慌ててそうした不要の動作をした、というような説明もつじつまが合わない。
銃の素人ならともかく、公式説による限り銃の扱いに熟達していたはずの彼が、三発目でヘッドショットの成功を確認した後に、わざわざ四発目を企図してボルト操作をした可能性は考えがたいからである。
彼が銃を構えたとされるこの六階窓からの視界を見ていただきたい。
※教科書倉庫ビル6階窓からのエルム通りの俯瞰
三発目の銃撃による大統領の被弾地点は、エルム通りの現場付近での左・右のカーブをつなぐ直線部分の終端にあたる。以降リムジンは右カーブに差し掛かり、つまり狙撃手視点での移動量がさらに増大しつつ、アンダーパスに向けすぐに視界から消えることとなる。
オズワルドを犯人とするなら、明らかに三発目がラストチャンスだったのである。
また狙撃後に、彼はライフルをフロアに山積みの段ボールの陰に隠し、階下に急いだことになっている。そうして警察がビルを封鎖する前に、現場を離れることに成功したとされる。
(それにしても、教科書倉庫ビルからの三発だけだったとするなら、犯行現場は突き止めるまでもなく明らかである。にもかかわらず、警察によるビルの封鎖があまりに遅いのはきわめて疑わしいが、射撃に限定したこの記事の範囲を越えるので、ここでは述べない。)
そうして証拠隠滅を図りつつ、一刻も早く現場から逃走する必要のあった彼が、また一つ現場に証拠を残してしまうこととなる無駄な動作をあえてしたのは、一体なぜなのか。
※隠されたカルカノ小銃
それ以上に、わざわざ段ボールをかき分けて銃を隠しながら、銃のすぐ脇に行儀よく並んだ薬莢を残すこと自体が根本的に不自然である。
ウォーレン報告書は結果としてオズワルドが「特A級の冷徹なスナイパー」であると主張しており、さらに事前に段ボールを積んで入念な準備までしていたことまで記録しているが、その彼が「頭隠して尻隠さず」の喩えどおりに、銃を隠しながら、手を伸ばせば簡単に拾える薬莢3つを現場に残すというのは、矛盾以外の何ものでもない。
以上、射撃自体を見る前にすでに公式説は真っ黒という心証だが、 さらに本当にこのカルカノ小銃をオズワルドが撃ったのか、その証拠自体が極めて怪しいシロモノである。
※事件前のオズワルドの立ち姿を写したとされる有名な写真。顔と胴体の接続が明らかに不自然であり、映画「JFK」や「ダラスの暑い日」でも証拠捏造の事例として描かれている。それはここでは措くこととして、片手にカルカノ、片手にコミュニスト系の新聞をわざわざ手にし、拳銃を腰にぶらさげているなど、「孤独な共産主義のガンマン」という単独犯行説のストーリーに忠実な扮装は、数々の疑惑を考え合わせればむしろ苦笑を誘うほどである。
その最重要の証拠とされるのが、事件から暫く経ってライフルから採取されたという彼の掌紋である。
映画「JFK」では、掌紋が後日オズワルドの死体に銃を持たせて捏造されたことが描かれており、以上の疑惑を考えればそうした憶測を呼ぶのはむしろ当然であろう。
銃を構えれば必然的に十本の指先全てが銃にべったり触れるにもかかわらず、指紋ではなく掌紋のみが残るというのも不可解だが、何より、銃器の扱いに長けていたはずのオズワルドが、銃を隠しながら、薬莢に加え掌紋を残すことにも無頓着だったというのは、どうにも理解に苦しむ。
それが単なる憶測にとどまらないことは、写真に残された事件後のダラス警察によるこの銃の扱いを見ても明らかである。
1963年という時代は、科学捜査のための証拠保全という観念が、現在と比較すればはるかに緩かったのだろう。
これらの扱いのあと、後日になって警察署に保管されていた銃から掌紋が「発見」されたとして、その証拠能力がどれ程あるというのか。
わずかにここまで見ただけでも、あくまで事件を「オズワルドによる三発の銃撃が全て」だとして片付けようという、何者か(それが誰であるかはここでは問題ではない)の強い意思が介在しているのは、もはや確実であると思われるが、いかがだろうか。
以下、さらにオズワルドの射撃を完全に否定していると見える疑惑の数々を確認していきたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます