〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

二つの驚くべき心理療法について

2020-03-10 | 二つの心理療法について
ようやく子供が寝てくれて、風邪が治って元気になったのは何よりだが、なかなか寝付かないのは、ほほえましくも困ったものだ。明日保育園は大丈夫なのか?
ともあれ、こうして時間が取れるわけだが。

さて、前回は「伝えるべきこと」と題して書いたが、考えてみればこれこそ論理療法的に典型的なmust(ねばならない)思考なのだった。
私が伝えようと伝えまいと世の中は動いていくし、私の日常もとりあえず変わることはない。世界の危機への私の責任は70億分の一だ。誰がそんなマストを命じたのか? 失敗したからと言って一体どうなるというのだろう?

そう、正しく言い換えよう。「伝えたい」のだ。それを伝える主体が誰であってもかまわない。どうか伝わってほしい。
つたない文才の上に時間がないためまとまらず、せっかくの先達の真意が伝わらないとすれば残念だが、誰か一人にでも届いてくれればめっけものと思って、拙速をいとわず書いていく。本来は、いずれも体系的に厳密に、文献的根拠をもって書くべきなのだが…(おっと、また「べき」だ)

「伝えたい」のだから、ブログには「です・ます」体がいいかなと思ったが、考えてみれば敬語というのは相手を上げて自分を下げるというように忙しく社会的に機能しているもので、会話表現としては結構だが、文章としては何かフワフワとしていてすっきりしない(しかし、日本語を貫くそうした機能は社会関係を柔和なものにするうえで極めて有効なものである。いつかそのことを明らかにした金谷武洋氏の秀逸な日本語論を取り上げたいと思う)。

そもそもセルフトークを敬語でやっている人など誰もいない。
ここはやはり内心思った通りの語調で書いていくこととしよう。

前回書いたように、ご紹介する二つの心理療法は、かつての私のように相当にネガィテブな心理状態に陥っているに人にも、人生の大逆転をもたらすものである。
私に関して言えば、かつてのようにひどく落ち込むことは文字通り皆無となり、今後も大変明るい展望が抱ける気すらしている。
不肖ながら、いわばなかなか成果の上がらない内的実験を長々と行ってきたわけだ。そういうわけで、かつてどうダメだったのか、ささやかではあるものの具体的にどう変化したのかは並行して書いていきたい。

そうした個人レベルの話ばかりか、これらのセラピーはヒトの認識の盲点に切り込むものであり、現行の人類の限界ある思考に多大な影響をもたらすことになるものである。
大げさかどうか、果たしてそんな大それた効果があるのか、疑問に思われる向きには、今後の長くなると思われる記事をお読みいただき各自ご判断いただきたいと思う。

その一つの心理療法は、これまで読んできてくださった方には言うまでもなく、再三ご紹介してきたサングラハ教育・心理研究所の岡野守也先生によるコスモロジー心理学および唯識心理学である。
私も2002年から同研究所の講座やワークショップに参加しており、早くも20年近くたつのだと思うと感慨深い。今となっては若いころの唯一の楽しい思い出である。また、先生には公私にわたり大変お世話になり、個人的に感謝は尽きない。

すでに複数の書籍になっているし、先生自身のブログでも惜しみなくその詳細を記しておられるので、私がいろいろ書くよりはそちらを参照していただいた方がいいのはもちろんである。
実際、この現代科学による新時代の世界観を内面化できたならば、自己信頼という意味での自身はゆるぎないものとなるだろう。

しかし平易な語り口でありながら、その内面化は実はハードルが高いと思う。講座に参加してきた多数の方々も、その点で躓いているように思えてならなかった。その躓きがなぜ生じるかもまた、凡人として実によくわかる気がしてきたものだ。
したがって、私のようなまだまだその学習及び内面化の途上にある、いわば「虫の視点」からご紹介することもできるのではないかと思う。

もう一つの心理学は別の人物のもので、やはり在野の心理学者によるものだが、私にとって出会いは実はこちらの方がかなり古い。
岡野先生とは全く別の視点・経歴・理論から、しかし人間心理の盲点となっている「力」を明らかにした心理療法であるが、世に全く知られていないのは大変残念なことである。


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