》承前《
さて、発題の最後は、シンポジウム「日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!」のいわば発起人である、私が数年来学んでいるサングラハ教育・心理研究所の、岡野守也主幹によるものでした。
岡野先生は心理学や宗教、仏教の分野、つまり個人と集団の内面ということを主に専門に著述活動をされてきた方で、そういう意味でいえば環境や政策というような社会の外面の問題についての発言は「専門外」にあたるわけですが、著作や講義の中でこれまで一貫して語っておられるように、そういう“内面”の治癒-浄化-成長の理論と実践の徹底的な追求は、いろいろな反省や取り組みがありながら、しかしなぜか環境問題や戦争というような集団的病理に走ってしまう人間の行動をなんとかしたいという“原点”からきているとのことです。
外面の環境問題と、内面の病理-荒廃とは、常識的にはあたかも別分野の問題(つまり関係ないこと)であるかのように捉えられがちだと思いますが、そもそも生存の環境的条件がダメになったら人間とその心は存在することができるはずもありませんし、環境破壊的な経済活動を実行している人間とその集団の内面が変わらなければ、そういう外面にあらわれたいわば「問題行動」が変わることがないというのは、いわば理の当然だと思われます。
このような内面の視点からの、私たちの集団的な危機である環境問題解決に向けての現実的な提言とは、たぶんひじょうに希有なものだと思われます。
(ブックマーク、岡野主幹のブログ「自然成長型文明に向けて」参照。おおむね発題と重なるようです。)
私たちの社会が真に“持続可能な”ものになるためには、おそらく間違いなく、人間のあらゆる問題がそうであるように、個人の心(内面)と行動(外面)、そして集団の文化(内面)と社会システム(外面)の四つの側面(ウィルバーの「四象限理論」――同ブログ過去記事参照)にわたる条件を満たすことが不可欠なのは、大枠として事実といって差し支えないと思われます。
どの側面の条件が欠けても、たとえば地球環境の危機の問題は解決に至らないのではないでしょうか。
これまで40年近くにわたり、外面的な解決の取り組みは多く議論され計画され、そして一部は実行されてきたものの、発題の示す“危機のポイント”のとおり、地球環境破壊の進行スピードは残念ながらほとんど変わっていないようです。
その要因として、個々人と集団がそういう環境破壊行動をしてしまう動機-内面の側面の問題が、ほとんどなおざりにされていたことがひじょうに大きいというのは、そう指摘されてみるといわば「コロンブスの卵」的に明らかになってくる事実だと思われます。
一般に、リアルで実効性があるのはもっぱら客観的な技術や社会システム(外面)における対策であって、心と文化(内面)への取り組みというようなことは、現実性の乏しい、ないし単なる観念論にすぎないと捉えられがちだと思いますが、そういうより大きな枠組みで考えれば、どちらも同じくきわめてリアルな話に違いないように思われます。
外面的には、環境危機のデータがもはや疑いえないほどはっきりしていて、それに対して達成しなければならない具体的な全体の目標(例えば地球全体の温室効果ガス排出量は○○年までに~ギガトンに抑制される必要がある、等)も科学的におおむね確定されつつあり、さらに〈緑の福祉国家〉というスウェーデンにおいて実現されつつある実例が、私たちの目指すべき社会システムの一つの有力なモデルとして示されるまでに至っているわけです。
しかしここでとりわけ内面からの視点が必要だと思うのは、それに対してほとんど無頓着にこれからも経済的拡大を志向していくかに見える私たち個々人とその社会(それは私たちにとって、大きくはこの日本国以外にはありえないと思われます)の行動を、どのようにエコロジカルな現実に即したものに変えていくかというのが、とりもなおさず私たちの内面(心と文化)の変容にかかっているためです。
》つづく《
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さて、発題の最後は、シンポジウム「日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!」のいわば発起人である、私が数年来学んでいるサングラハ教育・心理研究所の、岡野守也主幹によるものでした。
岡野先生は心理学や宗教、仏教の分野、つまり個人と集団の内面ということを主に専門に著述活動をされてきた方で、そういう意味でいえば環境や政策というような社会の外面の問題についての発言は「専門外」にあたるわけですが、著作や講義の中でこれまで一貫して語っておられるように、そういう“内面”の治癒-浄化-成長の理論と実践の徹底的な追求は、いろいろな反省や取り組みがありながら、しかしなぜか環境問題や戦争というような集団的病理に走ってしまう人間の行動をなんとかしたいという“原点”からきているとのことです。
外面の環境問題と、内面の病理-荒廃とは、常識的にはあたかも別分野の問題(つまり関係ないこと)であるかのように捉えられがちだと思いますが、そもそも生存の環境的条件がダメになったら人間とその心は存在することができるはずもありませんし、環境破壊的な経済活動を実行している人間とその集団の内面が変わらなければ、そういう外面にあらわれたいわば「問題行動」が変わることがないというのは、いわば理の当然だと思われます。
このような内面の視点からの、私たちの集団的な危機である環境問題解決に向けての現実的な提言とは、たぶんひじょうに希有なものだと思われます。
(ブックマーク、岡野主幹のブログ「自然成長型文明に向けて」参照。おおむね発題と重なるようです。)
私たちの社会が真に“持続可能な”ものになるためには、おそらく間違いなく、人間のあらゆる問題がそうであるように、個人の心(内面)と行動(外面)、そして集団の文化(内面)と社会システム(外面)の四つの側面(ウィルバーの「四象限理論」――同ブログ過去記事参照)にわたる条件を満たすことが不可欠なのは、大枠として事実といって差し支えないと思われます。
どの側面の条件が欠けても、たとえば地球環境の危機の問題は解決に至らないのではないでしょうか。
これまで40年近くにわたり、外面的な解決の取り組みは多く議論され計画され、そして一部は実行されてきたものの、発題の示す“危機のポイント”のとおり、地球環境破壊の進行スピードは残念ながらほとんど変わっていないようです。
その要因として、個々人と集団がそういう環境破壊行動をしてしまう動機-内面の側面の問題が、ほとんどなおざりにされていたことがひじょうに大きいというのは、そう指摘されてみるといわば「コロンブスの卵」的に明らかになってくる事実だと思われます。
一般に、リアルで実効性があるのはもっぱら客観的な技術や社会システム(外面)における対策であって、心と文化(内面)への取り組みというようなことは、現実性の乏しい、ないし単なる観念論にすぎないと捉えられがちだと思いますが、そういうより大きな枠組みで考えれば、どちらも同じくきわめてリアルな話に違いないように思われます。
外面的には、環境危機のデータがもはや疑いえないほどはっきりしていて、それに対して達成しなければならない具体的な全体の目標(例えば地球全体の温室効果ガス排出量は○○年までに~ギガトンに抑制される必要がある、等)も科学的におおむね確定されつつあり、さらに〈緑の福祉国家〉というスウェーデンにおいて実現されつつある実例が、私たちの目指すべき社会システムの一つの有力なモデルとして示されるまでに至っているわけです。
しかしここでとりわけ内面からの視点が必要だと思うのは、それに対してほとんど無頓着にこれからも経済的拡大を志向していくかに見える私たち個々人とその社会(それは私たちにとって、大きくはこの日本国以外にはありえないと思われます)の行動を、どのようにエコロジカルな現実に即したものに変えていくかというのが、とりもなおさず私たちの内面(心と文化)の変容にかかっているためです。
》つづく《
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