
ある日、竹久夢二は笠井彦乃にこう言葉をなげかけた。
「彦というのは男の子を表す文字だから名前を山路しのに変えなよ」
山路は、芭蕉の句、「山路来てなにやらゆかしすみれぐさ」から採用した。
しのという名は、彦乃の肌が志野焼の白釉のように優しくて
すいこむような美しさがあるから。
彦乃は夢二にとって永遠の人であった、が、彦乃の父宗重は二人の交際を頑なに反対した。
そこで二人の逢瀬を長唄の師匠が手助けをした。
その際に、山と川という赤穂浪士ばりの合言葉を用いた。
彦乃は山路しのだから、山、夢二は川の流れが好きなので川なのである。
手紙も「山」、「川」と符丁を用いて交わした。
後に夢二は二百首あまりの短歌を配列した絵入り歌集「山へよする」を発表したが
いわずもがな山とは、「笠井彦乃」、その人である。
