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僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

自虐の詩

2010-01-20 23:53:57 | 感動
映画にもなった業田良家の「自虐の詩」下巻を読んだ。


主人公の森田幸江の薄幸な人生が、ともすれば卑屈でともすれば前向きに転換される
波乱万丈な人生賛歌である。タイトル通り自虐ネタが多いが・・・

話の内容も現在から急に過去に飛び、現在の境遇が明らかになったりする。また時々回想シーンが入るので、過去に飛んでいくのだろう。

幸江の父、家康はパチンコ狂で酒好き、碌に働きもしない。そのため貧乏生活を余儀なくされ小学校のときは新聞配達をし、中学時代は造花作りのアルバイトで家計を支えていくのである。

現在はもとやくざのイサオと結婚し幸せに暮しているが、イサオもまともに働かない男なのだ。日雇いのバイトをし、疲れたからとタクシーで帰り、日給がなくなり逆に1000円払わなければといった具合なのだ。
そして父親同様競馬というギャンブルにはまっており、どうしようもないめでたい男なのだ。幸江はやはり食堂の手伝いをして家計を助けており、その給与も旦那の飲代に消えていったりする。

中学時代、幸江は同じ境遇で貧乏な熊本さんと知己になる。

幸江が梅干一個の日の丸弁当なら、熊本さんはいつもめざし一匹載せためざし弁当だった。
そして病気の父と二人の弟と妹を養うため、学校で飼っている鶏や鯉を無断で持ち帰ったりしたのである。
ふたりはお互いをブスと呼び合ったり喧嘩も絶えなかったが仲良く学校生活を送っていた。


ある日から熊本さんが欠席し、代わりにスポーツ万能で頭脳明晰な藤沢さんのグループと仲良くなる。それに伴って熊本さんを避けるようになるのである。

あるときホステスに入れ込んだ幸江の父は銀行強盗を働き警察に逮捕されてしまう。
藤沢さんたちは幸江に同情はすれど係わり合いになるのを避けてしまう。
友人も去って世間からも好奇の目にさらされて窮地に陥った幸江をあの熊本さんは見捨てなかったのだ。
17発なぐり、幸江も大きな石でゴツンとなぐりお互いのわだかまりを消し去り無二の親友となった瞬間だった。

幸江が東京に上京する日、熊本さんは手作りの精一杯の弁当をこしらえ、餞別に百円包み
幸江に手渡し別れを惜しんだ。

20年後、熊本さんから幸江に電話があり、駅のホームで再会を果たす。
身重な幸江は電車をおり、階段を駆け上がり20年ぶりの彼女を見つけ
二人は涙ながらに手を高く握り合って再会の喜びに咽ぶのだった。

たんなるナンセンス漫画のようであり、その実深い感動が潜んでた
ちょっと肩透かしの衝撃だった。

再会の時のト書きが気が効いているので載せておこう。

幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに 意味がある



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2 コメント

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Unknown (なつ)
2010-01-23 17:32:15
深い言葉ですね。
「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに 意味がある」

私の好きな飯田史彦先生のお話にもこのことが出てきます。

何もない一日。

感謝の一日。

何かあった日、

学びの一日

こうできる大きな心が欲しいものです。
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なつさんへ (僕の感性)
2010-01-24 12:33:13
人生は辛い事のほうが多いかもしれません。
けれどその合間に楽しいこと、うれしいことが
垣間見せてくれると
人生の素晴らしさを実感できるのだと
思います。

そして悲しく辛い経験をたくさん持った人は
他人にとても優しくなれるのでしょう。

打ちひしがれているとき
そっと側にいて見守ってくれる
そんな友がいるのは
涙がでるほど嬉しいものです。
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