晩秋
あはれな 僕の魂よ
おそい秋の午後には 行くがいい
建築と建築とが さびしい影を曳いている
人どほりのすくない 裏道を
雲鳥を高く飛ばせている
落葉をかなしく舞はせてゐる
あの郷愁の歌の心のままに 僕よ
おまへは 限りなくつつましくあるがいい
おまへが 友を呼ばうと 拒まうと
おまへは 永久孤独に 飢ゑているであらう
行くがいい けふの落日のときまで
すくなかったいくつもの風景たちが
おまへの歩みを ささへるであらう
おまへは そして 自分を護りながら泣くであらう

この詩の発想はリルケの「秋」に似ている。秋はすべてに落下があり、孤独へと落ちていく観念は終末論に近いものがある。
ただリルケは落下を優しく両手で支えるものを「神」に見出したのに対して、道造は無常観しか見ていないことである。
空ろな希望と諦念が、道造の体を覆いつくし、あるがままの情景に身を任せているように思える。そして
道造の孤独は永久的に孤独であり、生の意識を知覚する状態に等しいように思う。
あはれな 僕の魂よ
おそい秋の午後には 行くがいい
建築と建築とが さびしい影を曳いている
人どほりのすくない 裏道を
雲鳥を高く飛ばせている
落葉をかなしく舞はせてゐる
あの郷愁の歌の心のままに 僕よ
おまへは 限りなくつつましくあるがいい
おまへが 友を呼ばうと 拒まうと
おまへは 永久孤独に 飢ゑているであらう
行くがいい けふの落日のときまで
すくなかったいくつもの風景たちが
おまへの歩みを ささへるであらう
おまへは そして 自分を護りながら泣くであらう

この詩の発想はリルケの「秋」に似ている。秋はすべてに落下があり、孤独へと落ちていく観念は終末論に近いものがある。
ただリルケは落下を優しく両手で支えるものを「神」に見出したのに対して、道造は無常観しか見ていないことである。
空ろな希望と諦念が、道造の体を覆いつくし、あるがままの情景に身を任せているように思える。そして
道造の孤独は永久的に孤独であり、生の意識を知覚する状態に等しいように思う。
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