うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

去る春かな ・・・

2016年04月15日 03時53分45秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 ここで、以下にfacebookに最近アップした駄句を転載する。
              

      ・梅花ほころび 沢の流れに鶴も立ちつ われはゆく

      ・カラオケの酔いしだみ声に 去る春かな

      ・梅香る 荒々しき日々もついえてる

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ミズキの思い出

2016年01月24日 05時34分43秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
いよいよ、厳冬の季節に突入だ。現場に行っても積雪の後は雪そのものよりもぬかるみがひどくて、土工事は難儀するこの頃である。泥だらけの長靴はその都度冷たい水で洗う。宅地造成の現場は手間がかかる。
 ところで、この地区の山林であった残留緑地には杉の伐採跡に色々な落葉樹の萌芽や叢生がおびただしい。その中で、ここではミズキの画像を掲げる。ミズキは新芽を付ける幹肌が真っ赤で雪の中でもすぐに見分けがつく。
ミズキは生長も早い、その材は柔らかくて木目も目立たなくきれいで白っぽい。簡単に彫刻刀などで切削加工しやすい。実は、民芸品、土産物の東北のこけし、鳴子のこけしはこのミズキで作られている。

 地方ではミズキに小正月や旧正月にはこの枝先に搗いた餅をくっつける習わしがある。昔、わたしの田舎では旧正月こそ本当の正月、もち米を蒸し臼で搗いたばかりの餅で飾り、家の天井際の神棚の取付け金具や欄間や鴨居などにやや斜め上に向け結わえておくもので、“餅花”と言った。生糸を採るお蚕様、養蚕の豊産を祈ったものなのか。
 わたしには、冬の寒くてなんの楽しみもない子供時代、言葉で形容すると貧寒という感じか、このころが少しは華やぎにぎやかになり楽しかった。年末になると、野兎(トウホクノウサギ)獲りの針金の罠を仕掛けに行ったり、この2,3~5mのミズキを父に連れられ近くの山に雪を漕いで切り出しに行った記憶がある。
            

            
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牡蠣いかだ

2015年12月24日 04時19分50秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
昨夜は、事務所のホテル泊まり込みの忘年会。こういう成り行きは、振り返ると、わたしにとっては何十年前の箱根湯本温泉以来になる。豪勢と言えば豪勢だが、わたしの気持ちはあまり欲はなくて、高ぶりもせず淡々としたもの。
 当地の大きな湾内は牡蠣や銀鮭の養殖場で知られる。だが、この南三陸町のホテルは良かった。オーシャンビューどころではない、全室が太平洋に向かい志津川湾を臨んでいる。沸かしの温泉付きだが、三陸のリアス海岸では一番の居心地の良さかもしれない。
 このホテルは断崖にあり、東日本大震災には15メートル以上の津波が押し寄せた時に、600人が避難した高台にある。ちなみにこの町で行方不明者を入れて800余名が被災した。
 飛翔する海鳥、客室のベランダの手すりには海猫が群れで停まる。わたしは当地に棲むといわれる尾白鷲をきょろきょろと探す。
 朝食会場から望むと、ひと切れの層雲があり東の半島の山の端から旭日が拝めた。わたしは、食後に立った窓辺で珍しく発句する。

    ・朝日出づ 牡蠣いかだは舞台染みて

    ・牡蠣いかだ すなどる漢も 忙しなし

            

            
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ふきのとうを見つけた。

2015年12月21日 05時13分09秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
ふきのとうを見つけた。この間、ベランダのトマトを整理していたら、繁ったトマトに隠れて見えなっかのだが、地べたにちょこんとふきのとうが顔を出しているのが見つかった。 
            

            
 冬来たりなば春遠からじ。なんだか、そんな感じである。早い季節の推移、今年は暖冬の兆しでもあるのか。そういえば、野や町の道端に椿はまだなのに、ちらほらと白梅の開花がみられる。
 不思議な感覚、今度実家へ持ち帰り、家庭で味わうつもり。ふきのとうを軽く湯がき、大根おろしに添えて醤油をかけて楚々と味わう。夫婦ともにあの苦みが似合う年代になったのである。
               
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病院で俳句をつくる。

2015年09月29日 19時41分06秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 わたしは二か月に一遍、高血圧と糖尿病の診療と処方箋をもらいに病院へ行く。ここは平日しかやっていないのだが、毎回、半日は時間がつぶれる。今日も待ち時間が長くて、いつも文庫本を持参するのだが、実は今まで待合室で読んだことはない。格好だけで、どうしょうもなく、毎回ひとりイライラしている。性格的に待つのは若い時から大の苦手である。なんだか、黴菌がうようよしている感じと、不健康者の多い病院という場所も普通の意味で嫌い。
 しかし今回は7時半過ぎに受け付けて、9時前に血液検査を待っている合い間に、句想が浮かび吸い終わった煙草の空き箱にシャーペンで書き付けた。所要40分ぐらいになるか。どういう心境であるか、われながらわからない。
 そんな風にして下段の句を作った。思い浮かんだ順に並べておく。


    ・彼岸を過ぎし
       人の雑踏にも
         生温く

    ・ひとり雲
       花咲く路傍を
         歩きおり

    ・夏の蚊や
       いくつもの落ち葉踏み
         山路かな

    ・コスモス咲き
       地訛り行き交う
         偲ぶ秋

    ・病を得る
       いろいろの世に
         飽きるまでもなし

    ・ゆっくりと
       下半身のみで
         歩む秋日

    ・遊ぶごとに
       塩辛蜻蛉も行く
         稲穂の波

    ・急く脚や
       野薊の花も咲いている
         いつか来た道
 
    ・紫苑ほころび
       よそ見してそぞろに
         秋深し

    ・地言葉に
       抑揚も懐かしき
         こぞ昔

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芭蕉の句碑ーー故郷編

2015年09月28日 04時53分02秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 ここでは松尾芭蕉の句碑を掲げる。わが町内では5句詠まれたそうである。しかし残念なことに、地元ではあまり関心を持たれていないようだ。地域の住民の性格なのか、あまり他へのアピールをしないようなのだ。ごく普通に町おこしのイベントにも役立てられるのにと、思う。
 探し当てた寺では夕暮れに近くて、本堂では追善供養の客が帰り始めた。石碑はある真言宗の寺の境内の手水鉢近くにある。

    ☆ 春もやゝ
        気色とゝのふ
          月と梅

            

            


 ほかには、近在では次の句があり、もう一句を探している。 
    ☆ 蓬莱に
        聞くはや伊勢の
          初便り

    ☆ 風流の
        はしめや奥の
          田植えうた

    ☆ 梅が香に
        のっと日の出る
          山路哉
            処ゝに雉啼
 わが町は俳句や短歌が盛んな田舎である。山峡の町、わたしの学校時代もなんとなく作句活動に耽る自然な雰囲気があった。18才で上京後はすぐにそんな気になれなかったが、わたしも結婚したころから作りはじめ、中年以降から今に至りひとりでに習慣化して手帳に書き留めている。数えたことはないが、今までに都合150句になろうか。
 わたしは実は芭蕉よりも蕪村の句を好むし、評価する。が、わたしの感想だとこの中で、“梅が香に・・・”が好きである。
 「奥の細道」 の道行きで詠まれたのは間違いないだろうが、季節は今の新暦で言えば5月の連休直前の頃だろうか。ルートはどうだろうか。芭蕉はこの後にあの有名な平泉の 中尊寺 に向かったのだろうか。
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夏の花 さるすべり

2015年08月18日 05時54分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 わたしのお盆休みは、日中はTVの高校野球中継に明け暮れた。夜は大東亜戦争のカラー化された記録や「永遠のゼロ(1・2・3話)」を見ている。近年の戦争映画としての印象は、随分とソフィストケートされたものと思う。何なんだと思っていたら、敗戦70年だそうである。御巣鷹山日航機事故も30年になるそうだ。マスコミも喧しい。
 外出は、地元の商工会議所が販売するプレミアム商品券を買いに家内と行列に並んだ。かなり、率は良くて10,000円で 13,000円の商品券と引き換えになる。6セット購入する。ほかに、最終日にはウオシュレットの買い替えと取り付けをおこなった。作業は少々手間取った。
 おっと、家系図・年忌表作りの再作成も手掛け始めている。見やすいように大きめのエクセルでA3版にする。今まで集めてきた資料を読むと感慨にふけり始めて、なかなか前へ進まないのだが。
 朝早くの庭作業では、少し、枇杷の木に這わせた庭のノウゼンカズラの切り詰め、それに前の道路沿いのL型側溝際の伸びすぎた草花のカット、庭の掃除と水やりだ。また、田舎の実家に 食用ギボウシ(品種名:天竜) 7ポットを株分けしヤマト宅急便で送った。草丈が大きいと50cm近くにもなり、箱詰め作業に難儀した。これで、中学の同級生へと2回目になるが、早く増殖させて商用作物の栽培レベルまでになればいい。
 家族によるといつもの柿の実の落下がおびただしい、とのことだ。前の路上に落ちる。本来、着蕾期や開花時に摘み取るものだが・・・。柿の木自体が、多分、高温が続く日々に光合成や蒸散作用が追いつかないせいだろう。ただ気になるのは、実自体が近年になく小ぶりなのだ。この後、肥大するかどうか。

 ここではわが家のさるすべりをアップする。まさか黄色はないはずだが、花の色も暗赤色や藤色や赤紫色や紫色ぽっいものやいろいろある、しかしわたしにとってこの色が最高だ。
             
            
             
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墓参りの途次に

2015年08月09日 07時43分59秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 暑い盛りの故郷に墓参り、

  ・さらう風 わが身も軽し 稲穂垂れて

  ・わが祖の地に 碧と遠い白雲や 泥香る

  ・山あいを しのびてたどる 墓碑かな
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船村徹さんのこと

2015年07月31日 05時27分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
歌謡曲の船村徹さんのこと。先日テレビで作曲家 船村徹 の特集の歌謡番組をやっていた。どうやら最近、栃木県日光市に記念館ができたらしい。物好きは承知の上だが、今度、盆休みに帰る際に寄ろうか、と思案している。
 未だご存命の様子で、テレビに出ていたが、好々爺然としていて独特の風貌で、ほほえましい。
 なぜ、船村徹さんにこだわるかと言えば、世の中の世情を反映した曲が多いから、と思うのだ。田舎の田野で、遠くラジオから流れる三橋美智也や春日八郎の曲は、当時30歳前後の作であったらしい。作詞は星野哲郎とのコンビが多かった。よく、家族とともに農作業を手伝っている時に聞いたものである。フォークソングが流行る前の頃、わたしにとっては郷愁に満ちている。
 以下、間違いかも知れないが、曲名を挙げてみる。「リンゴ村から」、「哀愁列車」、「達者でナ」、「別れの一本杉」、「赤いランプの終列車」、それから・・・。 あっ、美空ひばりの福島県塩屋岬を舞台にした 「みだれ髪」もあったか。
 カラオケ好きのわたしはなんどか、チャレンジするのだが、意外に難しい。メロディの運び方が微妙過ぎて合わせにくい、わたしにとって、歌ったと思うのはせいぜいこのうち一曲ぐらいだ。どうしても聞きたいときは、奇矯なことだが、上手そうな人にリクエストする程である。
                 
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谷崎の 細雪読みて 宵の入り

2015年04月06日 06時16分45秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 朝から雨降りの日、ベッドで谷崎潤一郎の「細雪」を読み耽り、気づけば夕方の7時前のこと。わたしは急ぎスーパーで買い物を終え、その駐車場の前のベンチで煙草を吸っていたら出てきたのが下の句。何気ない日々、気仙沼に来て初めての発句である。
 赴任してきて二か月半、この間の被災地巡り、南三陸地域の海岸地帯の文化、気候や植生、生きてきて稀な機会とも言える故郷再訪による自己再確認の契機の日々も一段落した。この作句という創作意欲は、今までの密かなわたしの感懐では、当地に来てやっと落ち着いてきたことの心境の表れである。

 ・谷崎の 細雪読みて 宵の入り

 ・春雨腐し 疾走音残し 車飛沫

 ・花待ちの雨降りに虚空見つつ 煙草を吸う
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山形新幹線で帰任途中に作句

2014年12月08日 06時04分32秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 夕刻、何気なく、山形新幹線で帰任途中に車外を見ていて句想が浮かんだ。時候は初冬の光景が続いている。北国では曇天に時雨のように粉雪が舞い降りるシーズンだ。

 ・出でし月 山河を抜けるつばさは伴走せり

 ・窓辺に北へ向かうわれにも 円き月

 ・身すぼらしく 擦り切れしわれにも時移る

 ・年の瀬や 思案を放擲するが如く進むらむ

 ・牡丹雪をかぶりつつ小躍りする 人なき道
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二十四節季では小雪を迎えるが。

2014年11月18日 05時51分15秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 ・こころ乏し 遠き山陵に 秋時雨

 
 ・安達太良も白く染まりて 目の醒める

 ・月天心 星屑つどいて いずこにありや
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朝日新聞の陳謝記事

2014年09月25日 04時55分53秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
秋天、好気配の頃合、十六夜も過ぎたか。休日には、わたしは最近は読書に耽っている。 
 このごろは大東亜戦争(太平洋戦争)ものが多くて、この間は月刊の「文藝春秋」の特集号を舐めるように読む。若年からの苦い経験から朝日新聞嫌いのわたしですが、そのなかで,先日の慰安婦強制連行の吉田さんの詐話や第一原発の故吉田所長の報告書についての陳謝記事には笑ってしまう。
 朝日新聞というところは新聞社としての職業倫理や勤め人根性の悪いところだらけ、である。人間の喜怒哀楽を理知的にとらえて文章化するには物事の本質を知らなさ過ぎるように思う。修練が足りない。
 ちなみに、わたしは30年もつづく讀賣新聞の愛読者である。途中に東京新聞も取ったことがあったが、今は讀賣新聞ひと筋である。とは言っても、わたしは系列の野球は巨人軍が嫌い、あの渡辺オーナーも嫌いである。要はそんなに新聞をかっていない。新聞社は社会の木鐸などと標榜し啓蒙や啓発記事を掲載するが、(わたしは知らなければ教えようという上からの目線が大嫌いだ!)彼ら自身にはたかだか体面を繕うゆえの仮面にほかならない。

  (この文章は書き継げばいいのだが・・・・・・)

             
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初秋を詠む

2014年09月17日 08時07分55秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 わたしの日常に、やっと、俳句がうかんできた。きっかけは、朝の散歩の途次である。つぎにその三句を並べてみる。

 ・朝日出でし 安達太良の峰に 群れ雀かな

 ・低き雲 フォークのごときアンテナ わが麓にあり

 ・暁闇に 何々と問いつつ 齢(ヨワイ)重ねん
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薫風の季節に、二句

2014年05月21日 10時56分10秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 昨日のこと、都内での用事の帰りは4回目の乗り換えで、夕刻に近い頃合いである。やや混んでいて電車内で立ちながら外を見ていた。成田線で物井を過ぎていくぼうっとした瞬間に作句のこころが湧きだした。わたしにとって、ここ数ヶ月ぶりのことである。
 ・薄着して 窓外の早苗田に 夏薫る

 千葉県内では電車のトンネルは珍しいのだが、このJR成田線には成田と酒々井と、物井から佐倉の駅間に短いトンネルがある。あっという間の距離だ。
 ・無音のひと 点轍と疾走音に 家路をたどる
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