先月、ある書店で小津安二郎全集¥1,980.を購入する。その店頭には格安DVDが並べてあったのだ。安価なのは、多分、製作年代が古くて著作権期限切れのせいであろう。
内容は9作品、「東京物語」「麦秋」「晩春」「父ありき」「風の中の牝鶏」「一人息子」「戸田家の兄妹」「茶漬けの味」「長屋紳士録」である。
それから合い間をみてパソコンに挿入し、見てきた。これは昭和の戦争前から戦後にかけてのもの、すべてが白黒で、晩年の「秋刀魚の味」はカラー(総天然色映画と言ったものである・・・)であるらしい。
小津安二郎の映画について、この世界にはマニアックなファンがいるらしくて、ここでは、わたしの感想は精密さを欠くがおおまかな印象を記したい。題材は日常の暮らしそのものが多くて、キャストも笠智衆などの常連の俳優で出ていて、ただただ繰り返しで演出が進み、ある意味ではそこのストーリーの単調さに意味を付与している感がする。カメラ視点の定点撮影、耳障りな生活音や効果音、台詞はリフレインにオウムがえし、などなど。都会派の映画の職人の人工的な作品で、見た後、ある意味ではむなしい。モチーフはたどらない方がいい。わたし自身にとっては、オープンロケや野外ロケに使われた戦後の家庭環境と復興前後の社会状況や風潮や風俗、国鉄の鎌倉や北鎌倉駅の構内に懐かしさをおぼえる。だがしかし、これは純然たる映画であり、動きの多い世相をそそまま反映した娯楽映画よりは、後世に残る気がする。
小津安二郎の人相は、面長で口ひげをはやしていて、自信を持ち執着質で身も大柄で偉丈夫のようだ。街なかでよく見受けるキャラクター、個性的な風貌とは言えるが、どうやら社会的にハイブロウであるこの題材で描かれた‘日常’は生涯家庭を持たなかった小津にとって、一種の理想像に見える。映画作品は芸術的というよりも職人の工芸品のようだ。そんなにもこだわっていて、50年以上経過した現代においても何らかの意味がつづいているのだろうか。
わたしにとって、なるほど、若い時には敬遠していた映画であったと思い返すのだ。
内容は9作品、「東京物語」「麦秋」「晩春」「父ありき」「風の中の牝鶏」「一人息子」「戸田家の兄妹」「茶漬けの味」「長屋紳士録」である。
それから合い間をみてパソコンに挿入し、見てきた。これは昭和の戦争前から戦後にかけてのもの、すべてが白黒で、晩年の「秋刀魚の味」はカラー(総天然色映画と言ったものである・・・)であるらしい。
小津安二郎の映画について、この世界にはマニアックなファンがいるらしくて、ここでは、わたしの感想は精密さを欠くがおおまかな印象を記したい。題材は日常の暮らしそのものが多くて、キャストも笠智衆などの常連の俳優で出ていて、ただただ繰り返しで演出が進み、ある意味ではそこのストーリーの単調さに意味を付与している感がする。カメラ視点の定点撮影、耳障りな生活音や効果音、台詞はリフレインにオウムがえし、などなど。都会派の映画の職人の人工的な作品で、見た後、ある意味ではむなしい。モチーフはたどらない方がいい。わたし自身にとっては、オープンロケや野外ロケに使われた戦後の家庭環境と復興前後の社会状況や風潮や風俗、国鉄の鎌倉や北鎌倉駅の構内に懐かしさをおぼえる。だがしかし、これは純然たる映画であり、動きの多い世相をそそまま反映した娯楽映画よりは、後世に残る気がする。
小津安二郎の人相は、面長で口ひげをはやしていて、自信を持ち執着質で身も大柄で偉丈夫のようだ。街なかでよく見受けるキャラクター、個性的な風貌とは言えるが、どうやら社会的にハイブロウであるこの題材で描かれた‘日常’は生涯家庭を持たなかった小津にとって、一種の理想像に見える。映画作品は芸術的というよりも職人の工芸品のようだ。そんなにもこだわっていて、50年以上経過した現代においても何らかの意味がつづいているのだろうか。
わたしにとって、なるほど、若い時には敬遠していた映画であったと思い返すのだ。