うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

小津安二郎の人相

2013年11月05日 05時38分13秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
先月、ある書店で小津安二郎全集¥1,980.を購入する。その店頭には格安DVDが並べてあったのだ。安価なのは、多分、製作年代が古くて著作権期限切れのせいであろう。
 内容は9作品、「東京物語」「麦秋」「晩春」「父ありき」「風の中の牝鶏」「一人息子」「戸田家の兄妹」「茶漬けの味」「長屋紳士録」である。
 それから合い間をみてパソコンに挿入し、見てきた。これは昭和の戦争前から戦後にかけてのもの、すべてが白黒で、晩年の「秋刀魚の味」はカラー(総天然色映画と言ったものである・・・)であるらしい。
 小津安二郎の映画について、この世界にはマニアックなファンがいるらしくて、ここでは、わたしの感想は精密さを欠くがおおまかな印象を記したい。題材は日常の暮らしそのものが多くて、キャストも笠智衆などの常連の俳優で出ていて、ただただ繰り返しで演出が進み、ある意味ではそこのストーリーの単調さに意味を付与している感がする。カメラ視点の定点撮影、耳障りな生活音や効果音、台詞はリフレインにオウムがえし、などなど。都会派の映画の職人の人工的な作品で、見た後、ある意味ではむなしい。モチーフはたどらない方がいい。わたし自身にとっては、オープンロケや野外ロケに使われた戦後の家庭環境と復興前後の社会状況や風潮や風俗、国鉄の鎌倉や北鎌倉駅の構内に懐かしさをおぼえる。だがしかし、これは純然たる映画であり、動きの多い世相をそそまま反映した娯楽映画よりは、後世に残る気がする。
 
 小津安二郎の人相は、面長で口ひげをはやしていて、自信を持ち執着質で身も大柄で偉丈夫のようだ。街なかでよく見受けるキャラクター、個性的な風貌とは言えるが、どうやら社会的にハイブロウであるこの題材で描かれた‘日常’は生涯家庭を持たなかった小津にとって、一種の理想像に見える。映画作品は芸術的というよりも職人の工芸品のようだ。そんなにもこだわっていて、50年以上経過した現代においても何らかの意味がつづいているのだろうか。
 わたしにとって、なるほど、若い時には敬遠していた映画であったと思い返すのだ。
          
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 映画・“旅愁” のなかの「セプテンバーソング」

2013年10月14日 18時32分59秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
わたしは長時間通勤者だ。4回も乗り換えるのだ。そこで時間つぶしにいつも困っている。そのせいで、途中のJR成田駅の改札口を出て、薄暗くて狭い駅前でひっそり喫煙したりする。また、以前から馴染みだったチェーン店のマロンドのパン屋さんに寄ったり、おいしい中華そば(昔風の支那ソバのこと、¥450.である)を食べたり、門前町である成田の観光土産店をひやかしたりする。これでは、もともと金遣いの荒いわたしのこと、困ってしまう。
 それはさておき、駅前のロータリーには、書店がありその店頭には格安DVDが並べてある。そこで、この間、小津安二郎全集¥1,980.と‘旅愁’の¥500.のDVDを買った。
 20代の頃の若いわたしは、東北、山峡の高校を卒業して上京以来、文化的なもの(?)に飢餓感をおぼえていた。そして、実生活をうっちゃりそんな心を埋めるために渉猟して鑑賞し始める!そして、それは文学の世界や絵画やクラシック音楽に始まる。映画は、ビデオ全盛のころにラブロマンス映画を見ることにしゃかりきになったことがある。同時に西部劇もそうであったが、とどのつまりはヒッチコック映画にはまってしまう。

 わたしは、そんなことで、色々な意味で物知りにまたは純粋な意味で教養深くなったかもしれぬが、その後のわたしの人生がスムーズだったとはとても言い切れない。

 下段の説明はWEB上でひろったもの、貼り付けてみたのでご参考までにどうぞ。ちなみに、歌詞は字幕以外にはいい日本語訳が見当たらない。映画から面倒をいとわず採録してみた。ほかにあればどなたか、ご教授願いたいものと思う。

「セプテンバー・ソング」は、ジョーン・フォンテーンとジョセフ・コットン主演、ウィリアム・ディターレ監督の映画『旅愁(September Affair)1952』のテーマ曲として有名です。映画はイタリアを舞台にしたAffair(不倫の恋)、恋愛劇で、これも九月の人恋しさを感じされる物語でした。この映画はアカデミー主演女優賞を獲ったジョーン・フォンテーンの成熟した演技が印象的でした。
 もともと、「セプテンバー・ソング(September Song)」は:クルト・ワイル(Kurt Weill)作曲、マックスウェル・アンダーソン(Maxwell Anderson)作詞のブロードウェイ・ミュージカル『ニッカボッカ・ホリディ(Knickerbocker Holiday)』の挿入歌。ウォルター・ヒューストン(Walter Huston)はカナダ生まれの俳優で歌手ではありません。そのため声域も広くない彼のために書かれたのが「セプテンバー・ソング」(September Song)なのですが、かえってこれが誰でもが口ずさめる親しみやすいメロディをこの歌に与えました。また、歌詞の内容も良く、「九月の歌」ではありますが、日が短くなるこの時期を愛の感情に重ねて秀逸です。明るい夏が終る九月という月の持つ季節の変わり目に対して、人が無意識に感じる感傷を表現しています。あるいは人生の秋、無駄にする時間は無くなり、残り少ない時間をあなたと共に過したいという意味も感じられます。この含みが歌詞に豊かな余韻を与えています。
「セプテンバー・ソング」はブロードウェイ・ミュージカルの発表当時から人々に親しまれており、スタンダードな歌となっていました。それを再びヒットさせたのがフランク・シナトラのバージョンです。この歌唱が今でもこの歌の変らぬスタンダードともなっています。曲と歌詞がシンプルで美しいため、これ以上のアレンジは難しい歌でもあります。一例を挙げれば、ルー・リードのカバー・バージョンもスタンダードに対するひとつの挑戦であるものの、原曲、シナトラを超えるものではありませんでした。

 “September Song”
When I was a young man courting the girls
I played me a waiting game
If a maid refused me with tossing curls
I’d let the old Earth make a couple of whirls
While I plied her with tears in lieu of pearls
And as time came around she came my way
As time came around, she came

[When you meet with the young girls early in the Spring
You court them in song and rhyme
They answer with words and a clover ring
But if you could examine the goods they bring
They have little to offer but the songs they sing
And the plentiful waste of time of day
A plentiful waste of time]

Oh, it’s a long, long while from May to December
But the days grow short when you reach September
When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn’t got time for the waiting game

Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November
And these few precious days I’ll spend with you
These precious days I’ll spend with you


・映画挿入歌・ Song:Walter Huston
女を口説いていた若い頃は
 待つのも楽しみだった
 そっぽを向かれフラれても
 時を過ぎるに任せていた
 真珠の代わりに涙を捧げていた
 時がたち想いはかなった
 時がたち彼女は僕のものに

5月から12月までは長い月日だけれど
 9月になると日々は短くなる
 秋の気配が木の葉を赤く燃え立たせる頃
 もう待つことを楽しむ時間はない
 残りの日々は少なく貴重なものになってゆく

[9月から11月へと
 この大切な日々を君と共に過ごそう
 大切な日々を君と共に
 月日が流れワインは熟成してゆく]

9月から11月へと
 この実り多き歳月を君と分かち合おう
 実り多き歳月を君と共に

          
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同級会画像の返礼のお話

2013年10月07日 05時49分10秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 今からたどること、3か月前に、6/21、都内の上野のホテルでわが中学校の同級会が催された。参加者は116名のうち44名を数えている。田舎からは大挙してバスで上京した。翌日は浅草や東京スカイツリー見物が含まれていたらしい。その顔ぶれには、リタイアしたものが多かった。
 その頃のわたしは今以上に忙しくて、バタバタしていて、その後にある人からその模様の写真が郵便で送られてきた。そこで、わたしもそれではと思い、ほぼ一カ月後にわたしの撮った宴会風景のデジカメ画像をA4の普通紙に大判のカラープリントしたものを参加者全員に勝手におくり始めた。郷里の連中には大型封筒で送りつけた。その際についでにこのブログ名を明記して、わたし自身の日頃の暮らしや感想の日記サイトを紹介した。画像の出来は、幸いにも普通の写真に劣らず鮮明に仕上がっていた。
 それからは、予期せずにいたお礼の返信の連絡が入り始めた。遠く宮崎と熊本からは直接に遠距離電話をいただき恐縮した。都内外や岩手県から思い出したようにぽつぽつと、また残暑見舞いをかねたものなどの葉書と、9月下旬には手間代替わりの切手を封入した鄭重な手紙も舞い込む。その数は、10数件にのぼる。
 わたしも実感として分かるが、60代を過ぎると、出身地で今も生活を営む人たちよりも他郷に住み着いた人たちには、否が応でも友を懐かしみ望郷心が募るものであるらしい。それにこの年代は、みずからの余命というか寿命ということを身近に感じ始める。

 ここでのコメント等、何かありましたらかまわずにご連絡をいただきたい。
 またいつか会えれば、とは本当に思うが、ここではかつては同級生であった皆さんに以上の裏話をお知らせをする。
            
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秋が来たりて、夏は往く

2013年08月27日 04時58分40秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 暑熱の煩雑な些事の日々、それに右往左往する不定形な心情にも拘わらずに季節も時候も変わる。そして、やがて、秋が到来すると世は鮮やかな色彩の風景と豊饒な恵みが齎れるらしい。

 
 ・気もうつろ かいなに風さわり 夕焼け雲

 ・汗ねっとり 夕照見呆けて 虫音やむ

 ・赤とんぼ 蝗もこぞりて 早稲の秋

 ・役目終え 碁盤目に映えし刈田かな

 ・とどろきて 雨を待つ身に 秋近し

 ・夏は去る 遠雷ひびいてかの天地

 ・気怠き身に 鳳仙花咲く野辺の路
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立秋を前にして・・・

2013年08月04日 05時37分35秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 立秋を前にして詠む。

  ・電車にも ざわめく闇より鈴虫鳴き

  ・見比べて手の皺隠し 夏電車

  
  ・いずこより来るか吾に似たりし 鬼やんま

  ・漆椀の茗荷汁へ 秋来たる

  ・鈍き足 かなかなのすだく黒山へ
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梅雨の近況報告、七句

2013年06月08日 18時47分13秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 長距離電車通勤になってというか長時間通勤になってから、ほぼ一週間。
 帰宅途中の夕刻、7時10分から25分の間に、さっささぁーと詠んでみた。田舎景色の続く車外は薄暮に変わっている。
 回想、季節描写、近況を籠めた実感(哀感)、妄想、を形式ばらずに作る。

 
 ・せせらぎに まばゆき雉子がいる 夏木立

 ・蘆原を 葦切わめき 露の朝

 
 ・水音に 青鷺は身じろぎもせず

 ・泥の香や 蒼き早苗田へ 水を引く

 ・かいな(腕)にも 蚊も虫も羽音立て 夏は来ぬ

 ・乗り終えて 身をもだえさせ 爪先立つ 

 ・物憂くも あるようでなき うたたねなり
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わたしは忙しい。

2013年05月31日 05時55分11秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
この頃のわたしは忙しい。平日よりも土日曜日がことに忙しい。だから、不満や雑感のはけ口をもとめてここに書き連ねる。
 まずは、今年はなぜこんなに梅雨入りが早いのか。5/29の午前に気象庁は発表した、 例年は6/10前後のはずだが、どうしたものか、今年は長梅雨の予報が出ている。わたし自身は、今春の天候は少し異常気象気味と判断している。
 5月の連休はギボウシの収集や株分けの作業に、その後のデータ整理のエクセルがいまだに遅れている。それに、わたしの業務について、突然決まった来月からの茨城への異動話、先日はほぼ一日、利根川を越えて県内の取手からつくば市内へ挨拶回り。これからの電車での乗り換えは4回になり、通勤時間は片道2時間半以上かかる見込みだ。今は引っ越し騒ぎの真っ最中だ。
 東北大震災復興に向けての宮城県や岩手県の都内での一般土木の応募説明会に参加。実際は今秋以降の話だが、採用試験がすぐおこなわれる。
 いつも申し込みだけで終わっている林野庁のある試験の申し込みと、7月の試験に受験勉強もある。 
 そんなわけで出費はかさむ。ギボウシの搬入費用、行ったり来たりの交通費、取り寄せ本代・DVD、通販の支払いや、受験料や同窓会代などを工面しなければならぬ。
 わたしはあれこれ能書きや理屈を言う前に試行するのが、長い間の行動指針(?)ではあるが、この頃は、少々、慌しすぎる。暇を持て余している老人とはわけが違う! それは年をとっても変わらない、ハイ。

 しこうして、なんだか、多忙なのは頭の中と、(気持と)、財布の中身だけのような気がする。
 今後、はたしてどうなることやら。
          
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寅さんの短歌です。

2013年05月19日 05時28分12秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
ある出版社のDVDマガジン「男はつらいよ」シリーズが昨年の秋に終わった。それを後で知った。そこでわたしは、最近、遅ればせながら、支払える金額の巻数を、その都度行きつけの書店に取り寄せて見ている。現在は、全50巻のうち30巻を収集中である。
 この間のは、シリーズ第20作「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」である。1977年12月公開、おもな舞台は長崎県の平戸島、初々しい中村雅俊と大竹しのぶが出て、藤村志保がマドンナ役で出演している。その巻末に、車寅次郎こと渥美清、俳号‘風天’のうたが載っている。
 あまり講釈はしたくないが、漂流者の心境を文脈をひねらずに素直に表現している。この若葉の時候に、あたかも、一人ごこちのたたみかける口吻が聞こえるようだ。一首だけだが、採録してみた。

  豆まきもたねまきも家に居ずおそまきに泣く不孝者
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春も酣、駄句三句

2013年04月14日 04時16分54秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
春も酣、駄句三句

  ・うす曇り 嫰葉のなみへ鉾をさだめ

  ・花落ちて はやての過ぎる 春の宵 

  ・つれづれに 若葉を拾う歩みかな 

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春先の端境期の一句をまとめる

2013年03月31日 17時01分23秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 木の芽どき、雑駁な端境期の句をものにする。

  ・いつも夢見て春来たる 踊り子草かな

  ・陽を浴びる 膝がしらと脛に 遠眼鏡 

  ・瑠璃色に おお犬のふぐりははびこりつ

  ・つくし生え 素っ気も衒気もなく 砂嵐

  ・吉野も早々と咲きつつ 夢遠し

   ・朝ぼらけ 遠望すれば 山笑いつ

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どうやら、風邪を引きまして・・・

2013年02月17日 06時35分43秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
暦の上で、2月18日は「雨水」だ。今年も、そろそろ『春一番』が吹いてもよさそうだ。
 なんだか、2月はこのブログの更新回数が少なくなりそう。わたしの誕生月であるが、時候的にネタ不足でもある。
 このあいだは、わたしも1/31に風邪を引き、やっと先週に完治したようだ。その日は午後に早退し生姜ジャムとにんにくの摺りおろしを熱いお湯で飲み、 パブロン の風邪薬を飲んだ。それに、このごろ愛用の弟の遺品である湯たんぽを抱えてベッドで安静にしていた。食欲もわかなくて、ほぼ一日絶食だ。まさに、鬼の攪乱だ。わたしの近辺では家内が風邪になり、子供がインフルエンザにかかり強制的に、数日間、自宅待機になり仕事が休みとなる。勤務先の事務所ではインフルエンザで休みが続出、A型、香港A型などで5,6人は罹患した模様だ。
 わたしの場合は高熱はすぐ下がったが、その後も痰や咳がつづく。わたしの治りかけのパターンである痰も少なくなり、 龍角散 もこの間止めたばかりである。わたしはわたし自身の平熱も知らないほどで、周りを見回し、これはと思い内心辟易としてしまう。体のことに、無頓着極まりないのだ。
 わたしにしてみれば風邪ごときは、今まで毎回、冷酒に生姜とにんにくの摺りおろしを呑めば一晩で治るはずだったのだが、今年はしつこいのだ。結婚して子供が出来て以来、風邪は家庭に持ち込まない方針を貫いてきたのだ。なんだか、威張っている文面になりそうだが、事実、そうであった。
 昨年夏の猛暑と今年の天候の予想では、上の子供の花粉症がひどくなりそうである。実を言えば、世間で大騒ぎする花粉症もわたしは小馬鹿にしている。こんな症状は、ガンもそうだが人工的な処置に頼る 「健康病」 のいきつく先だ。一病息災はきわめて分かりやすい真実だ。同じように近代予防医学を学んだ医師の能書きは、ある意味、人の弱みに付け込み職業上間抜けに聞こえる。なんでもかんでも身の廻りを清潔にし病原菌から無縁であれば健康になるなどと、そんなことは単なる思いすごしだ、人間、長命がいいことだと誰が決められるのか。森羅万象、生きとし生けるものの中で、人間の存在自体がそもそも病いの発生源であり病巣ではないでしょうか。わたしはれっきとした農家の小せがれ、言葉にすれば乱暴だが、生来の自然児、野性育ちだ。
 わたしも先日63歳になったばかり、健康保持のための散歩もマラソンもしない、かといって肉体は万全の筈がない。老化の兆候は老眼眼鏡と耳鳴りのみ、白髪混じりながら禿げてもいないし(髪を染めてもいないし)入れ歯もなし、サプリメントとはなんぞや、降圧剤などの呑み薬の常用を忌避し定期的に糖尿病治療に通院しているわけでもない。それに若い時からのヘビースモーカーだ。晩酌は、5,6年前まで毎日二合以上飲んでいたが、今は週に2回ほどだ。わたしには御馳走といわれるうなぎやカニ、伊勢海老や肉や魚も特に好きではないし、美食の年齢でもなし、野菜サラダが好きである。だんだんと粗食の生活に帰ってきているようだ。田舎回帰か。
 しかしどうやら、これは、やはり威張っている語感の文面になりそうかもしれない。
             
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寒中七句

2013年01月25日 05時23分55秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 夕刻、業務的には中途半端なままで、帰途につく。通勤電車の車中、小一時間ばかりの間に七句を獲た。自作自解すれば、春を待つ、望郷、親への思慕ということか。どういう心境の移り変わりであろうか。実は、昨年の春の真っ盛りの時以来である、半年以上は時系が経過した。なんということもなく、とりとめもない中で普段のわたしに還ってきたという気分もするこのごろである。浮かんだ句を、手元の支払った通販の小紙片になぐり書きした。

 ・春風を この先この先へと急かれ行く

 ・ガラス越し 四十雀連れ来て舞い上がる

 ・おぼろ陽の 親の後すがたについてゆきたし

 ・春の日の 覚えぬ疲れ うずたかく

 ・六十路半ば 入り日薄らぐ西の彼方かな

 ・春の雑踏 頭も身にも 肌うるむ

 ・小正月 塵を掃き清まん くに遠し
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午前9時34分の「部屋とYシャツと私」

2013年01月13日 07時10分05秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

  午前9時34分、車内でラジオの歌謡曲を聴きながらおかしくなった。「部屋とYシャツと私」 というので、平松愛理さんが歌っていた。若い20代の女の子の彼氏に思いを寄せて、ひたむきに話すように歌う。この曲は広い音域も転調もなしにシンプルなメロディと歌詞である。素直で純朴な声質で、ひとりで彼につぶやくように、なんども繰り返しラブレターを読み上げるように歌う。
 今は、暦の上では、小寒を過ぎ大寒の狭ざ間だ。冬空は重くて雪でも降るように曇っている。わたしは休日出勤で、現場を回りながらマイカーで運転中である。突然、両の目から涙がこぼれてくる。
 こんなことはいつのことだったか。数年前に成田の植木圃場へ行った帰り道に車中で尺八一本で歌う、民謡 「南部牛追い唄」 を聴いて以来だ。古里を感じさせて、野太くて高音の曲調だ。
 先週はおかしい。7日の新年会と二次会のカラオケまではいい。時節柄賑やかしの頃だ、所内は挨拶回りや安全祈願やら直らいと、またカラオケへと集まりは流れた。そして、数日間業務は多忙だったので収拾がうまくいかない。いや、仕事の仕方が煩雑であった。若い時期ならいざ知らず、仕事はやりこなす能力半分、人間関係半分とかまえてきた。今は、組織の問題もあるが自己責任の仕事だ。頭の切り替えは、生来、下手であったが近頃ますますひどいように感じる。わたしにとって仕事のコツは、とことん積み上げるだけだと観念している。若い時から今に至るも、調子の良さと要領の良さは嫌いだ。
 当然なことに、ここしばらくは帰宅しても無口になった。家内も無口である。寒々しいのは分かっている。わたしもいいおやじだ、その辺のこらえ方は分かっている。
 平松愛理さんの 「部屋とYシャツと私」 には表も裏もない。
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梶光夫の 『こころの瞳』

2013年01月03日 19時02分11秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 正月休みにカラオケ的にYou Tubeで歌謡曲をあさる。時間つぶしもそうであるが、現代の世はきわめて便利になったものである。パソコンで古い資料や曲が安直に入手できる。
 ここで、梶光夫の 『こころの瞳』 のネタをWebで拾ったので取り上げる。これは梶光夫の歌謡曲 「青春の城下町」 が出たころ、47年前のころのものだ。
 この曲は、わたしが中学3年の春先に地元の中学校の体育館に当時の流行歌手の梶光夫が来てうたった。わたしひとり、その時にクラスで教壇で皆の前で『こころの瞳』(大和書房)を読み上げ歌ったのだ。このとき、なんだか励まされていたのか冷やかされた気分の思い出がある。寒村の農家で生まれ育ち、わたしだけが近所の子供たちや同級生や6人兄弟のなかでの異なった環境、ここ数年来、肋膜炎と虫垂炎で二度も入院しどうしてわたしのみがと暗鬱な気持の日々が続いた。その頃だったか東京オリンピックが開催されていた。3度目の肥厚性鼻炎で入院、その後そのせいか難聴気味の後遺症めいて予後も良くなく通院中であった。しかも、前年の10月5日にわが家の母屋が火事になりすっかりうらぶれていたころで高校進学を目前にしていた。曲調とテーマは清らかで将来に希望を持っていたらいいというもの。妙なことだが、これがどうやら、自分で自分を引き立てて行こうという、わたしの自我の目覚めかなと思う。この後に、母が肝臓がんの病気で入院を繰り返し52歳で亡くなってしまう。
 この曲の曰くについて下の文章を参考にしてください。

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 子供たちの声をとりいれた作品をもうひとつ紹介します。梶光夫の「こころの瞳」。こちらで聴きながらお読みください。(MrRokky001さんに感謝しつつ無断リンクします。)http://www.youtube.com/watch?v=Tfr47iAXkr4 

梶光夫「こころの瞳」
  昭和41年6月発売
  作詞:岩谷時子 作曲・編曲:いずみたく
 一 こころの瞳は 美しく
   青空を大きく うつしてゆこう
   今日も雪が降る 暗い山道も
   登るむこうに 陽はかがやく
   こころの瞳は うつくしく
   昨日の悲しみは 忘れてゆこう
 二 こころの瞳は 美しく
   砂のなかにねむる 夢をさがそう
   淋しいときは 波にみがかれた
   貝がらたちの歌 聞こうよ
   こころの瞳は 美しく
   海鳴りのかなたに 明日を祈ろう
 三 こころの瞳は 美しく
   幸せうすき日も ほゝえみあおう
   風もとどかない 都会の屋根にも
   いつかやさしい 月がのぼる
   こころの瞳は 美しく
   小さな喜びも みんなで歌おう

 「涙の谷間に太陽を」よりもこちらの方が4カ月早く発売されています。この2か月前にテレビドラマ「記念樹」が始まっていました。この曲に参加しているのも音羽ゆりかご会の少年たちだろうと思います。音羽ゆりかご会の創設者・海沼實が昭和22年にコロムビア・レコードと専属契約を結び、童謡やアニメ主題歌の収録ではコロムビアゆりかご会と名乗っていたからです。
 (音羽ゆりかご会からは、戦中・戦後の童謡スターだった川田正子・孝子姉妹を輩出しました。作曲家・海沼實には、「お猿のかごや」「あの子はたあれ」「ちんからとうげ」「里の秋」「みかんの花咲く丘」などの名曲があります。ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」も海沼の曲です。)
 「涙の谷間に太陽を」と同じく、「こころの瞳」にも、「―『こころの瞳』(大和書房)より―」という注記があります。この書物についても内容がわかりません。amazonには『こころの瞳―自然の子の記録 岩手放送株式会社(編集)』として数冊出品されています。関心のある方はどうぞ。

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衆議院議員選挙の後に冬至を迎えた・・・・・。

2012年12月22日 07時12分46秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
昨日は冬至、現場の近くの民家では子供たちを集めてクリスマスパーティをしていた。この日本で11月のかぼちゃを使った感謝祭に、クリスマスと、何を好んで他国の行事をするのかと思うが、今さら言ってもしょうがない。世間では家庭では、子は、親が受けた慣習(教育ではない)を引き継ぐだけだ。まるで、親子相伝の如し。
 
 16日の衆議院選挙ではなにもしなくても自民党の圧勝、民主党は1/4に減らした。選挙の勝敗がそのたびに、なんだかこれからもオセロゲームが続く気がする。やはり、民主党は政治責任の無自覚集団であった。どんな職業であれ学校や政治塾で学べば、プロというわけではない。メソッド(方法論)は講義や教室で集団で議論したりノートにて反復練習で身につくわけではない。他人のせいにするばかりではなく必要な孤独の中で、個人の苦いマイナスと思われる経験にしか得る道がないのだ。政治も生存競争が激しい。
 それにしても、野田首相の解散宣言で言った衆議院議員をクビにするのはしのびない、と言ったことには暗然としたものだ。職業倫理として志を持つ政治家が言うべきことではない。勤め人のつもりでいるのだな。当然のことだが、現実感覚もそのようでしゃべる言葉には想像力が感じられない。
 何を言っているかわからない鳩山由紀夫、引き継いだ菅直人の参議院選挙の惨敗への政治的無責任と言い逃れの天才性、野田首相はいくらかましではあったが組織に対しての見識や指導性のなさにとうとうついえた。しこうして、負の戦略にかまけることになる。演説だけうまくてもウソをついたらおしまいだ。このように民主党は 『社会性のなさ』 が露呈した。あとはそんなに期待は持てないが、今後、どうこの結果を検証するかだ。

 前回は恥ずべきことに民主党に入れたが、わたしは、今回、比例区・地方区ともに未来の党に入れた。そして落選した。今回は全国的にも低かったようだが、わが市は県内最低の50%の投票率だった。おっとっと、わが家も50%の投票率だった。
           
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