わたしは戦争物はよく読むほうだ。いま津本陽の「名をこそ惜しめ 硫黄島 魂
の記録」を読んでいる。どうもこの著者の文章と言うか、表現力はもうひとつ喰
い足りない。地の文にはハリがなく、むしろ著者が引用した実際に戦役に加わった
方々の挿話に引き込まれる。これではあまり、マスコミの書評に取り上げられなか
った訳だ。題材が重過ぎるのか。
実は二、三年前からの大部「戦艦武蔵」はまだ読了していない。わたしが好む本
は東京大空襲、沖縄は別としてもノモンハン、ガダルカナル、インパール、ミッド
ウェー、アッツ島、レイテ島などの玉砕の顛末を著したものが多い。
何故こういうものに惹かれるのかと言えば、死者数の膨大さに引き寄せられるか
らだ。そこにあるのは悪く表現すれば、あんな人生、こんな人生と有象無象のもの
であっても、そのデティールを見れば見事ともいえる人間の生き死にの複雑さ、多
様さだ。そのめまいを生じさせるほどの敬虔な事実の集積だ。
先日封切られた、今はやりの映画「男たちの大和」は、実は大したことがない。
「若者たちの大和」とでも言い換えられるほどの小さなスケールの内容だ。