業務多忙、植物の繁殖作業、ガーデニング教室の立ち上げなどなど、4月は忙しくて、満足に本も読めない。枕もとの鏡台スペースには買って読まずにいる本が山積みだ。
見城徹の「編集者という病い」、佐藤勝「交渉術」、井上薫「裁判官が見た光市母子殺害事件」、それから同じ郷里出身の楡周平さんの「骨の記憶」、いずれも3月に購入したものだ。
そんな中、この連休中に「大韓民国の物語」をやっと読み終えた。李榮薫さんの本を読んだ。(永島広紀訳¥1857+税 文藝春秋刊)
今までも、韓国ものの本をを渉猟し考えてきたが、やっと韓国というものが分かった気になる。韓国、朝鮮人について、わたしは東北の生まれ、関東や西日本の人たちのように日常的に身近に感じていなかったもので、いつも不思議な対象であった。これは、社会的な差別などでマスコミに報じられる、同和問題も同じだ。
国民性として、非常にパセテック(感傷性)でナルシシズムの強い人たちであるなあとおもう。論争好きなその根っこには、理性的ではなく感情過多、感情第一の民族性がうかがえるのだ。
ともあれ、これは自己同一性(アイデンティティー)の問題だな。他と比較ばかりしてついには自己規定が苦手のように見受ける。
詳しくは表現できぬが、もうひとつ、国の近代化という点で、アジア、アフリカ、イスラム教のアラブ諸国が日本の歴史のなかで、特に明治維新を評価する心情にあらためて納得がいった。