これはある山あいの教会である。わたしは、正午前に着いてあわただしく写真を撮ったもの。朽ちているような無住の木造のカソリック教会、質素というにはあまりにも寂れた光景である。ちょうどこの時に盛岡かららしい一台の大型観光バスが到着しぞろぞろ人が降りてきた。鬱蒼としていてしだれる樹木がかぶさる窮屈な田舎道に人声が起きる。わたしは、見ず知らずの単なる通りがかりだ。
教会や外便所の屋根に掛かる紅葉した椋や楓が燃えるようであった。
教会や外便所の屋根に掛かる紅葉した椋や楓が燃えるようであった。