この間、江藤淳の記事を読売新聞で見かけた。連休前に平山周吉さんによる 「江藤淳は甦る」新潮社 が出版されたらしい。値段は¥3,700.(¥5,980.)ということ、そこには多分異性関係とか下世話なことも網羅しているだろうがそれは文筆業としては当たり前のことだろう。ともあれ、安くはないがなんとか入手すべく検討している。
江藤淳は1999年7月 22日に自殺した。66年7ヶ月だったらしい。今年で20年目にあたる。当時、勤め人であった頃、青山葬儀所の告別式に出るべく行ったことがあるがどうやらわたしが早まったようで一か月先であった。あの頃は奥様への後追い自殺、心中と言われていたが、わたしは江藤淳の自殺は本人の普段の主張と違うじゃないか、と思っていた。こんなに虚弱だとは思わなかった。
まだ20代半ば過ぎのころ、わたしは市川の江戸川べりの古アパートで逼塞していて、大学にも出ず、収入は日払いのバイトでひとり暮らしていた。アパート代は溜めドアの向こうの音にじっとしていて外出には勇気が要ったもので、自堕落そのものである。そんな中で江藤淳の 「小林秀雄」角川文庫 を折り目と書き込みだらけで手垢が付くほど繰り返し読んだものだ。あの生活から脱出できたのはこの本が契機である。わたしにとって、ウソがなく自立した身近な日常の生活こそ一番大事であり、しかも唯一の生き方の方向であると。すきな事で生涯を終えられたらどんなにいいかと。
山本七平さんの享年は69歳、1991年9月 28日 膵臓がんで死去。あれから27年目にあたる。山本七平の著作物は、ここ数年毎日のように読んでいる。しかも繰り返しである。わたしの性格上も読書は一回性のもので、こんなことは全く稀なことである。読書する時間も書籍購入費もかなり要している。
わたしにとって、母が52歳父が66歳と身近な死は早めに迎えていて、近年は動揺とかなくて気持ち的に穏やかで構わないのだが、しかしこの間、両氏の享年年齢に気付き、むっと驚きあわてている。わたしは今、69歳。なすべきことはあるか。わたしはこんなに長く色々と生きて来たのか、と。
江藤淳は1999年7月 22日に自殺した。66年7ヶ月だったらしい。今年で20年目にあたる。当時、勤め人であった頃、青山葬儀所の告別式に出るべく行ったことがあるがどうやらわたしが早まったようで一か月先であった。あの頃は奥様への後追い自殺、心中と言われていたが、わたしは江藤淳の自殺は本人の普段の主張と違うじゃないか、と思っていた。こんなに虚弱だとは思わなかった。
まだ20代半ば過ぎのころ、わたしは市川の江戸川べりの古アパートで逼塞していて、大学にも出ず、収入は日払いのバイトでひとり暮らしていた。アパート代は溜めドアの向こうの音にじっとしていて外出には勇気が要ったもので、自堕落そのものである。そんな中で江藤淳の 「小林秀雄」角川文庫 を折り目と書き込みだらけで手垢が付くほど繰り返し読んだものだ。あの生活から脱出できたのはこの本が契機である。わたしにとって、ウソがなく自立した身近な日常の生活こそ一番大事であり、しかも唯一の生き方の方向であると。すきな事で生涯を終えられたらどんなにいいかと。
山本七平さんの享年は69歳、1991年9月 28日 膵臓がんで死去。あれから27年目にあたる。山本七平の著作物は、ここ数年毎日のように読んでいる。しかも繰り返しである。わたしの性格上も読書は一回性のもので、こんなことは全く稀なことである。読書する時間も書籍購入費もかなり要している。
わたしにとって、母が52歳父が66歳と身近な死は早めに迎えていて、近年は動揺とかなくて気持ち的に穏やかで構わないのだが、しかしこの間、両氏の享年年齢に気付き、むっと驚きあわてている。わたしは今、69歳。なすべきことはあるか。わたしはこんなに長く色々と生きて来たのか、と。
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