先日来、樹木医会の一泊研修が鎌倉や横浜に予定されていたので、かつてわたしが手掛けた北鎌倉の邸宅庭園は候補対象にどうかと検討した。9月初め、都内に出るついでに行った現地の庭の状況は画像の通りだが現在は住んでいるかどうかは不明である。如何せん、庭は荒れているようだし樹木は伸び放題、維持管理がおろそかになっている。竹垣は朽ち果てたか。
竣工は昭和63年2月12日、すでに年月は31年が経過したことになる。この庭の意匠は凝りに凝ったもので落葉樹の株立ちや山野草を配したテラスは玄昌石の方形貼りに坪庭や中庭もある。アプローチは蛭川御影石の切石敷きで門から玄関へ斜行させた。竹垣は大徳寺垣、網代垣、大津垣に創作の変形四ツ目垣それに袖垣。化粧砂利数種を使い、役石は様々だが石組や飛石は根府川石である。思い起こすと、京風を加味し英語グラフ誌のデザインを参照した和洋折衷式のモダンなガーデンデザインを意図としたもの。外構・庭園工事費は2,700万円である。ひっくるめた建物の価格は5億5千万円で売り出したがなかなか売れなくて最終的に4億円を切る値段で売れたらしい。
わたしは、そのあまりの様変わりにやや茫然自失の体であった。
あの頃はバブル景気直前の頃だ、そうかそうか、当時のわたしは、作庭のデザイン力に自信満々の怖いもの知らずの38歳であったのだなあ。
以下に現在の画像と古い販売資料や図面、写真を探し出し、Before Afterのように羅列する。
Before
After
竣工は昭和63年2月12日、すでに年月は31年が経過したことになる。この庭の意匠は凝りに凝ったもので落葉樹の株立ちや山野草を配したテラスは玄昌石の方形貼りに坪庭や中庭もある。アプローチは蛭川御影石の切石敷きで門から玄関へ斜行させた。竹垣は大徳寺垣、網代垣、大津垣に創作の変形四ツ目垣それに袖垣。化粧砂利数種を使い、役石は様々だが石組や飛石は根府川石である。思い起こすと、京風を加味し英語グラフ誌のデザインを参照した和洋折衷式のモダンなガーデンデザインを意図としたもの。外構・庭園工事費は2,700万円である。ひっくるめた建物の価格は5億5千万円で売り出したがなかなか売れなくて最終的に4億円を切る値段で売れたらしい。
わたしは、そのあまりの様変わりにやや茫然自失の体であった。
あの頃はバブル景気直前の頃だ、そうかそうか、当時のわたしは、作庭のデザイン力に自信満々の怖いもの知らずの38歳であったのだなあ。
以下に現在の画像と古い販売資料や図面、写真を探し出し、Before Afterのように羅列する。
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