この間は、御成街道を教育委員会の主催で見て回る。御成街道は江戸時代に徳川家三代が造り鷹狩に使われたが、千葉県船橋市から東金市内までの約40kmの道のりで、今までわたしには終点近くの東金方面がよくわからないでいた。そこで、わたしは生来の好奇心いっぱいの気持ちで、当日は雨交じりの悪天候をおして参加する。
わたし個人は、船橋、習志野近辺、千葉市内は通勤ルート、仕事の営業範囲で多少は知っており、最近、地元の八街部分は参加者を連れて‘ガーデニング教室’で案内していた。この江戸時代の街道は、たしか、江戸から川崎や埼玉方面にもあるらしくて、ここは正式には 「東金御成街道」 というらしい。
この日、なんだかわたしにとって、良くも悪くも様々に感じ考えてしまった。話題としてはいろいろあるのだが、ここではきわめて身近なことをはじめとして三題話ふうにあげていく予定である。
まず、まのあたりにした老醜というか、リタイア人生と社会的なマナーについてである。
参加者14,5名+吏員4名。ワゴン車で移動するのだが、まずは車内での話すたびごとの口臭のひどさに辟易した。わたしは顔をそむけながら談笑する。接近してのマナーがひどい。身なりは問わないが、相手のことを忖度しない強硬な所作、我が物顔の物言いやおこない、はては顔の表情のふしだらなさに見る相貌にがっかりする。はっきり言って、メリハリがないのだ。
参加者は年齢的には50代後半から80歳までの男女であり身分的には市の「文化財ボランティア」の面々であるが、郷土史や古墳や風土に一定の知識がありそれにプライドをお持ちのようで、わたしは苦い思いであった。どうやら、厳しい対人関係や社会との折衝から離れてしまっているようなのである。老いとは身体の不自由にともなって、倫理感、モラル面で崩れていくようだ。大きな目で見ればやんちゃでかわいいという判断もありだが、わたしには今までの来し方で身を律する経験がなかったことによると推量せざるを得ない。正面からぶつかった生き方をしていなかったと断ぜざるを得ないのだ。
余計なことだがこんなことでは家庭内の暮らし、同居している家族が思いやられる、というもの。なんとかならないものか。
自己主張の強いこういうわがままな老人達は、社会規範は仕事の上でしか学ばなかったようで、困ったものである。世間一般の不特定多数の団体行動には向かない。中には学校関係の公務員上がりが多いようで、わたしに言わせればしようもない連中だ。
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