18年にもなりますか

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何事もほどほどに

2007-10-18 01:15:00 | 
 ヒーローと悪役という分かりやすい図式が大好き。これは日本人に限った話ではない。そういう図式は、大勢の人を煽動するのにもっとも効果的だ。

 だから、ブッシュ米大統領は北朝鮮のことを「悪の枢軸」と呼んで世論を煽動した。中東に対する批判もそういう手法を使う。まあそれが欧米式の人を動かす手段とも言える。日本では、もうすこし粘着性が高い手法を使う。「米英語を敵国語」として使うことを禁じたり「鬼畜米兵」と言ってみたりする。相対的な位置づけによる批判よりも、もっと身近な感覚で敵対意識を持たせようとする。

 坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いということわざの通りである。


 さて、こういう背景の違いはあるが、結局「悪者」を作りあげて排除する姿についてはあまり差があるようには思えない。今回のボクシングタイトルマッチについては、特にそういう印象がある。

 亀田一家のことを快く思っていなかった多くの人たちが、鬼の首をとったかのようなはしゃぎぶり。ここぞとばかり亀田一家のことを批判していて、一億総アンチ亀田状態になってしまっている。「ざまあみろ」と思っている人も少なくない。しかしこれは亀田一家を日本中でいじめているのとまあ同じと言っていいだろう。

 しかし、物事には限度というものがある。何事も限度を越してはいけない。

 限度を越してしまうのは、前述の「坊主憎けりゃ…」の感覚があるからだ。そういうことは常に意識しておいたほうがいい。そんなことを無視して進むとろくな事にはならない。

 少し“ええかっこしい”に聞こえるが、批判は何に対しての批判なのかをちょっと振り返って考えて、何を求めるのかを考え直すと、それをどれくらい相手に対して求めるべきなのかが冷静に見えてくる。

 亀田一家の件については、三人のボクサーは品のない大口も限度を考えることや、当たり前の礼儀と節度をもって人と接する事。またそういう当たり前の事をを教えてくれる師に師事を仰ぐこと。父親については、自身のやってきたことは何だったのかをちゃんと考え、きちんと世間の声に耳を傾けることをすべきだと思う。そして子離れすべきだと思う。

 これだけ一斉に批判されて、行き場を失いかけている状態になっているところにさらに非難の集中砲火を浴びせる必要はないだろう。

 彼らを養護するというよりも、当たり前程度にしましょうという話。後味が悪くならないように。